名峰登山と草花

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

アユタヤ遺跡を歩く  -2019、タイ国-

2019-01-20 12:43:08 | 海外・歴史遺産の旅

 タイ国の古都アユタヤの遺跡を歩いて見てきました。沢山の史跡を見て回ること
はできませんでしたが、主な史跡を周り、歩きでないと見られない遺跡周辺の公園
や市場も見ることができた。

 アユタヤ駅に降り立つと、客引きのトゥクトゥクの勧誘を見向きもせず、駅を
後にした。アユタヤ王朝の古都は川に囲まれた東西4Km、南北3Kmの楕円形の中に
あり、歩いて回ることにした。レンタル自転車にすれば良かったとは、後で思った。
レンタル自転車を盗まれないようにするにはどうすれば良いかと分からなかった
からだが、史跡には鍵のかかる自転車置き場が設置されていた。
 アユタヤ駅から50m程西へ歩くと川があり、渡し船(5THB)で対岸の船着場
(チャオプロム市場)へ渡った。5分位西に歩くと朝市が開かれており、ここがチャオプロム
市場と分かった。少し見て回ったが、食べ物は何でもある感じだ。野菜、果物、魚
が目についたが、暑いところだけに魚はちょっと怖いなーと思った。

 

 ここから更に30分程歩くとマハタート寺院らしく、バスの群れが見えてきた。
やはり、歩いてくると汗がしたたってくる。冷房が効いた観光バスが羨ましくなる
ところだが、ぐっと我慢。初志貫徹だ。
 マハタート寺院では廃墟となった仏塔跡やガジュマルに埋まった仏像の顔を見て
写真に撮った。ビルマ軍にサンザン荒らされた後を見学したが、顔のない仏像や
破壊された仏塔なども良く片付けられ整地されて、見やすく、歩きやすくなって
いた。

 ここから次のプラシーサンペット寺院までは、マハタート公園を歩いて突っ切り、
公園の池や樹木等を観察しながら歩いた。途中のベンチで果物をたべ、簡単な昼食
を取った。広々とした良い公園だ。池の先に仏塔が見えている。それが次の目的地
だ。
 池を回りながら進むと、大きな仏塔が目の前に現れた。進入禁止となっている。
後で調べて分かったが、プララーム寺院で修復中のようだ。更に進み、車と観光バス
が一杯の駐車場の脇を進むとカラフルな建物が見えた。これが大仏を収容するプラ・
モンコンポピットと分かった。結婚式が行われているようで、民族衣装を着た人々が写真を
撮っていた。すぐ脇にプラシーサンペット寺院の入口があり、入場した。

 プラシーサンペット寺院は先のとがった仏塔が3つ並んで(王様のお墓らしい)
おり、遠くからもよくわかる。日本ならお城かお寺(大本山)に相当するのかなー
と思いながら、遺跡を見て回った。ここでも、ビルマ軍に破壊された顔のない仏像
が沢山並んでいたが、仏塔などの損傷程度はマハタートに比べると少ないように
見受けられた。アユタヤ王朝のサンペット宮殿(1353年)は、現在の三基の仏塔の
ある場所に建てられていたが、火災(1426年)で焼失し、新たな宮殿は、北側に
1448年に建設されていたが、ビルマ軍に破壊され基壇だけが残っているそうだ。
現在は、ムアンボラーン(サムット・プラカーン県)にサンペット宮殿が復元されている。

 

  次は、バンパイン離宮に向かうため、アユタヤ駅までトゥクトゥクを使った。
始めて乗るので心配したが、3台に確認したが、皆、同じ値段をいうので少し高い
と思ったが、150THBを払って乗ることとした。

 

-アユタヤ王朝と日本の関わり- 

 タイの古都、アユタヤは1351年にタイの王様、ラーマーティボーディー1世がアユタヤに
建都して、1767年にビルマ軍に敗れて放棄するまで、417年続いたようである。
 山田長政がタイ国に移り、また日本を脱出した豊臣方の浪人を集めて、3000人
とも言われる日本人部隊を率いて活躍し、アユタヤ王の信認を得て親衛隊長にまで
登りつめたのは、1600年代のアユタヤ朝である。不幸なことに王朝の内紛に巻き
込まれ、長政は1630年に外征にて討ち死にし、日本人街も破壊されてしまった。

以下、個別の写真を掲載します。 (こちらは、クリックすると拡大します)

     

      

      

 

     

  

      

      

      

     

以上で終わります。

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。