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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本が現実を直視する時

2015-02-01 00:11:37 | 日記
 日本代表が焦りや墓穴を掘らなければ、少なくとも親善試合のレベルではオランダ、ベルギーのような列強と真正面から戦える事は、2013年に判明しました。

 また同年のフランス戦において

 「低い位置からのカウンター」

 が日本にとっても有意義であることも露見しています。

 日本はアジアでは脅威の対象ですから、攻撃的に振る舞わねば識者、ファンの両者かた多くの批判を浴びます。

 でも、UAEがそれまでのマイボールを活かしたサッカーから一転して、日本戦では先制点の後は守備的に振る舞ったように、日本も弱小、格下相手の際でも守備的に振る舞ってもいいと思います。

 僕も含めてみている方は、本当に退屈でしょうね。

 でも、サッカーと言うのは勝ち点を積み上げる構造です。

 つまり、格下から引き分け、もしくは敗れるようなことがあれば、むしろそちらの方が大問題であり、もしリアリスティックに勝利を求める、勝ち点3が必要ならば、守備偏重と言われてもそうすべき時があるはずです。

 「代表はもっと攻撃に集中するべきだ」
 「他に策はあったはずだ」

 と糾弾されたとします。

 その時代表監督は

 「皆さんの指摘はわかりますよ」
 「でも、勝ち点3を得たことが、あななたちの批判を覆す最高の材料だ」

 と胸を張るくらいのしたたかさも、必要のように感じます。

 準備が間違っていたことを、先発の顔ぶれを変化させるべきというマイナスの材料を、ドローや勝利に還元できるならば、それだけでも代表にとっては大きな出来事だと思いますね。
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試験問題とサッカーのリズム

2015-02-01 00:04:00 | 日記
 大学入試や資格試験など、受験生が問題を解く事とサッカーにおけるリズムは同じだと思います。

 例えば受験の際

 「まずい、あれだけ準備してきたのに、全く解答が進まないぞ」
 「これまで順調だったのに、ここから急に難しくなった」

 など、何かしら心に引っ掛かりを覚えますと、それだけで浮足立ってしまい、時間を浪費してしまいます。

 僕も予備校時代

 「まずい、まったくわからない」

 と大学入試で冷や汗をかいた時が何度もあります。

 父にこれ以上の学費をお願いすること出来ませんし、何より問題と自分との相性があることもよくわかりました。

 僕の性格と山梨学院の試験問題は相性がよく、都合の良い事に長野市の試験会場は僕の通っていた予備校だったので、サッカーで言うホームの感覚で挑めたことも幸いしました。

 今の日本代表もそうですよね。

 やはり自分たちで主導権を握る試合には非常に強い反面、先のUAE戦で顕著になりましたが、何かしらの出来事で躓いてしまった時に、自分たちで立ち直る術を得られないまま、時間が経過してゆきます。

 試験ならば

 1・わかる問題を最初にとく
 2・鉛筆と消しゴムを使い慣れた物にし、名前をしっかり記入するという基本を忘れない

 というように、自分で自分を奮い立たせて挑みます。

 でも、サッカーは集団競技ですから、自分の迷いが周囲に伝達していけば、それだけで動揺が広がります。

 今挙げた点を改善しなければ、西アジアのスタジアムで空気に呑まれてしまう事は充分に考えられます。
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