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名峰登山と草花_hn

春から秋にかけて、登山と草花探索等を掲載。植物観察、世界歴史遺産巡り、庭園観賞、素人農業にもチャレンジ中。

「天子蒙塵」に思いを馳せる   -北京、天津-

2017-05-06 12:58:10 | 2.海外・歴史遺産の旅

「天子蒙塵」に思いを馳せる       (登録をやっと完了しました。5/6)

 浅田次郎の小説「天子蒙塵」を読むと天子が帝都「北京」から逃げ出すことを
意味すると書かれている。清朝を時代背景とした浅田次郎の小説「蒼穹の昴」「
中原の虹」では皇帝と宦官、大臣等の織りなす物語が歴史好きの読者を魅了する。
 この4月に北京、天津を旅するツアーに乗っかって、歴史遺産を見て回った。
天壇公園、頤和園、紫禁城、天安門広場、万里の長城、大都・遺跡公園(以上、北京)、
そして、日本租界跡(天津)等である。特に、紫禁城や天津・静園ではラストエンペラー
溥儀や奥方達の逃避行の様子(小説「天子蒙塵」)に思いを巡らすことができた。
 北京は流石に中華帝国の帝都であり続けただけに、宮殿は巨大であり、感服する。
日本文化の源流であるだけに違和感が無い。歴史小説に出てくる秦、漢、唐、元、明、
清、満州国などの歴史の舞台を思い描きながら、楽しく見学できた。
 現代の北京に目を向けると、2つの点で驚いた。上海も北京も巨大都市となりビル
が林立してきたことは想像していたが、社会資本、施設が思ったより整備され、噂に
聞いていた「汚いトイレ」が改善されつつあること、道路を走る車の殆どがベンツ、
BMW、トヨタ等の高級車であり、軽自動車は走っていない。(一般市民はまだ車を
持てない?)15億人の市民の5%が金持ちでベンツ等を持っているとうことか?
 また、街路樹が綺麗に整備され、郊外の道路脇の荒れ地には植樹が大規模に進んで
いた。

 

 

以上です。

 <参考>

    

    

以上

 


中世の南ドイツ -ロマンチック街道-

2016-08-27 21:57:23 | 2.海外・歴史遺産の旅

 今回は歴史遺産を巡る旅の写真を掲載することとしました。5年前に出かけた南ドイツ・
中世の町と古城を巡る通称「ロマンチック街道」の旅です。
 中世のドイツ周辺は神聖ローマ帝国(962~1806)に代表される、ローマ中心のキリスト教
国家であった。この国家は強力な中央集権国家ではなく、各地の王国の連合体のような国家で
あった。「全ての道はローマに通ず」という言葉に表されるように街道はローマからイタリア
北部(アルプス)やスイスを抜けて南ドイツ、中部ドイツへ至っている。
 中世の文化の中心は現在の北部港湾都市(ハンブルグ)や工業都市(デュッセルドルフ)では
なく、南部や中部の諸都市であったと思われる。今回訪問したローデンブルグやディンケルス
ビュールの旧市街やシュバンガウやフュッセンの王城等は中世の面影を色濃く残していた。

以上。


ベルサイユ宮殿

2016-01-30 11:40:26 | 2.海外・歴史遺産の旅

 ベルサイユ宮殿は1682年にフランス王ルイ14世(1638~1715、在位1643~1715)が建てた
フランスの宮殿である。パリの南西22キロに位置する。
 その歴史は、最初に1624年にルイ13世が狩猟の館として建て、1661年からルイ14世が宮殿の
増築、セーヌ川から庭園に水を引く造園工事を行わせた。1699年からマンサールによる増築
や鏡の間の増築が行われた。(天井画はル・ブラン作)
 この宮殿では、太陽王ルイ14世がその豪壮な宮殿と庭園を築き上げ、王や諸侯を招待して
「王の中の王」であることを見せつけた。絶対王政の象徴であり、世界でもっとも華麗な宮殿
といわれる。

 また、付随する庭園はアンドレ・ルノートンによって造園された。宮殿も合わせた敷地面積
は1000ヘクタール(東京ドーム220個分以上)で、当時はこの10倍の面積があったそうである。
 末尾に「鏡の間」の解説記事を写真ともに付加した。

以上。

 

ベルサイユ宮殿の雄大な庭園も必見です!!===> https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/47ab6769ec36216a88be53a175d6c46f

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


モン・サン・ミッシェル

2016-01-23 08:59:44 | 2.海外・歴史遺産の旅

 今、テロの脅威に怯えるパリですが、落ち着いた良い時期(5年ほど前)に
パリやモンサンミッシェル、ベルサイユ宮殿などを見学しきてました。
 モンサンミッシェルにはパリからバスで出かけましたが、途中の素晴らしい
菜の花畑とともに幻想的な遠景から出現しました。当日は天候もよく要塞の
ような建築物が圧巻として迫ってきました。
 モンサンミッシェルは10世紀頃、現在のような形の修道院として改築され、
その後、要塞、監獄等の役割を果たしたのち、1865年から再び修道院として
復活しているとのことです。
 現地は観光客で賑わっておりましたが、安全な良い時期に旅ができてよかった
と思います。

 

以上です。


スペインの歴史遺産を巡る (その3)

2016-01-16 14:29:08 | 2.海外・歴史遺産の旅

 この旅は、H25年4月にスペイン旅のJTBツアーに参加した時の内容を
再整理したものだ。18名のバス旅中心のツアーであったが、なかなか楽しかった。
今回は、古都トレドと現在の首都のマドリードを巡り、ついで宿泊先のパラドール
(国営ホテル)のあるエナーレスで宿泊した。パラドールは全国で94か所建設
されているようで、エナレスのものは、昔のサント・トマス修道院を改装したものだ
そうだ。内装はすばらしく、快適だった。

 さて、スペイン旅を終了するにあたり、日本とスペインとの関わりについて調べて
見た。1582年長崎からローマへ少年使節が派遣され、また1612年には伊達
政宗がローマ、スペインへ通商使節を派遣している。興味のある方は、末尾の紹介
記事をご覧ください。

   日本とスペインの関わり

 九州のキリシタン大名は名代として4名の少年使節をローマ教皇に派遣した。
 1582年2月に長崎港を出発した少年使節は1584年3月にポルトガルの
リスボンに上陸し、5月にスペイン王に謁見の後、ローマへ向かった。1585年
11月にローマ教皇に謁見した少年使節は大いに歓迎された。その後、1590年
に日本へ帰国したが、既に1587年秀吉による発禁令が公布されており、その成果
は発揮されることなく、悲運に終わった。
 伊達政宗がローマ教皇に送った通商使節(支倉常長)は、1612年日本(石巻)を
出発し、アメリカ大陸を経由して大西洋を横断し、1614年にスペインのセビリア
に上陸した。1615年1月スペイン王に謁見の後、ローマに向かい、、1615年
11月にローマ教皇に謁見した。スペインに戻り、スペイン王と通商交渉を続けたが、
不調に終わった。1620年9月に日本に帰国できたが、日本には既に禁教令が出さ
れており、常長は2年後に失意のうちに死去した。

以上。

 


スペインの歴史遺産を巡る (その2)

2016-01-14 20:22:08 | 2.海外・歴史遺産の旅

アンダルシア地方を巡る

 先に訪問したグラナダと今回のセビリア、コルドバを含めたこのアンダルシア地方
にはイスラム教とキリスト教の文化の融合が色濃く存在する。即ち、キリスト教会とイスラム
教のモスクが融合している。そういう視点でご覧いただけると幸いだ。

スペインとイスラム教の関わりを少し勉強してみました。興味のある方は、ご一読ください。

 タイトル:イベリア半島のイスラム支配とレコンキスタ(キリスト教徒による回復)
 
 イスラム教ではムハンマド(マホメット)が信徒と共にメッカを脱出し、メジナに移住した
622年をイスラム歴・元年としている。632年にマホメットは没し、言行録がコーランとして
まとめられた。彼は630年にはアラビア半島をほぼ制圧した。教団の後継者(カリフ)が信者の
中から選出された。(ムハンマドは、唐の高祖(李淵)、日本の聖徳太子と同年代の人である。)
 イスラムの領土は正統カリフ時代、ウマイア朝(661-750)、アッバース朝(750-1258)(イベリア
半島は、後ウマイヤ朝)へと継承され拡大されて、現在のインドの一部、アフガニスタン、
カザフスタン、イラン、イラク、トルコ、北アフリカ(モロッコまで)、そしてイベリア半島まで
の広大な範囲を領土とした。

 イベリア半島の統治はローマ帝国(~395)の属州統治が約500年間続き、その後西ローマ帝国
(395~476)を経て、ゲルマン系の西ゴート王国(507~711)に統治された。(560年、首都を
トレドへ遷都)
 イスラム勢力のウマイア朝は領土拡大を続け、8世紀初頭にはジブラルタル海峡を越え、イベリア
半島に侵入し、711年には首都をコルドバとした。716年にはほぼイベリア半島を征服した。ウマイア朝
が倒れ、アッバース朝に代わるとウマイア朝の王族の一人ががイベリア半島に逃れ、後ウマイア朝
(756~1031)を起こした。
 後ウマイア朝は1031年に分裂、崩壊し、イベリア半島には30ほどのイスラム系小王国が割拠する
混乱の時代となる。このような中で北部のキリスト教徒が国土回復運動(レコンキスタ:~1492)を
強めていく。この運動は、グラナダを首都としたイスラム系ナスル朝の開城まで続き、1492年に
ポルトガル、スペイン両王国の成立をもって終了する。                以上。

 


スペインの歴史遺産を巡る (その1)

2016-01-13 10:52:41 | 2.海外・歴史遺産の旅

 先に、草花等の写真を掲載した。
 ここでは、歴史遺産を視点に、3回に分割して掲載することとした。
 最初はバルセロナ、バレンシア、グラナダまでの行程を掲載する。次いで、
ミハス、ロンダ、セビリア、コルドバまでを、最後にトレド、マドリード、
エナーレス(パラドール)までを掲載しようと考えている。
 基本的にバス・ツアーであったが、コルドバからマドリードまでは新幹線
(AVE)で移動した。

 バルセロナのグエル公園とサグラダファミリア(聖家族教会)からご覧下さい。

(1/3 完)


ロシア旅  ロマノフ王朝の歴史遺産を巡る

2015-04-20 22:17:41 | 2.海外・歴史遺産の旅

ロマノフ王朝はミハエル・ロマノフがツアーリに推戴された1613年からニコライ2世が倒れた1917年まで、約300年間続く。この王朝は絶対権力の王政による専制政治をするが、領土の拡大とロシアの近代化を進め現在のロシアの基礎を作った。その都はバルト海に面したサンクトペテルブルグにあり、モスクワを副都心とした。
私の歴史遺産を巡る旅はサンクトペテルブルグから始まる。










































<参考> ロマノフ王朝の建物と庭園_1  -登録:2020.8.20-
https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/d5be65d90d47095db2781bbe7fc2f8b8
<参考2> ロシア旅 /旅行記 -登録:2015.4.18-
https://blog.goo.ne.jp/ms_blog_trecking120/e/a8198f234b1c99e3904a4062b3377780


欧州・中部の歴史遺産を訪ねて

2014-05-16 22:24:57 | 2.海外・歴史遺産の旅

平成26年4月下旬に中欧の歴史遺産を訪ねて、ツアーに参加しました。
訪問先は、ドレスデン(ドイツ)、プラハ(チェコ)、チェスキークルムロフ(チェコ)、
ウィーン(オーストリア)、ブラチスラバ(スロバキア)、ブダペスト(ハンガリー)の各都市です。
歴史遺産は、各国それぞれの歴史ドラマを背負って現代に至ったという印象を強く感じました。

1)ドレスデン /ドイツ

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  ツビンガー宮殿                                 機上から

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  国立歌劇場                            王者の行進/彫刻壁画

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  路面電車と2階建バス                        エルベ川の風景
   

2)プラハ /チェッコ

 

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  プラハ城 入口                          聖ビート大聖堂

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プラハ城からの街の風景                                ブルタバ川

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  カレル橋にて                                   ザビエル像

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  カレル橋にて                          旧市街の広場・お祭り

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3) チェスキークルムロフ /チェコ

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  チェスキークルムロフ城                      チェスキークルムロフ城 

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  街の風景                           城の塔

4) ウィーン /オーストリア

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  新王宮                             王宮?(双頭の鷲)

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  シェーンブルン宮殿

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  オペラ座                          トラム(路面電車)

 

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  大通り                             広場

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  王宮の植物温室

5)ブラチスラバ  /スロバキア

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  広場 (日本大使館前)                                 旧市街 (散策)

6) ブダペスト /ハンガリー

 匈奴の子孫と言われるフン族(Hun)の民族移動が原因となり、西ローマ帝国は453年に
瓦解したと言われるが、東洋系のフン族がガリアに建てた国ということで、ハンガリア(Hungaria)
と呼ばれるらしい。
  ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー2重帝国の副都心として栄えた。今もこの歴史
 遺産が多く見られる。


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 高台に立つ王宮 (ブダ地区)                     王宮入口

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 衛兵               マーチャーシュ教会                         漁夫の砦

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 国会議事堂                              くさり橋 

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 オペラ座                           トラム(路面電車)                             

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   王宮の夜景 (ナイトクルーズ)

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 国会議事堂の夜景 (ナイトクルーズ)

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  英雄広場                           国立美術館

欧州・中部の旅 終了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北インドへの春旅  ー ムガール帝国の往時を偲ぶ ー

2014-03-11 23:11:34 | 2.海外・歴史遺産の旅

3月上旬に北インドの歴史遺産を尋ねるツアーに参加しました。デリー、アグラ、ジャイプールを訪問し、ムガール帝国の往時を偲ぶ旅となりました。同時にインドの植物写真を多数取得しました。菩提樹、アショカトゥリー、マンゴー、ワタノキなどです。         

 ムガール帝国は1526年に初代皇帝バーブルが創始。1555第2代皇帝フマユーンがデリーにムガル帝国を再建。1556年第3代皇帝アクバル即位/アグラ城。第4代皇帝はジャハーンギール。1628年、第5代皇帝、シャージャハン即位。1658年、第6代皇帝アウラングゼーブ即位。1687年アウラングゼーブ帝、デカン高原へ遠征。1690年東インド会社がカルカッタに進出。

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     (タージマハルを持ち上げてみました)

                                                                               <写真をクリックすると拡大します>

           

1) クトゥブ・ミーナール /デリー近郊

 インドの樹木は大きな葉の樹木が多い、葉の長形は12cmから20cm位ある。 この木は公園や個人邸の随所で見受けられた。(名称は調査中)

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 下:オリーブ(ガイドの弁)           (名前は??、随所に在)

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 下: 不明  (随所に在)

                                                                                                              
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 下:クトゥブ・ミーナール(世界遺産)

 最初のイスラム王朝のスルタン、クトゥブッディーンが1192年に戦勝記念に建築を開始し、最上階は14世紀に完成した。地上72.5m、直径14.3m、5層からなる。

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2)風の宮殿  /ジャイプール

 かつて、宮廷の女性達がこのテラスから街を見下ろしたと言われる。

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3)アンベール城 (世界遺産) /ジャイプール

 アンベール城は16世紀に築城が始まった。アンベール王国の首都

 丘の上に立つアンベール城へジープで向かう。象の歓迎もあった。

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 城内の広場

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4)ジャンタル・マンタル(天文台/世界遺産)  /ジャイプール

 280年前、マハーラージャが造った天文観測機器

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5)シティーパレス&ピンクシティー

 ピンクシティーは1726年にマハーラジャのスウィン2世が建造した。今もマハーラジャが暮らす                                       

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 カダムの木?(ガイドの弁)           ???

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  ラジャスタン州からデリーへ ・・・ 車窓の風景

 野原 (牧草畑と麦畑)              レンガ焼き工場

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  日本の工場進出エリア              牛の通過

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道は羊も通ります                  牛糞は燃料か?

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 道端の露店                    道は車、三輪、力車、何でも通ります

 

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デリーはビル建設ラッシュ              高速道路はガラガラ

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デリーの道路はラッシュです。           デリーの川は汚れが酷い          

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6) ファテプール・シクリ / アグラ

 ムガール帝国第3代皇帝、アクバル帝が1571年に首都をここに移転した。3Kmx1.5Kmの大きさ、14年で放棄された。

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 菩提樹の葉

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7) タージマハル /アグラ

  ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが亡くなった王妃ムムターズ・マハルのために建設した巨大なお墓。自らはヤムナー川の対岸に黒い大理石で自分の墓を造ろうとした。

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8) アグラ城  /アグラ

 第3代皇帝アクバル帝が1565年に建設したお城で、ムガール帝国の権力の象徴。 第5代皇帝ジャハーン帝はタージマハル建築後、第6代皇帝、アウラングゼーブによりこの城内に幽閉され、タージマハルを遠望しながら、1666年、74歳で亡くなった。 

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     アグラ城からタージマハルを遠望

9) フマユーン廟 /デリー  (世界遺産)

 第2代皇帝フマユーンのお墓。その妃が1565年に建築した。 

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10) ガンジーの墓 & レッドフォート

 レッドフォートはアグラからデリーに都を移した第5代皇帝シャー・ジャハンが1639~1648年に建設した。第6代皇帝アウラングゼーブが外壁や門を補強した。

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ワタノキの花                   マンゴーの花?

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(インドの歴史を巡る旅 終わり)