「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 168 「コンピュータの本質―「01化」と論理回路」

2018-11-09 14:00:49 | 日本文学の革命
よく知られているようにコンピュータの内部ではすべての情報が「0」「1」として処理されている。回路に電流が流れている状態もしくは帯電している状態を「1」とし、回路に電流が流れていない状態もしくは帯電していない状態を「0」として、すべての情報の処理や蓄積が行われているのだ。コンピュータの内部ではすべてが「0」「1」として二値化されていると言えよう。

この二値化されているところは命題論理学と共通している。命題論理学でもすべての命題は「真」「偽」によって二値化されており、事態が成立した状態を「真」、成立していない状態を「偽」として値づけている。ただ命題論理学の場合は、単位と成るものが命題―世界に現に渦巻いている様々な事象や事態、言語的に言えば文章なので、それ自体が意味を持っているのであるが、コンピュータの場合は電流が流れる流れないの物理的な状態だけで、それ自体には人間的な意味など持っていない。
この「真」「偽」二つの値を持ち得る命題を「または」「かつ」「でない」などの論理的演算子で繋ぐと様々な複合命題―式が生じる。この式に「真」「偽」様々な値を代入すると、計算結果として式自体の「真」「偽」も導き出されてゆく。たいていは日常経験に照らしてよく分かるように、運次第や本人の努力次第でどちらの値にも成り得る偶然式である。しかし中にはどんな値を入力しても結果は必ず「真」になるという「絶対真」の式もある。これが恒真式トートロジーであり、このトートロジーを見い出してゆくことで、世界の論理的法則性、世界の論理的足場を求めてゆこうというものが命題論理学であった。

コンピュータの「0」「1」も二値化なのだが、命題論理学のような意味性はそこにはない。ここにいくら「神は存在するのか否か」「彼女は僕を愛しているのか否か」と問いかけても本来馬耳東風で聞き流すだけである。しかしこの「0」「1」にもある一つの意味を持たせることができるのである。それが二進数であり、人間が使っている数字である十進数を二進数に変換することで、この本来電流が流れる流れないの物理的状態に過ぎないものに数字的意味を持たせることができるのだ。たとえば「0」「1」が並列的に並んだもの「00001100」は人間の数字では「12」であり、この無機質な「01」回路に人間的な「意味」を持たせることができるのである。

たしかにそれは言語的意味ではなく単なる数字的意味なのだが、それでもそこには大きな意味を持たせることができる。たとえばこの「12」が「12万」の意味であり、月の給料として銀行口座に記された値だとしたら、これを見た人間はガックリしてしまうだろう。週五日みっちり働いてたったこれだけ…としょげてしまうだろう。逆に値がちょっと変わって「120万」と記されていたら、「0」がひとつ加わっただけなのに受け取った人間はホクホクの満足顔になる筈である(大企業や中央省庁の役員クラスでは珍しくない月給である)。単なる数字にも様々な意味を持たせることができる。二進数によってコンピュータの「01」には人間的な豊かな意味性が付与されるようになったのだ。

コンピュータの「01」に数字という人間的意味を持たせることができた。数字化できたのなら次に計算をさせたいところだが、ここでも命題論理学がコンピュータに寄与することになる。あの命題論理学の論理的演算子「または」「かつ」「でない」などを電子回路化することによって、コンピュータに計算する道が開けたのだ。

二つの入力路がありそのどちらかに電流が流れたとき出力路にも電流が流れるのを「または」回路、二つの入力路がありそのどちらにも電流が流れた時だけ出力路に電流が流れるのを「かつ」回路、一つの入力路がありそこに電流が流れたときは出力路には電流を流さず、電流が流れないときは流して出すというひねくれた回路を「でない」回路として、それぞれ作り出すことができる。トランジスタを数個組み合わせるだけで出来るもので、夏休みの宿題としても出来そうである。

この「または」回路、「かつ」回路、「でない」回路をさらに複雑に組み合わせて新たな回路を作り出すことができる。この回路はまさに画期的なものであり、コンピュータの能力の中枢にあるものである。ある意味コンピュータの唯一最大の能力であると言ってもいい。
それは足し算をする能力である。