「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 172 「コンピュータの本質―視覚の「01化」」

2018-11-23 11:00:53 | 日本文学の革命
この現実世界において人間にとってもっとも重要な感覚世界が「視覚」である。人間とは視覚を異常発達させた動物であり(そのためか視覚以外の感覚は他の動物に比べると驚くほど貧困なものになってしまったそうだが)、人間の世界とは「目の世界」と言ってもいい過ぎでないほどなのだ。人間にとって「見えるもの」こそが実在するものであり、確固として感じられるものなのだ。逆に目で見えない世界―光のない闇夜など―は人間にとって不確かなものあり、不安感すらかき立てる居心地の悪い世界なのである。

もちろんこれは人間にとってという意味であり、人間は現実世界をこのように感じ取るようにあらかじめ肉体的に出来ているのである。夜行性の動物にとっては逆に夜こそが居心地のいい「我が世界」であり、太陽がギラギラ輝く昼間の世界はむしろ不安で不安で仕方なく感じられるだろう。(鳥なども人間と同様夜目であり、夜になると飛ぶことができず、巣の中でいつ襲って来るか分からない外敵に怯えて不安な夜を過ごしているのだろう。朝方明るくなった頃、よく鳥たちが樹上でピーチクパーチク騒いでいるが、あれなどは「夜が明けたぞ!」「みんな無事か!」「今日も無事に夜明けを迎えられてよかったなあ!」と歓喜の声をあげているのかも知れない)
動物たちはこの現実世界を、それぞれのやり方で様々に捕えて生きている。モグラなどは視覚などなくても全然平気である。それを補って余りある感覚が他にあるからである。コウモリなどは自らレーザービームのように超音波を飛ばしてそれを視覚代わりに知覚するというハイテクな生き方をしている。すばしっこいハエの目から見たら人間の動きなどすべてスローモーションのように見えるそうである。コアラやナマケモノの目にはおそらく動体視力などほとんどなく、世界は彼ら自身と同じようにいつも眠っているように見えるのだろう。我々の友人―犬も独特の世界に生きている。彼らはその鋭敏な嗅覚を駆使して「匂いの世界」を生きているのである。匂いで形成されている世界など、人間にはとても想像もつかない世界だが、犬はこの現実世界を匂いによって捕えて、そこから人間の視覚並みの情報を得ているのである。
その他にも月の満ち欠けや地球の磁場や天体の運行すら感知する動物がいて、動物がこの現実世界を捕えるやり方は実にバラエティーに富んでいる。

人間がこの現実世界を捕えるための最高の感覚が視覚である。人間は視覚で捕えたものを「リアルである」と感じるのである。逆に人間の視覚さえ満たしてやれば、人間はそれをリアルな実在と感じてしまうのだ。テレビ画面の表面に映し出されている光景―それが野球中継にしろ韓国イケメン俳優たちのドラマにしろ―それは現実に目の前に実在している事物ではない。ただテレビ画面の表面に電磁気的に映し出された映像に過ぎない。しかしそれを人間はリアルなもの、迫真なものと認識してしまい、画面の前でこぶしを振り回したりポロポロ涙を流したりして、よく飼い猫たちから「この人。何してるんだろう?」と不思議がられるのである。(ちなみに猫も視覚よりも嗅覚が発達した動物である。猫はよく飼い主のひざの上で眠りたがる。別にあたたかい場所なら他にもいくらでもあるし、また飼い主の気まぐれ次第でいつでも放り投げられるというのに、そんな場所を好むのは、そこだと飼い主の匂いに包まれることができるからである。安心の出来る飼い主の匂いに包まれて、心安らかに熟睡できるからひざの上で眠りたがるのだろう)
人間にリアルな現実感を持たせるものとして、視覚ほど重要なものはない。だから人間の視覚情報を数値化し「01化」して、それをコンピュータの中に流し込むことができれば、人間の現実世界のもっとも重要な部分をコンピュータ内部に統合することができるのである。

そしてコンピュータはそれを見事に成し遂げたのである。人間の視覚は「赤(R)」「緑(G)」「青(B)」の三つの色の組み合わせとその濃淡でほとんどすべて表現できることが、科学的に実証されている。それぞれの色の濃淡を数値で表し、それを(R、G、B)という配列でまとめたなら、この「RGBデータ」で人間の視覚世界を見事に表現できるのである。RGBデータは一つの数値であり「01化」できるものであり、従ってコンピュータ内部に流し込みその計算処理の対象にできるものである。
これをコンピュータの画面上に映し出す。コンピュータ画面には数学的な座標系のようにX軸Y軸が張り巡らされており、ちょうどエクセルのセルのようなボックスが極小な形で―しかも横長でなく正方形な形で、ぎっしりと詰まっている。この目に見えない点のようなボックスにRGBデータによって表現された色を流し込んでゆけば、リアルに感じられる映像を再現できるのである。さらにこれを瞬間瞬間に変化させてゆけばリアルな動画も映し出すことができるのだ。

コンピュータ画面上に膨大に存在するこのボックスに様々な色を流し込んでゆくことなど、しかもそれを瞬間瞬間に変化させて映し出すことなどはなおさら、人間技では不可能なことである。一昔前のコンピュータでも困難だったことで、写真一枚映し出すにも数分数十分かかり、その間ぼーっと待っていなければならなかった。しかしコンピュータの計算能力がさらに向上した今日、写真などは瞬時に映し出されるようになり、動画もスムーズに鮮やかに再生できるようになっている。もっと向上すれば三次元的空間の中でも映像データをリアルに映し出すことができるようになるだろう。コンピュータは人間の視覚世界をコンピュータ内部に取り込むことに成功したのである。

しかし現実世界そのものがコンピュータに取り込まれた訳ではないことに注意すべきである。現実世界は様々な生物によって様々な捕え方がされるものである(ついでにいえば、この現実世界は人間が現われる以前にも存在したはずだし、人間が消えた以降にも存在し続けるだろう)。この場合は人間の視覚で捕えられるような世界が、コンピュータ内で再現されただけなのである。ただそれは人間にリアル感を与えるには十分なものなので、人間に「ついに現実世界がコンピュータによって作られるようになった!」という錯覚を与えただけの話なのである。