塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

小学生時代、よく手袋を無くしたものです。

2019-03-11 01:30:04 | 日記
 僕は小学生時代、よく手袋と傘を無くしていたように思います。

 冬季手袋は必須なのですが、まず校庭で皆とサッカーをする際、手袋があるとキーパーになった時に凄く便利なんですよね。

 冬の風が冷たい時期、雪でボールが水分を含んで重い時、素手でボールを止めるのは本当にしんどい、しかし手袋があるだけで痛みが軽減されるわけです。

 手のひらに部分に突起があると、更に滑りにくく何だかキャプテン翼の若林やミューラーになったような気分でした。

 ボールとの摩擦に耐えきれず、指先からよく穴が開いてしまいましたし、雪の日用のナイロン手袋も含めて、ポケットにいれても駆けずりまわっている間に堕ちて、そのまま行方不明。

 という点で、母には随分と出費させてしまったと思います。

 傘は雨降りには必須ですが

 持ち帰ることを忘れてしまう
 そのままどこに置いたか、記憶が亡くなってしまう

 ということが、よくありましてね。

 本当に間抜けなことをしていたと思います。

 サッカー観戦に親子で出かけた際も、お子さんが忘れ物をしがちであれば、帰宅前に座席周辺を一度確認してから出口に向かう方は多いかもしれません。

 日本の遺失物は傘を含めて多いようで、大人でも電車の中に様々な物を忘れてしまう傾向にあります。

 僕も文庫を読むのに夢中で慌ててしまったこともありますしね。

 これからのサッカー・シーズン、スタジアム観戦を快適にするためにファンの気配りが、ボランティアの方を助けることになりますから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お金は大事、まとまりはもっと大事

2019-03-11 01:11:13 | 日記
 1990年代前半のNBAは、マイケル・ジョーダンが在籍するシカゴ・ブルズが3連覇という偉業を成し遂げます。

 このブルズと同様の成績をなぞるであろうと目されたチームが、ノースカロライナ州にあるシャーロット・ホーネッツでした。

 ノースカロライナ州はジョーダンの在籍したノースカロライナ大学、ノースカロライナ州立大学とバスケットの強豪大学があり、破産する前のコンバースもここに工場を構えていました。

 ホーネッツはラリー・ジョンソンにアロンゾ・モーニング、マグジー・ボーグスなど、オールスター・クラスの選手が複数在籍しており、このまままとまれば、将来の全米王者は彼らだ。

 という声が日増しに高まっていたのです。

 しかし、ジョンソンが12年で総額84億円という、巨額の契約に署名してからチームは一気に瓦解します。

 モーニングもジョンソンと同じ契約を求めるも、チームは既にサラリー・キャップの支配下の中、同様の金額を彼に提示することはできませんでした。

 モーニングはナイキ
 ジョンソンはコンバース

 から専用バッシュを与えられるほどの実力者であり、だからこそジョンソンの契約が互いの自尊心を刺激しあったのでしょう。

 ホーネッツにはほかに、ケンドール・ギルという優れた選手もいたのですが、オーナーのジョージ・シンが描くような未来は得られませんでした。

 今、サッカーもお金を投資することが

 1・ファンへ野心を見せる最適の手段
 2・選手を獲得し、クラブに慰留する手段

 となっていますが、やはり報酬の額、契約年数はデリケートですよね。

 人間誰しもが

 「どうしてあいつが俺よりも高い報酬なんだ」
 「俺の方がよほどよい働きをしているのに」

 と思う物ですし、お金のやっかみは一気にまとまりを失わせてしまいます。

 ドレッシング・ルームの並び順や、国籍同士のつながりなとマネージメントは、本当に神経と使う厄介な作業と言えそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて思うマナーについて

2019-03-11 00:54:49 | 日記
 今、学校にスマートフォンを持ち込むべきか否か、という議論があります。

 災害発生時に連絡が取れれば嬉しい
 帰宅途中、交通事故や誘拐事件など、子供の安否を左右する出来事に遭遇した際の保険

 という声がある一方、幼い子供や未成年に持たせるべきではない、という意見もあります。

 一番難しいのは、

 「スマートフォンやソーシャル・ネット・サーヴィスの適切な使い方、購入方法」

 を、アップルのような製造会社、ドコモのような販売会社、そして識者たちのいずれもが利用者に伝達していない、点かもしれません。

 僕の書棚には人生の先達たちが教えてくれたマナー、作法の書籍が幾つかあります。

 池波正太郎、山口瞳は

 「公衆電話のかけ方」
 「背広の選び方と着こなし方」
 「天ぷら屋や寿司屋への入店、注文の仕方」

 を事細かく教えていますが、それは彼らもまた、先達から学んできたことなんですね。

 でもスマートフォンやインターネットの作法は、今のところ適格な形で明文化されていないように思いますし、使い方はやはり自己判断の範疇を超えていないように感じますね。

 サッカーも同様で、自分が関心を持つリーグ、選手が見つかったならば、とにかく資料を読み込むべきだと思います。

 それは選手の自伝でも良いですし、雑誌でも構いません。

 僕がサッカーに関心を持ち始めた時代は、ここまで機械化されておらず、選手への伝達手段も基本は手紙しかありませんでした。

 海外へ手紙を届けるには当然英語、スペイン語など辞書が必要となりますし、日本人選手に差し出す際も、時候の言葉やあいさつ文が適切か、書き手は考えに考えたに違いありません。

 今は伝達手段も観戦方法も一気に選択肢が増えました。

 だからこそ改めて、学ぶ姿勢を僕たちが問われているようも思えるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする