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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

人は見かけによらないものか?

2014-03-15 22:57:29 | 日記
 ココリコの田中さんやTKOの木下さんのように、本業はお笑いでありながらも俳優として素晴らしい演技を見せる方がいます。

 もし彼らが司会や歌手にまで活躍の場所を広げたならば、それは器用貧乏になるのかもしれませんが、二足のわらじはむしろ自分の評価を高め、新しい視野を与えると考えられます。

 でも起用する側からすれば

 「確かに起用を希望したのは私たちだが、その演技の幅が素晴らしい」

 と考えている、そんな気もします。

 サッカーでも

 「この人は監督にはならないだろうな」
 「現役時代はさほど目立つ存在では無かったのに、監督として優れた力量をもってたのか」

 と思う時がありますね。

 アラン・シアラーが現役時代、イングランド代表のエースとしての重責を担い、愛する故郷、ニューキャッスルでもファンから絶大な信頼を得ていたことは有名です。

 しかし彼は

 「僕は監督にはならないよ」

 と常に語っていましたが、降格を救う為に一度ニューキャッスルのベンチに腰かけた瞬間、危機を救えませんでしたがシアラーの胸の中に、監督という仕事の奥深さが突き刺さり、機会があれば再度采配したいと考えています。

 広島の森保監督は、名前をもじって

 「ポイチ、ポイチ」

 と選手からも同期、例えば福田正博氏からも呼ばれています。
 
 ハンス・オフトに抜擢され、中盤の底で舵取りを担った90年代前半、彼が古巣の広島をリーグ2連覇、チャンピオンズ・リーグ出場に導くと早々はできませんでした。

 いい意味で森保監督は謙虚であり、手柄を自分の物にはしない懐の大きさ。

 この点が広島の指揮官として慕われている理由でしょう。
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