自宅から車で7,8分の
今の病院よりは小規模な総合病院の緩和ケアへ移りたいと
今まで診てくださった先生にお手紙を書いたら
紹介状や診療データを送っていただき、予約まで入れていただいたので
本当に体一つで行けばよくてラクチンでした。
今回も家族が同行してくれました。
一つ気がかりだったのは、緩和ケアではもうガンの治療はしませんと
言われる病院もあるようなので、そうなると前回と同じで
家族がそれを受け入れてくれるかという問題が出てきて
また病院を探すということになるとちょっと困るなと思っていました。
最初に先生が緩和ケアの方針についてざっと説明をされて
「それじゃあ今日は注射のホルモン剤をしましょう」と言われたので
「え”-?」という感じで「いや、あのそれはちょっと…」と言ったら
「やらないの?それじゃあどうしますか」と
とてもあっさりと聞いてくださいました。
「注射」というのは前の病院からの引継ぎ事項だったのかもしれません。
それで「できれば今飲んでいるホルモン剤をもうしばらくいただけたら」と
お願いしてみたら「ああ、分かりました。じゃあそうしましょうね」と
拍子抜けするくらい簡単にアリミデックスでの治療継続になりました。
今の私の病状では
アリミデックスに、それほど大きな効果が期待できるわけではないことは
先生もさりげなく言っておられましたが
それは自分でも十分分かっていることで
その一方で「何かできるのではないか」という家族の痛切な思いも分かっているので
大きな副作用がなくて経済的にも負担の少ない
アリミデックスという選択が、やはり今の私には
肉体的にも精神的にもベターだったわけです。
こうして緩和ケアへの移行は、一か八かの賭けでもありましたが
一番望んでいた形で決着して、心からホッとしています。
こんな時はまたぞろルナ(猫)が
今でもちょっとがんばってくれているのかなと思います。
本当に全然美しくもなく(むしろ小汚くてボロっとしてた)
かわいげもなくて、他の人が見たら「この猫の何がそんなに」と思われるような猫でしたが
晩年はいつも私の姿を目で追い、家の中でもてこてこ私のあとを追って
寒くなると、私の腕を枕にして、一晩中顔のすぐ横にルナの顔があるという状態で
文字通り一心同体のような生活をしていました。
だから私が苦境に立つと、今でもなけなしの霊力(?)を動員して
何とか助けようとしてくれている?
人が聞いたら「この人バカだな」と思うような話ですが。
先日iPS細胞でノーベル賞をとられた山中 伸弥先生が、ある討論番組の中で
「20代の頃は、若い時しかできないから無茶をしてみようと思った。
30代、40代の頃はまだいいかなと思って無茶をしてきた。
50代になったら、いつ死ぬか分からないから無茶をしてみようと思っている」と
話されていました。先生の言われる無茶とは
自分や他人の人生をめちゃくちゃにしてしまうような無茶ではなく
ありふれた言い方をすればチャレンジなのだと思います。
先生の目には、たとえ100才まで研究を続けたとしても
達成することのできない無限の可能性が見えているようです。
けれどそれが見えるようになるまでには
それこそ血のにじむような苦労や努力があってのことだと思います。
だから現状に満足することなく、安住することなく
たとえそれがその学問の世界では無謀なことであっても
チャレンジをすることで、また新たに見えてくるものがあるかもしれない
開けてくる世界があるかもしれない、しかし失敗のリスクも常にある
それでも挑戦する価値はある、そういう意味での無茶なのだと理解しました。
色々な場面に、生きていくのに大切なヒントはあります。
受け止めようさえと思えば、ボールを投げてくれる人はいるのです。
そこから自分に有用なもの、共感できるものを拾って
ジグゾーパズルを作るように組み立てて広げていけば
少しづつ人生が生きていきやすいものになるように思えます。
正直なところ、私に3年先、5年先の未来があるかどうかは分かりません。
でもとり合えず「今日」という日、「今」という時間はあります。
平凡で、何のヘンテツもないおばさんの「今」でも
私に「今」があるということは、もうそれだけで十分に幸せなことなのです。
今の病院よりは小規模な総合病院の緩和ケアへ移りたいと
今まで診てくださった先生にお手紙を書いたら
紹介状や診療データを送っていただき、予約まで入れていただいたので
本当に体一つで行けばよくてラクチンでした。
今回も家族が同行してくれました。
一つ気がかりだったのは、緩和ケアではもうガンの治療はしませんと
言われる病院もあるようなので、そうなると前回と同じで
家族がそれを受け入れてくれるかという問題が出てきて
また病院を探すということになるとちょっと困るなと思っていました。
最初に先生が緩和ケアの方針についてざっと説明をされて
「それじゃあ今日は注射のホルモン剤をしましょう」と言われたので
「え”-?」という感じで「いや、あのそれはちょっと…」と言ったら
「やらないの?それじゃあどうしますか」と
とてもあっさりと聞いてくださいました。
「注射」というのは前の病院からの引継ぎ事項だったのかもしれません。
それで「できれば今飲んでいるホルモン剤をもうしばらくいただけたら」と
お願いしてみたら「ああ、分かりました。じゃあそうしましょうね」と
拍子抜けするくらい簡単にアリミデックスでの治療継続になりました。
今の私の病状では
アリミデックスに、それほど大きな効果が期待できるわけではないことは
先生もさりげなく言っておられましたが
それは自分でも十分分かっていることで
その一方で「何かできるのではないか」という家族の痛切な思いも分かっているので
大きな副作用がなくて経済的にも負担の少ない
アリミデックスという選択が、やはり今の私には
肉体的にも精神的にもベターだったわけです。
こうして緩和ケアへの移行は、一か八かの賭けでもありましたが
一番望んでいた形で決着して、心からホッとしています。
こんな時はまたぞろルナ(猫)が
今でもちょっとがんばってくれているのかなと思います。
本当に全然美しくもなく(むしろ小汚くてボロっとしてた)
かわいげもなくて、他の人が見たら「この猫の何がそんなに」と思われるような猫でしたが
晩年はいつも私の姿を目で追い、家の中でもてこてこ私のあとを追って
寒くなると、私の腕を枕にして、一晩中顔のすぐ横にルナの顔があるという状態で
文字通り一心同体のような生活をしていました。
だから私が苦境に立つと、今でもなけなしの霊力(?)を動員して
何とか助けようとしてくれている?
人が聞いたら「この人バカだな」と思うような話ですが。
先日iPS細胞でノーベル賞をとられた山中 伸弥先生が、ある討論番組の中で
「20代の頃は、若い時しかできないから無茶をしてみようと思った。
30代、40代の頃はまだいいかなと思って無茶をしてきた。
50代になったら、いつ死ぬか分からないから無茶をしてみようと思っている」と
話されていました。先生の言われる無茶とは
自分や他人の人生をめちゃくちゃにしてしまうような無茶ではなく
ありふれた言い方をすればチャレンジなのだと思います。
先生の目には、たとえ100才まで研究を続けたとしても
達成することのできない無限の可能性が見えているようです。
けれどそれが見えるようになるまでには
それこそ血のにじむような苦労や努力があってのことだと思います。
だから現状に満足することなく、安住することなく
たとえそれがその学問の世界では無謀なことであっても
チャレンジをすることで、また新たに見えてくるものがあるかもしれない
開けてくる世界があるかもしれない、しかし失敗のリスクも常にある
それでも挑戦する価値はある、そういう意味での無茶なのだと理解しました。
色々な場面に、生きていくのに大切なヒントはあります。
受け止めようさえと思えば、ボールを投げてくれる人はいるのです。
そこから自分に有用なもの、共感できるものを拾って
ジグゾーパズルを作るように組み立てて広げていけば
少しづつ人生が生きていきやすいものになるように思えます。
正直なところ、私に3年先、5年先の未来があるかどうかは分かりません。
でもとり合えず「今日」という日、「今」という時間はあります。
平凡で、何のヘンテツもないおばさんの「今」でも
私に「今」があるということは、もうそれだけで十分に幸せなことなのです。
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