ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



幸福の科学って、大学が不認可だからって、霊言で反撃なんでしょ。それって、どうなのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『吉田松陰「現代の教育論・人材論」を語る』(幸福の科学出版)で、以下のように説いておられます。

 今、当会は、批判を受けています。なかなか信じることができない人が多いので、文科省の大学不認可に対して霊言で反撃していることを非常識と見て、揶揄するような向きもあるようですが、「事実は事実。真実は真実」です。曲げる気は全然ありません。
 真理の探究者であるならば、江戸時代末期、維新の前に、吉田松陰が書いたものや行動の記録を勉強することも非常に大事ではありますが、もし、現在、吉田松陰が、現代の日本を見て、教育論や人材論、その他いろいろなことについて意見が言えるとしたら、「それを知りたい」と思うのは当然のことです。
 「これは学問的であるか」という定義なんか、どうでもよいことであって、もし、それを知ることができるならば、ぜひ知りたいでしょう。「天上界の松下村塾でもいいから行って、聴きたい」というところだと思います。
 そういう意味で、私は、「真理の探究として、それから、宗教ジャーナリズム的手法として、実際に、霊的に調べることができる」という、稀に見る珍しいことができるので、それをやっているわけです。
 真理の探究をしているがゆえに、私としては、「『霊言には学問性がない』などと言うなら、どうぞ、ご自由に」と言わざるをえません。そういうもので引っ込むほど、私は“素直”ではありません。もっと“へそが曲がって”いるのです。やはり、そのくらいでないと、宗教家なんか、とてもやっていられません。
 それについては、「一国の現時点での考え方やルール」「国の考え」「同時期の世界でどうなっているか」ということを超えて、はるかに大きな視点から、物事を考えていかなければならないと思っています。
 また、自分の意見を述べるだけではなく、いろいろな方の意見を紹介しているということは、多角的に真理を研究していく上でも、非常に材料になると思います。「これを授業で教科書として使うか」とか、そんなことは、どうでもよいことであって、大事なことは、「真理は何であるか、多角的に知りたい」という一念です。「これをどのように使うか」ということは、別の問題であると考えています。
(23~26ページ)

「事実は事実。真実は真実」であり、曲げる気は全然ない。

真理の探究者であるならば、もし現在、吉田松陰が、現代の日本を見て、教育論や人材論などについて意見が言えるのなら、それを知りたいのは当然のことであって、「これは学問的であるか」という定義など、どうでもよい。

それについては、もっと大きな視点から、物事を考えていかなければならない――。

「文科省の大学不認可に対して霊言で反撃」した書籍については、このブログでは、審議会の責任者文科大臣の守護霊の霊言集を、いくつもご紹介してきました。

批判する人は、中身をきちんと読んでいないからいろいろ無責任なことを言えるのではないでしょうか。

これらの霊言集を心素直に読んでみたとき、これが作り物だとかなんとかいう言葉はもう出て来ないほど迫真性に満ち、誰かが頭のなかで想像しただけではとうてい創り出せないほどオリジナリティに満ちた内容であることに、誰もがうなずくのが普通だろうと私は思います。

これらの霊言集を読破してしまえば、「事実は事実。真実は真実」という大川隆法先生のお言葉を誤解する余地はない気が私はしています。

そして今回は、あの吉田松陰先生が、「現代の教育論・人材論」を語っている一冊であるわけです。

もちろん学んでみたいと思うのが人情ですし、またそれこそが、知識人を自負する方の当然の姿ではないかと私は思うのです。
 

『吉田松陰「現代の教育論・人材論」を語る』大川隆法著


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