塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー選手もやはり人の子ではないでしょうか。

2019-03-09 00:27:33 | 日記
 最新号のナンバーは、Jリーグに在籍した外国籍選手の中で最も素晴らしかったのは誰だろうか、と言う観点で特集が組まれました。

 例えばビスマルク

 日本サッカーに感銘を受け、ワールドカップ出場を諦めた
 所属するヴェルディの経営不振により、減俸を提示されたときのやるせなさ

 例えばジーコ

 ブラジル人らしからぬ几帳面さで、常に整理整頓を指示

 というように、黎明期のJリーグを知る選手たちが登場しています。

 1位はピクシーでそれはある意味当然だと思います。
 「ヴェンゲルにアーセナル行きを断った」
 「ベルカンプのポジションに、ピクシーを当てはめる予定だった」

 など、ヴェンゲルの気持ちがひしひしと伝わってもきました。

 それ以上に、どんな選手でも引退をするとふくよかな体型になるのだなと思うのは、そのピクシーもビスマルクも身体が一回り、二回り大きくなっていいたためです。

 現役時代、多くの女性が溜息をついた選手と言えば

 デイビッド・ベッカム イングランド代表
 ダヴィド・ジノラ フランス代表

 というふたりの「デイビット(フランス語だとダヴィドの発音)」でしょう。

 そんな彼らもふくよかな表情と体型になってきていますし、マイケル・ジョーダンでさえ同様です。

 それだけ根本的に、人間という生き物は節制という言葉とは、本来無縁の生き方を模索するのでしょう。

 逆に50を超えて体型を維持するキングの凄さ、改めて浮き彫りになりましたね。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕が思う、エレガントな選手たち

2019-03-09 00:14:17 | 日記
 いつの時代にも、サッカーにはエレガンスを体現する選手が存在します。

 僕が思うにエレガンスな選手の多くは、小心者、他人の顔色を窺う、先発選手の中に自我が強い選手がいると萎縮傾向にあるように見えます。

 それは彼らが極めて上質だからこそ、他人の痛みを知る、無意味な論争を好まない、敬意を払う必要性を身に着けているため、ではないかと考えるのです。

 以下、僕が思うエレガンスな選手の具体例を挙げてみます。

 1・ハビエル・パストーレ アルゼンチン代表

 パレルモから移籍したパリ・サンジェルマンでは、まず彼が新時代の幕開けの象徴となりました。

 移籍した2011年の指揮官はコンブアレであり、カタール資本の無限ともいえる財源から獲得したこのアルゼンチン代表は、長身痩躯の優雅な物腰である一方で、ある個性に埋没されているという指摘もありました。

 「ズラタン・イブラヒモビッチ」

 の視線に耐えかねているとも指摘された彼は、今季よりローマでプレイしています。

 ローマの喧騒は今、彼の心に何をもたらしているでしょうか。

 2・エンソ・フランチェスコリ ウルグアイ代表

 「フランチェスコリは、ディナー・ジャケットを着ながらサッカーをしている」

 とまで謳われたウルグアイ代表の名手は、フォルランとスアレスを凌ぐ、まさに同国最高の選手と言えます。

 彼は引退後のビジネスでも成功していますし、教養と叡智が生まれながらに備わっていたのでしょうね。

 だからこそ南米出身選手らしからぬ柔和な態度が、彼の長所だったのかもしれません。

 マルセイユ、カリアリなど欧州では思うように結果を残せなかったフランチェスコリは、自身の長所である物腰の柔らかさが阻害した可能性があります。

 3・ジネディーヌ・ジダン

 そのフランチェスコリを心から敬愛し、手本にしたのがジダンでした。

 そのジダンはレアルで最高峰の優雅で美しいプレイを見せた一方で

 1・ユヴェントス時代、チャンピオンズ・リーグのドルトムント戦で頭突きを見せる
 2・ワールドカップ2006で、マルコ・マテラッティに同じように頭突きを見舞う

 という、暴力行為を見せてしまいます。

 ジダンはアルジェリアからの移民が両親ということもあり、阻害されたという気持ちが沸き起こった際、自分でも心情を把握できなかったと推測します。

 他人から痛みを受けてきたからこそ、挑発行為に我慢できないという側面が見えたジダン。

 それでもなお、フランスサッカーの象徴は今でも讃えられている稀有な存在です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこまで欧州式を尊重すべきか

2019-03-09 00:06:05 | 日記
 サッカーはいつの時代も欧州が最先端であり続けています。

 では自国の、この場合は日本になるわけですが、どこまで欧州を意識し、どこから日本固有の思想を取り入れるべきでしょうか。

 例えばチョーク・ボード、ホワイトボードの利用方法。

 オランダはいつの時代も攻撃に重きをかけるサッカーを考えます。

 しかし、戦術を考える際は日本のように3-4-1-2だとか、4-4-2という記し方をしません。

 「1」-3-4-1-2
 「1」-4-4-2

 そう、彼らは冒頭に(鍵括弧の数字)1、GKを必ず記載します。

 まさにその通りでGKのいないサッカーは存在しませんし、バロンドール受賞者はこれまでレフ・ヤシンただ一人だけですが、偉大な存在は各国に見受けられます。

 スペインやイタリアが戦術表記をどう行っているのか、正直さだかではありませんが、僕はオランダの話を聞くたびに、日本もこの表記の方がよいのではないか、と感じます。

 また、日本では布陣をイラストで紹介する際、下のGKとバックラインから描きます。

 でも欧州では真上にGKを描き、そこからバックライン、中盤センター、一番下にCFという形で日本とはあべこべなんですよね。

 過去ワールド・サッカーダイジェストがこの形で記事を紹介していましたが、やはり僕たち読者かラの声、

 「読みにくいと思います」
 「ここは欧州式ではなく、日本式で」

 という声が寄せられたのではないでしょうか。

 今、続々と海外からJリーグを目指す選手たちが増加傾向にありますが、欧州的発想と日本式発想を両方知る彼らの声、一度聞いてみたいと思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする