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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

歯医者さんに通院中

2017-03-09 13:08:26 | 社会・生活
乳がんの経緯でも明らかなように
自分のことは、お金のこと、家族のこと、仕事のことが全部片付いてから
と先延ばしして、もうひとつ、どうにもならなくなったのが歯です。

さすがに虫歯はどうしようもないので
たまに治療していましたが
それ以外はほっぽらかしだっった上に
ヘビースモーカーなどの不摂生が重なり、もうぼろぼろな状態で
先日弱っていた歯が一本折れました。

これ以上放置して、がんが進行してから悪化したら
手のつけようがなくなりそうなので
一念発起して、悪いところをすべて治すことにしました。

家族が依存症の問題を抱えると
そのことで手一杯になって、ギャンブル依存症であれば
特にお金の心配が常につきまとうし
自分のことよりは、まずは子供のことが優先するので
病院とか美容院とか、自分の趣味とか
とにかく自分のことにお金を使うことができなくなります。
そのために、ギャンブル依存症者の家族は
セルフネグレクトなどという
これまた、ありがたくない病名をつけられてしまいます。

歯医者さんの待合室で、順番待ちをしている時に
ふっと「こうして心配なく、歯医者さんに行けるようになったのは
がんになって、保険金をもらえたのが大きいよなあ」と思いました。
まあ、それも、本来ならがんの治療に使うべきお金を
本を買ったり、映画を観たり、歯医者に行ったりと
横領まがいのことをやっているわけですが
それでもお金の心配をせずに、歯医者さんにいける人生というのが
妙に新鮮だったのです。

けれど、だからといって、最近は
自分がものすごく大変な人生を生きてきたんだ
というふうには思わなくなりました。
古くからの友人と話していても
依存症者を抱える家族の方と話しても
ネットで他の方の書かれたブログを読んだり
ネットのお友達との交流でも
誰もがみんな、それぞれの大変さを抱え
それと向き合いながら、一生懸命に生きておられるのが分かります。
だから、自分の人生が人より大変で
人より不幸というわけではないと思えるようになりました。
この年になってやっと、自分の回りが
ちゃんと見えるようになったということなのかもしれません。

ダンナがギャンブル依存症になって
それまでは、まったく知らなかったいろんなことを学んで
何もなければ、一生出会うことがなかった人たちとも出会えて
さすがに、ダンナのおかげとまでは思えませんが
それでも悪いことばかりじゃなかった
良いことや役に立つこともたくさんあったと、今は素直にそう思えます。

以前は、ただがむしゃらに、あれをやって、これもやってと欲張って
しゃかりきに動き回っていましたが
病気になってからは「今やらなければいけない、一番大事なこと」を
落ち着いて考えることができるようにもなりました。
それで、現在の最優先事項が歯の治療というわけです。
3月は、ジャパンマック福岡のセミナーの案内をいただいていたり
やりたいことも幾つかあったのですが
体調と相談して、歯医者さんに専念することにしました。
桜が咲く頃には、終わるのではないかと思います。

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通院日 そして「がん消滅の罠」

2017-01-20 16:40:01 | 社会・生活
火曜日は、今年最初の通院日。
お正月とか連休とかで、6週間ぶりの病院でしたが
今月はお薬をもらうだけなので
先生の「食欲はどうですか?」「痛みはどうですか?」
「お通じはどうですか?」といった恒例の質問以外には
特に盛り上がるような話題もなく、お薬セットをもらって1時間弱で終了。
ダンナの公休日で、車で直行直帰だったので、寄り道はできませんでした。

先日新刊書で、例の「がん消滅の罠」を買って
今月分の図書購入費の予算をほぼ使い切ったので
また来月まで、青空文庫の本を読むことにしています。
漱石とか鷗外、龍之介なんかは定番ですが
江戸川乱歩などもそろっていて、意外な掘り出し物があります。

そして「がん消滅の罠」
医療系の小説は、海堂尊さんの「バチスタ」シリーズなんかが人気ですが
がん治療を真正面から取り上げた小説というのは、かなり珍しいんじゃないでしょうか。

余命半年と診断され、保険会社から「リビングニーズ特約」で
高額の保険金を受け取った数名の患者のがんが消滅した。
診断書を書いたがんセンターの腫瘍内科医夏目は
保険会社に勤める友人の森川から、このがん寛解の真相の究明を頼まれる。

一連のがん消滅のカギを握ると思われる
湾岸医療センターという、セレブ御用達の医療施設。
そこの理事長は、夏目の大学時代の恩師だった。

医学的な専門用語が飛び交う会話が多いので
内容は結構難しいけれど、これを読めば
がんという病気のメカニズムが大体分かります。
「がんができることを防ぐための人体の精密なシステムと
それを突破するがん細胞の巧妙さ」「がんへの道は長く厳しい」
そして、こういう人間の体が備えている防御機能、修復機能をかいくぐって
がんという病気になるのは「一つの奇跡」というに至っては
「それじゃあ、私の体って奇跡が起きてるってこと?」と
思わず笑ってしまいましたが。

末期がんが、どうして寛解したかという謎の解明の部分は
「へぇ、そんなことができるんだ」という新鮮な感動がありましたが
高度な専門知識が必要な内容なだけに、真偽のほどは今ひとつよくわかりませんでした。
ただし、こういう治療をしたら治りましたというお話ではないので念のため。

前から書いているように、この数年、小説、ドラマ、映画など様々な創作の分野で
とにかくタブー視されているものが多いと感じます。
政治や経済、宗教など、現実にリンクするような内容のものはもとより
ギャンブル依存症や、原発事故、医療問題などを扱うのは敬遠されがちです。
そんな中で、がん治療というとてもデリケートな題材の小説が
賞を取れたというのは結構珍しくもあり、驚きでもありました。

もっとも、震災や原発事故にしても、いわゆる「スクラップ・アンド・ビルド」的なものや
医療物だったら「あきらめないないで闘おう」といった一方向のテーマに沿ったもの
あるいは、なんでもかんでも「家族の絆の美しさ」に帰結させるようなものはO.Kという
なかなかヘンテコな空気ではあるのですが。

「がん消滅の罠」の中で、もっとも印象に残ったフレーズは
「医師にはできず、医師でなければできず、そしてどんな医師にも成し遂げられなかったこと」
これが全ての動機であり本質なのですが
そこは残念ながら十分に表現されているとは言えず、ちょっと消化不良な印象でした。
けれど「医は仁術」という言葉はすでに死語ともいえ
医療がひどく複雑な様相になっている現代で
これは案外次世代の医療の理想を暗示する言葉なのかもしれません。

超高齢化社会という、人類にとって未知の事態に伴う、がんという病気の増加。
二人に一人はがんと言われる今ですから
転ばぬ先の杖ではないですが
少なくともTVの健康特番よりは論理的に
わりとざっくりとがんという病気を理解できるこの本
興味がある方は一度読んで見られてもいいのではないかと思います。


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相変わらずな近況など

2017-01-14 17:11:08 | 社会・生活
年末から松の内の間
ずっと暖かだった福岡も、全国的な大寒波の影響で
今日はずいぶん寒くなってきました。
北日本や新潟ではすでに大雪になっているうえに
明日にかけて更に広い範囲での積雪が予想される中
今日と明日は、全国で共通一次試験が行われています。
多くの若者が、自分たちのこれからの人生を決定するかもしれない
大きな難関に挑んでいます。

「なのになんで今の時期なん?天気だけじゃなくて
インフルエンザもマックスで、ノロウイルスも流行してる
こんな時期に入試を強行する理由って一体何?」と
TVのニュースを見ながら
例のごとく烈火のように怒っている私と、薄笑いしてるダンナ。

いったん決まってしまうと、十年二十年、下手したら三十年でも四十年でも
何の進歩も改善もなく、どれだけ時代の流れについていけなくとも
いろんな不都合や不備があろうとも
粛々と実行されていく融通のきかない社会のシステムに
心の底から怒りを感じることが多いので、ちょっとしたきっかけでこうして爆発します。

お正月の3日は、佐賀のダンナの実家に、新年のあいさつとお参りに。
それで終わるかと思っていたら
結局子どもたちが「来る」というので
7日に長男一家、9日に娘夫婦と晩ご飯を食べました。
全員一緒に終わらせるほうが楽そうなのですが
日・祝はほとんど休みがないダンナ&長男と
日・祝くらいしか休みにならない娘夫婦ではスケジュールを合わせるだけでも大変。

なので、結局毎回分割での開催ということになるわけです。
そしてやれやれと思う間もなく
昨日は、保育園を出席停止になった長男のところのチビちゃんを預かるはめになって
またぞろ一日バタバタしていました。
正直一年先の未来もわからない身なので
とにかくなんとか体が普通に動く間は、できることはやろうと思っています。
乳がんでは、ステージ4でお仕事されている方もそれなりにおられますから
専業主婦でいられるというだけでも、ずいぶんとぜいたくなことなのです。

患部は三年の間に、全体的に広がっていますが
最初にできたような腫瘍がどんどん増えていくのではなく
皮膚の部分に膜のように浸潤していってる感じです。
患部の拡大に伴って、一日に浸出液がかなり出ます。
夏まではガーゼのハンカチでカバーできていましたが
今は服に染みないように二つ折りにしたタオルを、腋から左胸に当てて
一日4,5回取り替えています。

痛みと痛み止めの関係は、色々やってみた結果
今は朝ロキソニン2錠、昼の2時頃にトラマール1錠、夜の9時ごろトラマール1錠
というのが基本的なラインで、その時々の痛み方や痛む場所の感じで
トラマールを2錠にしたり
間の時間や夜中に鈍い痛みが残った時は、途中で1錠追加したりと
自分の感覚次第で、わりにランダムにやっています。

一昨年から飲んでいるホルモン剤のアロマシンについては
もともとホルモン剤に腫瘍を縮小させるほどの強力な効果がないことは
最初から分かっていて「治療してほしい」と強く希望する
家族向けのパフォーマンスみたいなものですが、幸い大きな副作用もないし
今治療していただいている緩和ケアだったら「ホルモン剤は効いていません。
ですから、もう打つ手はありません」的な宣告をされる心配もあまりないので
こっそりこのままいけるところまでいけたらいいなと思っています。

相変わらずの本の虫で、ネットサーフィンしていたら
2017年の「このミス大賞」を受賞した
「がん消滅の罠 完全寛解の謎」(岩木一麻著)というのを見つけ
1月12日発売だったのですが、さっそく昨日ゲットしました。
医療本と間違えそうなタイトルですが、れっきとしたミステリーです。
残念ながらKindle版はありませんでした。
いやぁ、これはなかなか面白そうです。
本と映画だけはそれなりに場数を踏んでますから
ビビッとくる自分の直感みたいなものに、それほどハズレがありません。
もしも本当に面白かったら、またブログでも書きます。

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お正月映画噺

2017-01-02 15:33:14 | 社会・生活
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

大晦日も元旦も、ダンナが14:00~0:00(夜の12時です)
のシフトだったので、平常通り、洗濯、掃除、食事の用意、買い物
その合間に、数の子とか、今年は栗きんとんとか何品かを作り
お魚類は30日の仕事の前に、車で買い出しに連れていってもらいました。

市販品と手作りとを組み合わせて一応定番のおせちらしきものにし
あとはお刺身とかハムとかつまみになりそうなものをそろえて
今日が一日遅れのお正月。
ダンナはいいぐあいに出来あがって、現在こたつで爆睡中です。

大きな体調の変化はないものの、もうあまり無理をしたくないので
長男家族も、娘夫婦も、十月にうちで一緒にごはんを食べて
お正月の接待はパスさせてもらいました。
もともと「盆だから、正月だから実家へ」という
しきたりみたいなのが好きではないし
短い休みが実家巡りみたいになるのは「何だかなあ」という思いもあります。
お互い時間が取れて会える時に、ちょっと顔が見れたらいいかなという感じです。

この前Kindle廃人になりそうな危機感を感じて
新年が来るまで、アマゾンにお金をチャージするのを封印しました。
300円、500円のものでも、ホイホイ買っていたら
すぐに3000円になり、5000円になります。
読み終えるとつい「なんか面白いのないかなぁ」と検索を始めるのは
やっぱり依存症状態で危険です。

大晦日大体の家事を終えて
「そうだ、一年間がんばった自分へのごほうびに
オンデマンドで、観たかった映画をみよう」と
ひとり黙々とご飯を食べながら「死霊館エンフィールド事件」というのを観ました。
「貞子VS伽椰子」以来あまり面白いホラー映画に出会わなかったのですが
これはなかなかよくできたホラーだったと思います。
「ああ、面白かった。満足満足」という感じで
今年は紅白などの年末番組は完全スルーして、11時ごろには布団の中でした。
Xlapanは、30日に「SONGS」の再放送がばっちり取れたので
どうでもいいのを山ほど聞かなければいけない紅白はもうパスしました。
さらに元旦はケーブルで、豊田史郎監督の「四谷怪談」が放送されたので録画。
今年はなんとなくホラー運のいい一年になりそうです。

TVの録画が増えすぎてぐちゃぐちゃになってきたので
昨日は「映画」のホルダーを作って、せっせと移動する作業をしていました。
この2年ほどで録画した映画は約40本。
引っ越しで泣く泣く処分した永久保存版のビデオ
「地獄の黙示録完全版」「ブレードランナー」「ルードヴィヒ 神々の黄昏」
「愛の嵐」「サイコ」などが再録画できたのは、ほとんど奇跡と言っていいような気がします。
最近観た中では「ファイト・クラブ」「戦慄の絆」「イミテーション・ゲーム」
「ガタカ」日本映画だと「岸辺の旅」なんかは超絶面白かったです。
こうしてみると、実は私は、人間同士の心の葛藤みたいなものにはあんまり興味がない。
要約すると「どうしようもなく過激で、絶望的で、それでいて非現実的な美しさ」が感じられるもの
そして「自分がまだ観たことがない」風景に強く魅かれるのだろうなと思います。
人間の心にしても、好きとか嫌いとか、悲しみとか憎しみとか喜びとか
そういう感情の、その先にあるものが本当は見てみたい、知りたいのだと思います。
(しかも、宗教とかが絡まないもの 笑)

いやぁ、相変わらず「なんじゃ、そりゃあ」な感じではありますが
正直なところ、面白い本や映画に出会った時の満足感やいい音楽を聴いた感動は
ギャンブルなんかより100万倍も1000万倍も大きいと思うのですが
たとえばその感覚を、どうやってもダンナに伝えることができません。
これは、12ステップで回復に取り組める人と
どうしてもそれができない人の間にある感覚の違いにも通じるような気がします。
つまり私にとってのハイヤーパワーは、本、映画、音楽なわけです。
というわけで、今年もハイヤーパワーの導く道を邁進します。
(ギヤマノンで真面目に12ステップを学ばれている方には
絶対「違う!」って怒られると思いますけど 笑)


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家庭内本屋生活

2016-12-05 10:44:51 | 社会・生活
11月は無事にSIONさんのライブにも行けて
「もうこれで思い残すことはない」モードでしたが
実は延び延びになっていた、伊藤計劃さんの「虐殺器官」のアニメ映画の公開が
2月に決まり、そこまではがんばらねばと決意を新たにしています(おおげさな)

Kindleが来てひと月半
寒くなってきたこともあって、引きこもりの度合いが加速していますが
先日ダンナが「Kindle何冊になった?」と聞くので数えてみました。
今野敏さんの警察小説「宰領 隠蔽捜査5」「転迷 隠蔽捜査4」そして「触発」
ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」(上・中・下)の三巻
相場英雄さんの、原発事故に絡む補償金詐欺を描いた社会派小説「共震」と
榎本憲男さんの「エアー2.0」
そして貫井徳郎さんの「愚行録」と柴田よしきさんの「激流」(上・下)

あとは、久しぶりに円城塔さんの短編「世界でもっとも深い迷宮」と
伊藤計劃さんの「ハーモニー」とのつながりで
神林長平さんの「今集合的無意識を」
それとサンプル版でダウンロードされた「教団X」とか
吉田修一さんの新作「犯罪小説集」のお試し版とか。
ダンナには「数えてみたら買ったのは13冊やったよ。全然たいしたことないよね。
Kindleは1000冊くらいダウンロードできるみたいやし」と返事しましたけど
事実をなるべく少なく見たい、見せたいというのは、ばっちり依存症者の発想です(笑)
(100万円借金があるのに「50万くらい」なんていうアレ。
もしくは300万借金ある人に会って「俺は100万だから少ない」と思うアレ)

この一見バラバラな、自分の読書傾向を自己分析してみました。
まず「自分が生きている、半径1キロとか3キロの範囲の出来事が中心の物語」です。
自分自身とか家族(親子とか夫婦、兄弟姉妹など)職場の上司とか同僚、部下
学校の先生とか友人、隣人知人といった、限られた関係性の中だけで話が進むもので
「愚行録」とか「激流」、先日紙の本で読んだ「コンビニ人間」とか「クリーピー」がこれです。

もう一つは「自分の周辺だけではなく、日本とか世界の政治とか経済とか社会の現実を
視野に入れて、それらとの関係性の中で、人間を描いていく物語」で
今野敏さんや相場英雄さんの社会派ミステリーがそれで
松本清張さんや宮部みゆきさん、東野啓吾さん
そして吉田修一さんなんかの一部の作品ともリンクしていて、私はこのあたりが一番好きです。

過去にも書きましたが、例えば長年苦しめられた依存症の問題ひとつにしても
その原因や対応の方法を、半径1キロ(本人、家族、友人知人といった)の範囲だけで考えると
私のような凡人は、間違いなく行き詰まります。
本人が悪いのか、いや自分が悪いのかもしれない
生育歴に問題があった(親のせい)のか 仕事のストレスか などなど
どれだけ考えても堂々めぐりで、突破口が見えません。

そこで、個人を取り巻く社会のありようを知る努力をすると
これだけたくさんの、様々な依存症者を生み出している直接の原因が何で
その背景には、どういう政治や企業の考え方や姿勢があり
そのことが、さらに依存症を予防したり治療に取り組むために必要な
規制や対策をも阻害しているかを、おおざっぱにではありますが、理解することができます。

知ることで、即そうした現実を変えることができるわけではありませんが
少なくとも個人にすべての責任があるという、閉塞的な考え方からは抜け出すことができます。
そして更にその先に何があるのかを私に見せてくれたのが、伊藤計劃さんであり
伊藤さんを通して出会ったSF作家さんたち。
今月読んだ本であれば
「エアー2.0」とか「今集合的無意識を」などが描いている、第三の世界観でした。
まあそこは、人類が絶滅したり、人間の意識が消滅したりする
なかなか剣呑な世界ではあるのですが。

「圧倒的なリアルの力に対抗するには優れたフィクションしかない」
これは「今集合的な無意識を」の中のことばですが
このフレーズは、私の胸にすっと落ちました。「ああ、そういうことなのだな」と。

「何を言ってるのかサッパリ分からん!」と怒られそうなオチしか書けませんが
老化と劣化でヨレヨレの前頭葉を何とか活性化させながら
こうして折々に頭に浮かんだことを書いているこのブログ
読んでいただいている方には本当に感謝しています。


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私にとっての「今日一日」

2016-11-30 10:58:11 | 社会・生活
そろそろ来年のカレンダーを、という季節になりました。
当然猫物で、この三年ほどは「猫川柳」というシリーズにしています。
岩合さんのカレンダーと、どっちにしようかと迷いましたが
やっぱり来年も「猫川柳」でいくことにして、アマゾンに注文しました。

一昨年の春、乳がんステージⅣの告知を受けた時は
私も、おそらく家族や友人の脳裏にも「来年のお正月は無理かも」という
思いがよぎったと思います。病名と進行状況からいって
そういうイメージの病気だからです。

最初から治らないということは分かっていましたから
とにかく一日でも長く普通に暮らしたいと思って
比較的副作用が軽いといわれる
ホルモン剤での治療を選択して、今に至っています。

ホルモン剤には腫瘍を縮小させるほどの強力な効果は望めないので
自壊している患部は、少しづつ増大し続けていて
あと少しで腋のリンパ節の転移部分とくっつきそうです。
浸出液は終日出ていて、大量ではないまでも出血もあります。
患部のある左の手は、肩から手首までむくみがあって
まっすぐ手を挙げるのは無理で、あまり重いものは持てません。
そんな状況ですから、主治医の先生にも、私自身も
これから、いつごろ、どんな風になっていくかの予測は立ちません。

今でも日常生活にはほとんど支障がなく暮らせていますが
だから半年後、一年後も大丈夫というふうには考えていません。
けれどそれは、自分の病気や将来を悲観的に考えているのとは少し違います。
何回か書いていますが、治らない乳がんを告知されてから
今まで依存症の話の中で、何回も聞いた「今日一日」という言葉が
私にとって、大きな意味を持つようになりました。

もしかしたら、これが最後の一日になるかもしれない
今日一日が、何事もなく終わるだけで幸せ、なんて書いていると
「あ~あ、きれいごといっちゃって」と、頭の中で悪魔の声がします。
最近ずっと浦沢直樹さんの「ビリー・バット」を読んでいたので
もしかしたらコウモリの声かもしれませんが(笑)

自分の病気については、それほど心配をしてないのですが
ダンナのこと、子どもたちのことでは、不安がまったくないなんてことはありません。
特にダンナ。酔って煙草つけたまま居眠りしてたりするのを見ると
「私が死んだあと、この人は大丈夫なのか」と思いますが
そんなことを考えていたらきりがありません。

そのダンナ、先日一緒に行ったSIONさんのライブが
よっぽどインパクトがあったのか
ライブ後「車で聴くからCDを買いたい」と言うので
入門編として、代表曲がほとんど入っている2枚組を買いました。

乳がんを告知された頃、音楽のブログで
SIONさんの「後ろに歩くように俺はできていない」という曲を紹介しました。

「後ろに歩くように俺はできていない 今日を行くだけだ たとえ亀より遅くとも」

という歌詞が、その時の自分の気持ちにピタッとハマったからです。
その私の心の師匠であるSIONさんの歌に、ダンナの気持ちが少しでも動いたとしたら
こんなにうれしいことはありません。

そしてこの前、娘に「お母さんみたいに、60才近くなったからの乳がんっていうのは
高血圧なんかと同じで、老人病の一種だと思うよ」と言ったら
「またそんなことを。お母さんのそういう俺様理論は認めないから」と
手厳しくはねつけられましたが
私としては、こんな感じの「今日一日」を一日一日つないで
行けるところまでいくのが今の目標。
そして、できるだけ自然に、終わりに近づけていけたらといいなと
こっそり考えているわけです。



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りりィさん

2016-11-24 10:33:03 | 社会・生活
思い出話をするようになると、なんだか自分がひどく年寄りになった気がするのと
基本的に「過去」になった時間を蒸し返さないというか
振り捨てていくほうが性に合っているので、あまり昔のことは言いたくないほうです。

そんな私でも、不意に30年、40年昔にタイムスリップする瞬間があります。
SIONさんのライブに行く直前
二人の、とてもなつかしいミュージシャンの訃報が流れました。

そのうちの一人がりりィさん。
十代の頃に「タエコ」というアルバムを買いました。
「私は泣いています」という曲がヒットして、それが入ったアルバムでした。
当時、初期の中島みゆきや浅川マキ、そしてりりィ
ハスキーヴォイスの、これでもかというくらい暗い歌が好きでした。
亡くなられて知ったのですが、りりィさんは、私よりも3つ年上。
その頃20代の前半だったわけですが、すごく大人の雰囲気がありました。

その後しばらく活動されていない時期があって
再びりりィさんに出会ったのは、黒沢清監督の映画「ニンゲン合格」
それからは、ちょくちょくドラマや映画に出演されていました。

今年の春、娘に誘われて観にいった「リップヴァンウィンクルの花嫁」
AV女優をして大金を稼ぎ、そのお金で御殿のような屋敷に住み
おとぎ話のような暮らしをする真白(Cocco)という女性の母親役。
末期の乳がんを告知されていた真白は、自ら命を絶ち
遺骨を届けにいった、黒木華さんと綾野剛くんの前で
りりィさんは全裸になって「裸は恥ずかしい」と叫ぶ。
さすがの黒木華さん、綾野剛くんもかすんでしまうほどの渾身の演技でした。

現在封切られている「湯を沸かすほどの熱い愛」などにも出演されていて
音楽のほうも、中止になったものの
5月までライブをされる予定だったようです。
ミュージシャンとか俳優とかの肩書にこだわらず
自分にできることを精いっぱいやる
その揺ぎなさが、かっこいいです。心から憧れます。

浅川マキさんは、りりィさんよりももう少し年長で、8年ほど前に他界されました。
そしてこのお二人は、私が知る限り
女性ミュージシャンの中では、とにかく「紫煙の似合う女性」でした。
あれから40年が経った今でも、
煙草の煙が漂う中での、浅川マキさんとりりィさんのたたずまいは
やっぱり私には絶対届かない大人の女のイメージなのです。

りりィさんが亡くなられた原因は肺がんだったということですが
向こうの世界でも、おいしそうに煙草をくゆらせておられるのでは
なんて思っています。ご冥福を心からお祈りします。

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Kindle廃人

2016-11-05 16:52:28 | 社会・生活
タイトルだけで内容の想像がつくような話ですが
10月の上旬に、子どもたちからKindleをもらって
最初は可愛く無料コミックなんかを読んでいたのが
じき物足りなくなって、貫井徳郎さんの「愚行録」を購入。
これも二日ほどで読み終えて「これはいかん。
やはりぐったりするような骨太の小説にしないと
すぐに終わってしまう」と「ダ・ヴィンチ・コード」(上・中・下)を購入。

「ダ・ヴィンチ・コード」は、今公開中の映画「インフェルノ」と
同じ作者さんでレオナルド・ダ・ヴィンチとかに代表される中世美術と
キリスト教や、そこに隠された暗号の謎を解くという
私には未知の分野のミステリーで、映画もまだ未見です。

予想通りなかなか面白いですが
寝る前に読むのには、結構集中力がいる内容なので
夜の読書タイム用にと、今野敏さんの、隠蔽捜査シリーズから
まだ読んでなかった「転迷」と「宰領」をダウンロード。
こちらは、一番好きなジャンルの社会派ミステリーということもあって
それぞれ3、4日で読了しました。
同時進行で「ダ・ヴィンチ・コード」は現在中巻まで終わり。
こちらは、既定の家事を終えた午後の休憩時間に少しづつ読んでいます。

そこで気づいたことがあります。
私は今でも眼鏡は使いません。
かろうじて文庫本までなら、裸眼で読むことができます。
けれど多少は老眼が入っていますから、文字の大きさとかその日の体調によって
字がぼやけることもあり、目と本の距離を調節しなければいけないこともありました。
それがなんと、Kindleだったらどの位置に置いても文字がボケない!
普段ぼろくそに言っているテクノロジーの素晴らしさを痛感しています。

で「隠蔽捜査」関係を読み終えて「さあ、どうしようか」と思っていた時に
最近ブックオフに行くたびに探していた榎本憲男という人の
「エアー2.0」という、これまた社会派ミステリー。
なんとKindle版がありました。
のっけから「東京オリンピック開催直前の、新国立競技場に爆破予告のテロが
仕掛けられる」という私のツボ中のツボな展開で、大当たりの予感です。

でも、少し冷静に考えてみると
こうして家にKindleがあるというのは、家に本屋があるのと同じです。
amazonで紙の本を買っていた時は
注文してから受け取るまで、2,3日かかりますが
Kindleだと、本当に1クリックで、一瞬で欲しい本が手に入ります。
しかもおすすめリストで「読みたい」をクリックしてみたら
なんと10冊ほど、サンプルがダウンロードされてしまいました。
ここまでくると、かつて本にもなった「ネトゲ廃人」ならぬ「Kindle廃人」という言葉が
頭をよぎりました。今の時代「依存」の落とし穴は、本当にどこに潜んでいるかわかりません。

まさか本の押し売りがあるとは夢にも思いませんでしたが
本が売れなくなったと言われて久しい現代では
これも仕方がないことなのかもしれません。

家で本ばかり読んでいると、人と話をすることもほとんどなく
まさに引きこもりの状態なので
これでは精神衛生上もよくないだろうと
昨日は娘と、mouse on the keysという
インストロックバンドのライブに行きました。

ダンナは夜勤明けでしたが
「晩ご飯の用意は、ばっちりしていくから」と言って、O.Kをもらいました。
内心は、もうそろそろ、夜のライブハウスでの2時間近いスタンディングライブは
無理なのではないかとも思いましたが
まだ起きてないことを心配する予期不安はあっさり止めて
やはり今やりたいこと、できることをやることにしました。あとは野となれ山となれです。

自分が好きなジャンルの音楽で轟音のシャワーを浴びると
細胞の一つ一つが活性化する感じがするのは相変わらずです。
(がん細胞が活性化したらマズいですけど)
夜だし、ライブハウスの中も暗いし
性別不明、年齢不明みたいな異空間ですから
何の気兼ねもなく、ただただ音に酔うことができました。
本と映画と音楽と。この世界もまだまだ捨てたものではありません。


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ゴジラ考

2016-10-08 11:35:46 | 社会・生活
夏に「シン・ゴジラ」を観て
映画の感想を書こうと思ったのだけど
映画好きさんの間では「ゴジラ」第1作(昭和29年)を観ずして
ゴジラを語るなかれ、みたいな空気がありました。
それではということで、おりしも「ゴジラ全作品DVDコレクション」が発売されて
初号が「ゴジラ」(昭和29年)で、しかも初号のみ大特価の890円
というので、買い込んでしまいました。
(「シン・ゴジラ」についての感想は映画ブログに書きましたが
あちらでは書き足りないことがあったので、改めてこっちに書くことにしました)

昭和29年といえば、私が生まれる1年前。
戦争が終わって、日本が復興に向けて歩き出した時期ですが
戦争の記憶は、まだほとんどの人の中に鮮明に残っていた
そういう時期に作られたこの「ゴジラ」は、水爆実験の落とし子で
人間が抗うことができない、圧倒的な暴力と破壊の象徴として描かれました。

今回の「シン・ゴジラ」は、この1作目の「ゴジラ」へのオマージュで
かつての戦争の脅威が、3.11の、震災と津波、原発事故の恐怖に置き換えられて
そういう極限の事態に、政治は、人間はどう向き合うかが描かれ
それでも日本は、日本人は復活する、不死鳥のようによみがえるという
「スクラップアンドビルド」で、締めくくられました。

けれど映画館で「シン・ゴジラ」を観ていて、私が感じた違和感は
「これは、子どもが観て面白いと思えるゴジラじゃないな」ということでした。
子どもの頃、私が映画館で観たのは「キングコング対ゴジラ」
「モスラ」そして「三大怪獣最大の決戦」です。
「三大怪獣最大の決戦」では、ずっと悪役だったゴジラが
宇宙からやってきた凶悪怪獣キングギドラと戦うために
モスラに説得されて、ラドンと一緒にキングギドラをやっつけるという
大人になって観ると、なかなかシュールで笑える展開ですが
なぜか正義の側になって、顔も少し優しいというか、おもろい顔になっています。
この映画でのゴジラは、ひたすら岩を抱え上げて、キングギドラにぶつけるという
筋肉バカみたいなキャラでしたが、私はこのゴジラが一番好きでした。

今思えば、昭和30年以降、日本は急速に復興が進んで
社会のムードもどんどん明るく、活気のあるものになっていく中で
怪獣映画は、ファミリー向けの娯楽映画の路線になっていました。
そして、そもそもこの時期怪獣映画が隆盛を極めた背景には
昭和28年から放送が開始されたテレビの電波に乗って
当時の子どもたちに大人気になった特撮ドラマの
ウルトラシリーズの存在がありました。

身近に小さな子どもがいないので、今の子どもたちにとって
ウルトラマンはどうなのか分かりませんでしたが
このところ長男のところの4才の孫を
熱を出したとかで、毎月1回くらいのペースで預かる羽目になりました。
この子が今まさに「ウルトラマン命」で
バックにウルトラマンや怪獣を何体も入れてやってきます。
ケーブルのオンデマンドで、昔のウルトラマンの映画やドラマをつけてやると
一生懸命観ながら、持ってきたおもちゃで真似をしています。
そばで見ていて、すっかりうれしくなりました。

アメリカでは「スーパーマン」や「バットマン」などのヒーロー文化が主流ですが
「ウルトラマン」に代表される、ユニークでデザイン性も高い
怪獣文化は日本が発祥で、日本で育まれ、ゴジラはその代表格です。
「ゴジラ」はアメリカでも映画化されましたが
アメリカ人というのは、変なところに生真面目で融通がきかないのか
「(日本のゴジラの)あの体型で、二足歩行はありえない」と
出来あがったゴジラは、巨大なイグアナというかトカゲというか
怪獣というより、恐竜に近い造形でした。
これに怒った東宝が、日本のゴジラ復活の悲願に燃えて作ったのが
今回の「シン・ゴジラ」だという説もありますが、真偽のほどはいかに。

日本だけでも28作も作られたゴジラ映画の中では
ゴジラもお茶目になったり、凶悪になったり、何度も変遷しています。
けれど、今回の「シン・ゴジラ」では、主役はあくまでも人間で
人間中心にすべてが進んでいきました。
小さい子どもが観て、単純に「ゴジラすげぇ」と驚嘆するような
場面がほとんどありませんでした。
日本が誇る怪獣文化を、次世代に継承できる要素
最近よく聞く、いわゆるレガシーがあまりにも
少なかったことが、私としてはとても残念でした。
それくらい、ゴジラ映画である必然性が感じられなかったのです。

過去のゴジラになんの思い入れもなく
単純に怪獣が出てくるパニック映画として「シン・ゴジラ」を観た人や
監督が「エヴァンゲリオン」の庵野監督だったので
「エヴァ」や庵野監督の作品が好きな方には
違和感なく受け入れられたようですが。

ぶっちゃけ、改めてゴジラ28作を全部しっかり観て
ゴジラをちゃんと研究してみたいと思わなくもないですが
こうして、やりたいことがどんどん増えていくと
結局すべてが中途半端で、とっちらかるのが
私の最大の欠点でもあります。
なので、家族が誰も真剣に聞いてくれない
現時点までの、ゴジラ観をつらつらと書いてみました。
書くことが最大のストレス解消という性質は相変わらずです。


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終わった~(嬉)

2016-10-02 15:59:16 | 社会・生活
春先に、今住んでいる市営住宅の組長をという話が来た。
50世帯と規模が小さいので、自治会長さんがおらず
居住者が、半年づつ持ち回りで組長をやる。

ここで終わらせておけば、次に順番がくるのは
7、8年後とかになるはずで、半年だったら何とかいけるだろうと引き受けた。
主な仕事は、回覧板を回すのや共益費の集金
団地の清掃の時の道具出しとか、消えた蛍光灯の交換
あとは町内会から要請がある会議や夏祭りへの参加。

私の病気のことは、お隣のとても親切な奥さんと
今回一緒に組長をした奥さんの、二人だけしかカミングアウトしていないけれど
今のところ日常生活は、ゴミ出しでもなんでも普通にやっているので
特に困ったこともなく、お盆の頃までは、無事にやりおおせた。
あとひと月ちょっとで終わると、ホッとしたのだが。

明日からお盆という日の午後のこと。
ダンナが夜勤明けで、昼間寝ていたので
「チャイムを鳴らさないでください」とメモを貼っていた。
にも関わらず、どんどんとドアを叩く音がして、いきなりチャイムが鳴った。
飛び上がって、外に出ると、見たこともないオッサンが。
「あの、主人が夜勤明けで、寝てるものですから」というと
そのオッサン「私も寝とらんと。ずっと起きとるんやけん」

オッサンが怒鳴る話をまとめてみると
どうやらこのオッサン、タクシーの運転手で
明け方仕事から帰ってくると、住宅の駐車場に暴走族がいるのだという。
住宅の駐輪場に放置されたバイクが何台かあって
それで暴走族がたむろしているに違いない。
このままでは、どんどん人数が増えて手がつけられなくなる
お前組長なんだから何とかしろ
夜中の2時、3時に、金属バットでも持って見回りしろと言わんばかりだった。
(いや、確かに組長やけど、私山口組の組長とかやないし by心の声)

まずは「とにかく今日にでも警察に行け」という。
「あのお盆なので、お盆が終わってから」と、ごにょごにょ言ったら
「あ~ん、警察に盆も正月もなかろうもん」と凄まれた。
私は、これ以上うつむけないくらい下を向いた状態で
頭をフル回転させていた。

<ヤバい。このオッサンは、絶対ヤバい。売り言葉に買い言葉で
こっちが言い返したりしたら、もし組長の当番が終わっても
この先事あるごとにイチャモンをつけてくるようなタイプだ。
何とかこのオッサンを、完全に撃退する方法はないか>

そこで、私の頭にひらめいたのが過呼吸。
私は過呼吸はないのだが、娘はストレスがかかると出ることがあって
お友達にも、過呼吸が持病という人がいる。
で、とっさに、胸を押さえ、自転車につかまろうとよろめいてみせた。
オッサンは慌てた。
「なんね。あんた、大丈夫ね」
肩を上下させながら、口をパクパクさせる私。
「あー、俺がなんかしたみたいやないね」
(したんだよ。お前がby心の声)
「あんた一人で、どうもならんやったら、呼びに来たらいつでも手伝うけん」
オッサンは、そう言い捨てると、そそくさと姿を消した。

二年前に引っ越した市営住宅は、終の棲家とは言っても
ダンナはともかく、私にとっては、5年後10年後も住んでいる可能性は低い。
だから残りの時間を、できる限り、トラブルを起こさず
なるべく誰の目にも止まらないで、ひっそりと暮らしていたい。
隣の奥さんにこの話をしたら(仮病使ったとこはふせました 笑)
あのオッサン夫婦は、以前から、何かと問題のある人たちだということだった。
よく分からないが、自分が抱えるうっぷんを
なるべく弱くて反論できなさそうな相手にぶつける、そういうタイプなのだろう。
イジメの加害者になる小中学生や、子どもを虐待する親的な。

翌日、もよりの交番のお巡りさんに来てもらい
暴走族のことや、放置バイクの話をすると
ヤンキーらしき子どもが、どの家の子か、お巡りさんは知っているようだった。
「何かあったら、すぐに110番してください」と言われて
そのやり取りを書いて、掲示板に貼りだした。
あれからオッサンは来ない。今度来たら倒れてやろうと思っている。

そして今日、校区の運動会の手伝いが最後の仕事だった。
運悪く、住宅の清掃草取りと、かちあってしまい
朝8時から掃除をして、その後小学校の運動場にお昼まで立っていた。
けれども、これで組長の仕事は、完全に終わった。
体が普通に動くうちに、終わらせておこうと思っていることが
ひとつづつ終わっていくのはよいことだ。

それでも、生きている限りは、何かしらやることはある。
今日一日、やらなければいけないこと、自分のためにできることややりたいこと
そして、たいして役には立たないけど
誰かのためになりそうなことがあるなら、それをやること。
もうあまり未来のことを考える必要はなくなったから
今日一日のことだけを考える、それでいいのだと思う。
<今日一日>それは、依存症から回復するための
唯一無二の、揺るがない真理でもある。

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ハードスケジュール

2016-09-25 10:40:01 | 社会・生活
20日は、娘から誘われていた映画「怒り」を観に行きました。
数年前に、娘に「悪人」の本を貸したら
吉田修一さんに激ハマリし「悪人」の映画も観て
二人で吉田修一さんの本を次々に読破しました。
そして一昨年の私の誕生祝いに「怒り」の上下卷を
新刊でプレゼントしてくれたので、これも回し読みしました。
珍しく娘と趣味が合う作家さんの一人なので、映画鑑賞も即決でした。

私が心酔する高村薫さんや伊藤計劃さんは
「ハーモニー」だったらいけるかなぁと貸してみましたが
「ごめん、これは無理みたい」と返品されました。
高村さんもダメでした。
それでもアニメ化された「屍者の帝国」や「ハーモニー」を
一緒に観にいってくれたのは、親孝行のつもりなんだと思います。

長男も、今野敏さんの警察小説なんかは親子で好みが合いますが
私のいち押しに関してはダメなようです。
映画や音楽も同様で、ぴったり趣味が合うということはほぼありませんが
部分的に共感できるというものはいくつかあります。
親子といい、夫婦といっても
一人ひとり違う人間ですから、それが当たり前で
それでいいのだと思います。

さらに22日から24日まで
ダンナが、一年に一度あるかないかの3連休。
実は7月にもホークス戦に行こうかという話が出ましたが
チケットが取れず「残念やけど、また今度ね」と言ってたら
いつの間にか、9月22日の日本ハム戦のチケットをゲットしていました。

ダンナは、喜怒哀楽というものをほぼ表面に出しません。
だから、何が楽しいのか、どのくらい楽しいと思ってるのか
40数年一緒に暮らしていますが、いまだにさっぱり分かりません。
でも、自分からチケットを買ったということは
ホークス戦観戦は、かなり楽しかったのでしょう。
ただ、何にしても、一人でも行くということはなく
もれなく私が一緒に行くと確信しているふしがあって
そこが、どうしても観たい映画やライブだったら
一人でひょいひょい出かけて行く私としては、不可解ではあります。

今回の日本ハム戦は、天下分け目の首位決戦ということで
負けはしましたが、かなり切迫した好試合でした。
ちなみに私は、森福投手、細川捕手、そして今年の前半大活躍だった
城所選手を応援しています。
ヒーローインタビューなどにはほとんど登場しない
縁の下の力持ちだったり、下積みの苦労人タイプが好きです。

そして、スポーツだけでなく、作家さんやミュージシャン、俳優さんなんかでも
華やかに脚光を浴びるスーパーヒーローキャラが大嫌いです。
この歪んだ感情は、一生底辺で生きてきた人間の
恵まれたポジションで生きる人間に対する妬みでありひがみです。
けれど、こうした感情が自分自身にあるから
初期の高村薫作品や、「怒り」のような小説や映画が描く人間や世界に
理解も共感もできるような気がします。
試合は負けましたが、森福投手が満塁の大ピンチを
見事切り抜けるシーンが見れたので満足でした。

さらに23日は、お盆に行けなかった
佐賀のダンナの実家にお参りに行ってきました。
今回のホークス戦は昼の試合でしたが、それでも7時間以上外出し
連チャンで大丈夫かなとも思いましたが
一気に終わらせて、あとはゆっくりできるほうが気持ち的には楽な気がしたので
私にしては過密なスケジュールを強行しました。

若干の不安はあったのですが
やっぱり今日はがん細胞がかなり活性化しています。
「よ~し、いくぞぉ~」とやる気満々な空気が漂っています。
患部のふちのしこりが鮮やかなピンク色で
パキーンと張り切っていて、浸出液の量も増えています。
「今日からまた引きこもり生活に戻るんだからね。
おとなしくしてよね。めっ!」と叱っておきましたが
ちょっと体力が落ちると、すかさず勢力拡大を企みます。
まったく油断もすきもあったものではありません。

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なぜ子どもたちはこんなに生き辛いのか

2016-09-03 16:42:43 | 社会・生活
先日娘が猛プッシュして
芥川賞を取った「コンビニ人間」を貸してくれたと書きましたが
実はもう1冊抱き合わせで、同じ村田沙耶香さんの
「しろいろの街の、その骨の体温の」という本も置いていきました。

もはや還暦を過ぎた年で、中学生の女の子が主人公という小説に
どこまで感情移入できるか、共感できるかという不安はありましたが
あればなんでも読むという習性で、とにかく読んで見ました。

そして、今の学校における「スクールカースト」と言われる
クラス内での階級制度に悩む、子どもたちの感覚の一端が少し理解できました。
女の子の話ですから、選別の基準は主に容貌で
「上」のグループにいる子、容姿が醜いために一番「下」のグループにいる子
主人公は「下」から二番目の「大人しい女子」のグループに属していて
つねに「害のない存在」であろうとするが、「下層の人間」である彼女は
あることでクラスメートたちのいじめの標的になります。

もう十五年以上前ですが、私も子育てをしていますから
子どもたちの間にある、こうした階層や序列については多少理解はしています。
成績や運動神経、容貌や家庭環境
ありとあらゆる理由で、様々なパターンのヒエラルキー(階層)ができるのは
大人の社会も学校も同じです。
どういう階層に属することになるかは、なってみなければ分りません。
作者の村田さんは、現在30代の半ばで
実はうちの子どもたちよりも少し年長ですから
この小説に描かれた状況は、それほどかけ離れてはいないのでしょう。

現在学校に行けなくなっている子どもの数は
小学校で 約2万5千人、中学校で約10万人、高校では5~6万人
この数字は、ここ10年間ほとんど変わっていません。
もちろんその全てが、この小説で描かれた「スクールカースト」と名付けられた
学校や学級内での階層や序列が原因だとは思いません。
中学や高校に入れば、受験や進路の問題もあるし
生育環境や親子の問題もあるでしょう。
あるいはこの小説のもう一つの大きなテーマで
親には把握することが難しい性の問題もあります。
おそらく原因は、これとひとつに特定できるものではなく
いくつかの、あるいはすべての要因が複雑に関係していると思えます。

正直なところ、私のこの「しろいろの街の~」の読後感は
どうしようもないほどの息苦しさでした。
今の子どもたちの「空気が読めない」と思われることへの不安
「浮いた」存在や「ぼっち」になることへの恐怖
そうならないために神経をすり減らす日常。
一方の「コンビニ人間」では、幼い頃から人と違った言動が多く
そのために病気と思われた主人公の
社会で「普通」の人、「正常」な人と思われるようになるための戦いが
読み手の心をえぐるような、精緻な描写で描かれています。

娘は中学の終わりから不登校を経験し
その後通信制の高校を経て、その間好きだった絵を描き続けて
芸術系の大学に進学しました。
その頃の体験があるから、おそらく私の何倍も
この村田さんの小説に共感も感動もしたのだろうと思います。

私の仲のいい友達も、それぞれ子どもの不登校を経験しました。
対応の仕方はそれぞれ違いました。
カウンセリングを受けた人もいます。
現代の教育制度や不登校の問題について、勉強を続けた人もいます。
私はと言えば、ただひたすらご飯を作り続けて
子どもたちと、たくさん映画や文学、漫画や音楽の話をしました。
そこだけが思春期の子どもたちとの接点でした。
どれが正解ということではなく
みんなそれぞれに、自分にできることを試行錯誤しながら
精一杯やってきたという感じです。

もしも似ているところがあるとすれば
みんな、自分の子どもたちがなぜそうなったのかが少しわかった
つまり、親である自分たち自身にも
何かしら今の社会のあり方になじめない部分があり
だから何が何でも社会が要求する物差しに
自分の子どもを合わせなくてもよいと思えた
という点ではないかと思います。
まあそんな親だから、子どもがそうなるのだと言われてしまえば
そうなのかもしれませんが。

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マット・スカダー 私のプログラム体験

2016-08-28 16:47:02 | 社会・生活
ローレンス・ブロックという、アメリカのミステリー作家を知ったのは
15年くらい前のことだ。
日本では「倒錯三部作」と呼ばれている、猟奇的な事件を扱った小説が話題になって
「倒錯の舞踏」や「獣たちの墓」を買い込んで、次々に読んだ。

元ニューヨーク市警の警察官だったマット・スカダーは、強盗に発砲した弾丸で
誤って7才の少女を死なせてしまう。事件後彼は警察を辞め、妻とも離婚し
二人の息子たちとも別れて、ダウンタウンの安ホテルで暮らしている。
彼は、正式な探偵のライセンスを持っていないので、知り合いに頼まれた
失踪者の捜索や、未解決の事件の犯人探しなどを
自分なりのやり方で、細々と続けている。

この犯人探しの過程が、ミステリーたる重要な要素だが
「マット・スカダーシリーズ」には、もう一つの、大きな文脈がある。
それはマットがアルコール依存症だということだ。
(初版が出た1970年代の半ばは、まだアル中という言い方が一般的だったのだが)
彼は何度も意識を失って病院に運ばれ、解毒処理を施されて
医者からは「飲めば死ぬんです」と言い渡されている。

「倒錯三部作」のあとに買い集めた「慈悲深い死」や「八百万の死にざま」には
AAに通うマットの話が繰り返し出てきた。
改めてそれらを読み返したのは、8年前にダンナがギャンブル依存症だと分かって
依存症について勉強し始めた後のことだ。
GAに行ってみて、GAのハンドブックや12ステップのワークブックをもらい
読んでみたが、その時は何だかよく分からず、ダンナもまったく関心を示さなかった。

その後何回も、このマット・スカダーのシリーズを読んで
12ステップというのは「ああ、こういう感じなんだな」ということが分かった。
マット・スカダーシリーズには
飲みたいという欲求と、飲んではいけないという理性の間で
揺れ動くマットの気持ちや、禁を破って飲酒してしまう過程や
AAの集会の様子や参加者の話
そしてマットの助言者(スポンサー)ジムとの会話が
繰り返しとてもていねいに描き出される。

特に「八百万の死にざま」では、禁酒を始めてまだわずかしか経っていないマットが
自分でコントロールできると考えて結局失敗し、泥酔いでAAに参加する場面や
AAの集会に参加することや、参加者たちの発言を否定する思いも、赤裸々に語られる。

「飲まないこと、素面でいること、集会に行くこと、そして一日一日が大切なのだ」

そんなことは分かっている。
そして、みんないつも同じような話を繰り返している、こんなことに意味はないと
マットは考える。そして彼はいつも自分が話す順番がくるとこう言うのだ。
「マットと言います。今夜は聞くだけにしておきます」
それが何度も繰り返される。
そんな彼が「八百万の死にざま」のラストシーンで言う。
「マットと言います。私はアル中です」そして彼は泣く。

マットが、自分がアルコールに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなった
すなわち12ステップのステップ1を、心の底から認めた瞬間で
私も思わず泣きそうになったし、初めて「ああ、これなんだな」と腑に落ちたのでもあった。

マットはわりと知的で内省的でもあるが
一方で社会のどうしようもない理不尽さ(人間の死や残酷な事件)に対する
激しい怒りを内側に抱えていて、生きることについて悲観的であり
それが、彼を飲酒に向かわせる大きな原因にもなっている。
けれど、それらは、私がマットの生き様に強く共感できる要因でもあった。

最近マット・スカダーの後半の作品「死への祈り」や「死者の長い列」を読んだ。
50代の半ばになったスカダーは、昔よりはずっと、心身ともに
安定した生活を送っているが、AAの集会には相変わらず出席し続けている。
彼のスポンサーのジムは、「気楽にやろう」「シンプルに考えよう」
そして「集会に出よう」と言い続けた。
それが飲まずにいるために大切なのだと。
スカダーが今どのステップまで進んだのかはよく分からない。
もしかしたら未だにステップ1なのではないかと思う時もある。
それでも彼は、10年間飲まない日々を送って来たのだ。

彼が暮らした70年代のニューヨークではすでに
あらゆる時間に様々な場所で集会が開かれていて
いつでも参加できる環境があった。
それに比べると日本ではいまだに自助グループ自体
「特別な人たちが集まる特別な組織」みたいな状況から一歩も出ていない。
けれど、マットというアル中探偵の物語とずっと付き合ってきて思うのは
自助グループやそこに参加する人たちが
依存症を治してくれるわけではないということだ。
「集会に参加する」という行動が、すなわち回復ということだ。
もしもジムのようなよいスポンサーに巡り合うことができたら
それは幸せなことではあるが。

同様に「12ステッププログラム」も、そこに書かれた言葉を
頭で理解することが回復なのではなく
これまたプログラムを実行することが、回復の過程ということになる。
ただ、スカダーシリーズの「償いの報酬」では
スカダーの知人のアルコール依存症の男が
ステップ9の「埋め合わせ」をしようとしたことが原因で殺されてしまうという
ものすごい話もあるのだけれど。

ジムが繰り返す「気楽に」「シンプルに」という姿勢は
依存症者を抱える家族にとっても、とても大切なことだ。
「自分でなんとかしよう」「短い時間で解決しよう」と焦ったり
ああでもない、こうでもないと悩んだり、苦しんだりしても
あまり良い結果は出ない。
本人の問題は本人に返して、手を放しつつも、孤立はしないように見守る。
いやぁ、さらっと言われますけど、難しいです。

スカダーシリーズ、あと一作「すべては死にゆく」が残っています。
このシリーズほど「死」と親和性の高いタイトルが並ぶ小説群も珍しいです。
どうやらこれが最終作のようですが、実はこれだけが文庫化されていません。
なので延び延びにしていましたが、とにかく何にしても心残りにならないように
近日中に読んでみる予定でいます。



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SION YAON 2016

2016-08-08 11:12:01 | 社会・生活
実はこのブログの検索ワードで
意外に多いのが「SION」
このところコンスタントに検索ワードに出てくるのは
恒例のSION YAONが4日後に迫っているからでしょうか。
なんにしても、こんなに嬉しいことはありません。

今年の1月、福岡に大雪が降った日に
「BIG BEAT CARNIVAL」という
ロック界のレジェンド大集合という、素晴らしいイベントで
初めてSIONさんのライブ
そして「マイナスを脱ぎ捨てる」を生で聴くことができました。
私にとっては、本当に奇跡の夜でした。

SIONさんは、ホントに「ちっちゃなおじちゃん」という感じで
その時は杖をついて出てこられたので
すごく心配だったのですが
(あとで分かったのですが、この時は持病の痛風だったようで)
実際に歌が始まったら、その迫力と存在感は、もう半端なかったです。

今年で55才、デビュー30周年のアニバーサリーの年です。
行きたい思いはあっても、さすがに東京はあまりに遠いので
昨年の「SION YAON 2015」のDVDを買って繰り返し聴いています。
私なんかはファンになって、まだ15年足らずのなんちゃってファンなのですが
それでも自分の気持ちのある部分は
SIONさんの音楽を聴くことで、支え続けたようなところがあります。

私はどうしても特定の宗教に魅力を感じることができないのですが
音楽や小説や、映画なんかでは
「ああ、これだよなあ、これ」と感じる瞬間があります。
けれどそれのどこがどんな風にいいのかを
私の貧弱な語彙であれこれ表現しようとすると
なんだか、どんどん本質から離れていく気がするので
とにかくさわりだけ紹介して
もう「よかったら聴いてください。読んでください。観てください」と
控えめにお勧めするほかはないのです。

こうしたものへの感じ方はひとりひとり違いますから
自分が感じたように他の方が感じられるわけでもないのでしょうが
一人でも多くの方の琴線に触れることができたらと思います。

毎年1回日比谷野外音楽堂で開催される「SION With THE MOGAMI」
SIONさんの歌はもちろんですが
バックで演奏するTHE MOGAMI(池畑 潤二 / 細海 魚 / 藤井 一彦 / 清水 義将)
のメンバーは、今の日本でおそらく最高のロックミュージシャンたちです。

昨年は「真夏にやると真ん中の人(SIONさん)が倒れそうなので」と6月でしたが
今年はまた酷暑の中での開催になりました。
お酒が大好きなSIONさん(痛風の持病も、ビールの飲みすぎか?)
昨年は野音の前1週間ほどは、どうやら禁酒されていたようで
ライブ終了後の映像で、ビール片手に登場。
オーディエンスに向かって「呑んでもいいかな?」と(笑)

私の大好きな「マイナスを脱ぎ捨てる」は、歌詞が追加されて
SIONさんの代表曲の一つになったようで
今年の野音でも、きっとたくさんの人の心に
生きている限り忘れることのできない感動を残すと思います。
暑いのはもうどうしようもないですが
当日悪天候にならず、素晴らしいライブになることを
心から願っています。
音楽ブログに「マイナスを脱ぎ捨てる」のライブ動画をUPしました。
これで2度目ですが、前のライブとは違います。
SIONさんと伊藤計劃さん、そして高村薫さんは
こうして生きている限り、地味に布教活動を続けます(笑)

おまけですが、なぜか「SION 結婚」で検索される方がおられます。
私も詳しくは知りませんが、雑誌のインタビューを読むと
数年前に結婚されています。それ以上は分かりません。
ブログを読む限り、奥様と、愛猫のたまごちゃんと
平穏に暮らしながらも、たゆまず自分の音楽を続けられている
様子が分かります。本当に、ずっとお元気でがんばっていただきたいです。

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雨の観世音寺

2016-07-25 17:13:40 | 社会・生活
博多の街が、まだ山笠でにぎわっている頃
福島の友だちが、夫婦で福岡に来てくれました。
この前来てくれたのは、私が告知をされたすぐ後で
それから2年ぶりの再会でした。

今回はわりとゆっくりなスケジュールだったので
福岡の友人夫婦も一緒に晩御飯を食べようという相談がまとまり
山笠真っ最中の博多の街で待ち合わせ。
お酒好きの男性陣ですが、昼間から酒盛りというのも芸がないので
近場で行けそうなところということで
一緒に大宰府の観世音寺に行くことにしました。

このお寺、福岡にいながら行ったことがなく
おととし娘夫婦とお花見した時に
おねだりをして連れて行ってもらい、すっかり気にいりました。

観世音寺は、九州を代表する古寺で、造営は天智天皇の7世紀頃とされていますが
何度も火災などにあって、現在の建物はすべて近世に再建されたもののようです。
大宰府跡の遺跡のそばの、木立の中にひっそり建つお寺。
その素朴なたたずまいもさることながら
思わず息をのむのが、本堂の脇の宝蔵です。

階段を上がると、フロアをぐるりと取り囲んで立つ、巨大な仏像の数々。
5mに及ぶ馬頭観音や十一面観音など、その数16体。
さすがの不信心者の私も、神妙に手を合わせようという気持ちになります。

震災と原発事故から五年が過ぎて、ニュースになることもほとんどなくなりましたが
福島や、被災された東北の人たちで、震災の前と同じ生活に
戻れていない人たちはまだまだたくさんおられ
表面上は普通の生活をしているように見えても
言葉にできない不安や辛さや怒りは、消えるものではありません。

間接的にせよ、あの震災と原発事故を経験してからは
毎朝家の仏壇に手を合わせて「今日も一日何事もなく終わりますように」
と祈るようになりました。
それもあって、友達を観世音寺に誘いました。
その後、太宰府天満宮にもお参りをしました。

前回来てくれた時は、私も告知をされたばかりで
もう一度会える日がくるとは正直思ってもいませんでした。
まだ梅雨明けする前だったので、残念ながら雨模様でしたが
ゆっくりと大宰府周辺を散策できて、本当に夢のような一日になりました。

夕方からは夫婦三組で、食事というか酒盛り。
もともとは、それぞれのダンナさん同士が
中学や高校の同級生とか部活が一緒というつながりでしたが
お互い年が近いこともあって、奥さん同士も意気統合。
もう三十年来の付き合いになります。
それでもみんな高齢の親御さんを抱え
「やっと子育てがひといきついたと思ったら」というのは
私たちの世代には共通の大きな悩みでもあります。

あまり経験できない、猫の介護を二、三年やったとはいえ
今はのんびり暮らしている私は、なんだか申し訳ない気持ちがします。
「告知をされてから、これでもう二回も会えたから
もうお葬式とか、無理をして来なくていいからね」と言ったら
「またそんな!」とあきれられましたが
なにしろ福島は遠いので、これは私の正直な気持ちです。

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