「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 169 「コンピュータの本質―計算能力の獲得」

2018-11-11 12:56:53 | 日本文学の革命
コンピュータの唯一最大の能力が「足し算をする能力」であると書いたが、これを見てズッコケた人もいるのではないだろうか。「なに〜!コンピュータの唯一最大の能力が足し算をすることだとお?コンピュータに仕事が奪われるだとか、コンピュータに支配される社会が来るとか、さんざんに言われているが、足し算することしかできない奴に人類は脅えていたのか」と突っ込みを入れたくなるかも知れない。
事実はその通りで、この足し算ができる回路「加算器」こそがコンピュータの中枢にあるものなのである。コンピュータの頭脳はこの加算器の積み重ねと応用で出来ていると言ってもいいだろう。最新のテクノロジーの精華、人類を凌駕する能力を持つ機械、などと様々に謳われてきたコンピュータが、足し算しかできないと分かると「そうか…おまえ足し算しかできないのか…」と逆になでなでしてやりたい気持ちにもなる。

しかし足し算しかできないといっても、バカにはできないのである。足し算ができれば引き算もできるからである。ある「01」の数値のビットを反転させて1を足し、それで別の数値と足し算をすると、反転させる前の数値で引き算をしたのと同じ結果なるのだ。つまりちょっと工夫しただけで足し算で引き算をすることができるのである。
さらには掛け算もすることができる。二進数の掛け算はすべて「×1」しかなく、笑いが止まらないほど簡単なものだが、そうして積み重ねていったものを足し算すれば答えが出るのである。つまり掛け算も足し算で計算できるのだ。
さらには割り算もできる。割り算の場合は引き算の積み重ねという形で計算が行われるのだが、引き算は足し算として処理できる。つまり割り算も足し算の延長上に計算できるのである。

さらには「マイナス」の概念も扱える。「マイナス」の概念といえば、人類でも小学校に入った時分になってようやく理解できる概念だが、コンピュータの場合別に「マイナス」の概念を理解している訳ではなく、あるデータ範囲のここからこの部分をマイナス、ここからこの部分をプラスと勝手に決めておいて処理しているだけである。しかしそれでも計算的には十分「マイナス」計算ができるのである。
さらには小数計算もできる。かなり長いデータ列になるが、この部分は正負の値、この部分は指数の値、この部分は小数点以下の値と、やはり勝手に決めておいて計算すれば、小数計算もできるようになるのだ。
また西洋数学でよく使う累乗計算もお手のものである。この場合基本的にデータを左右にずらしていくだけでいいので、難しい累乗も赤子の手をひねるように簡単に扱うことができる。

つまり足し算をする能力を持っていれば、四則計算のすべてができるのである。「01」化され二進数化されたコンピュータ内部において四則計算を自在に行えるようになったのだ。

しかし四則計算ができるだけでは電卓と変わらない。電卓も数十年前に登場したときは画期的なマシンとして歓迎されパソコン並みの価格で買われたものだが、今や100円ショップで売られる存在となりパソコンのおまけソフトとしても扱われている。コンピュータで画期的なことは「関数計算」ができるようになったことである。つまり状況に応じて次々とダイナミックな計算ができるようになったのである。この場合にはこう、あの場合にはこうと入力状況に応じて様々な答えを導き出してゆき、この条件のときにはあそこにジャンプしろとか、この条件をクリアするまではこの計算を続けろとか、そのようなダイナミックで自動で動くような計算ができるようになったのだ。これがまさに「プログラミング」だが、あの命題論理学の「または」「かつ」「でない」「ならば」などの論理回路はここでも大活躍しているのだろう。

足し算しかできないにも関わらず、様々な工夫を凝らしてそれが四則計算に拡張し、さらにはプログラミングの力を借りて関数計算にまで発展した。ここまで来たらコンピュータは数学の全体を扱えるのであり、プログラミングの能力を駆使して人間的な思考にまで迫れるようになったのである。