大川隆法先生は、国難のときには、時代を代表するような宗教家は、国師として意見を述べなければならないって、言っておられるんでしょ。でも、救世主のはずなのに、イエスさまは違うこと言ってたんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
一方、イエスの場合は、どうだったのでしょうか。
彼が生きていた当時、教団はまだ小さく、実際に組織化もできていませんでした。宗教間の争いもあり、旧宗教からかなり弾圧を受けていました。
当時、ユダヤは、ローマの属州であり、ローマの通貨が流通していましたが、あるとき、イエスは、「ローマに税金を納めることは、ユダヤの律法に適うことか」という質問をされます。
イエスが、「そのコインには、誰の肖像が彫られているか」と聞き返すと、相手は、「カエサルの肖像が彫られている」と言います。そこで、イエスは、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」というように答えたのです。
彼は、「この世のことは、この世において権力を持っているカエサル(皇帝)がやるべきであり、神の国のことが自分の領域である」というような言い方をしていますが、長い目で見ると、このイエスの言葉が、政教分離の根元のところに当たるようにも見えます。
しかし、彼が、こうした言い方をしたのは、「イエス自身の、政治力というか、政治的立場が現実に弱かった」ということです。
そのため、教祖自らが捕まり、裁きを受け、強盗殺人犯と一緒に処刑されてしまいます。そのとき、弟子は十人あまりしか残っていませんでした。具体的な活動期間が三年間しかなかったことも考えると、「教団の組織化には成功していなかった」と見てよいでしょう。
したがって、前述したイエスの言葉は、「そういう事情の下での意見である」ということを知らなければいけません。(中略)
ユダヤにおける「メシア」は、本当は国を救わなければいけないのですが、結局、ユダヤの国は、イエスの死から四十年後、ローマに完全に滅ぼされてしまいます。そして、ユダヤ民族は、二千年近く全世界を放浪することになりました。
このように、神の使者を殺害したり、その人の言うことをきかなかったりした場合には、その反作用は、けっこう大きく、民族全体にかかわってくるのです。
私は、政治・経済等についても、さまざまな提言をしていますが、その方向で努力をしていけば、この国はますます繁栄するでしょうし、その繁栄は、世界をユートピアに導いていく具体的な力となります。
ところが、私が述べていることを、「戯言(たわごと)である」と思い、聞く耳をまったく持たず、宗教を排撃するような政治家を選んでいると、国難は、さらに厳しいものになってくるでしょう。
(52~55ページ)
ユダヤがローマの属州だった時代背景下、イエスは、「この世のことは、この世において権力を持っているカエサル(ローマ皇帝)がやるべきであり、神の国のことが自分の領域である」というように答えた。
ユダヤにおける「メシア(救世主)」は、本来は国を救わねばならないはずであるが、これは当時、イエス教団がまだ組織化できておらず、イエス自身の政治的立場が非常に弱かった事情のもとでの意見だった。
この神の使者を殺害してしまったユダヤ民族は、国が滅び、二千年近く全世界を放浪することになってしまった──。
イエスさまも、教団がもっと組織化されていて、殺されてしまうほどに政治的立場が弱くなかったとしたら、もっと違うように答えられたのだろうと思います。
いま大川隆法先生は、それこそ自らの生命を惜しまず、「不惜身命」で警世の声を発し続けておられます。
その重大な意味は、同時代ではなかなか理解できずとも、時代が下れば、その決断の重さと勇気の意味が、誰の目にも明らかになるのではないでしょうか。
この国の多数の人々が、この「国師」の言葉に真摯に耳を傾ける時代が、少しでも早く来ますようにと、心よりお祈りしたいと私は思っているのです。
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『宗教立国の精神』
大川隆法著
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