オレって、部活が命の体育会系なんだけど、やっぱ勉強できなきゃダメなんだろうなあ。でも、今さら勉強できるようになるわけないしなあ。どうすりゃいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
十代後半から二十代前半ぐらいの年代の人たちにとって、まず大切なことは、頭脳を鍛えることですが、次に体力も非常に大事です。体は、やはり資本です。
そのため、自分について、「頭のほうは、もうこれ以上は伸びる可能性がほとんどない」と見たら、体力を強化することです。こちらのほうは、まだ伸びる可能性が少しあります。体力そのものを二倍にするぐらいのことは、可能性としてはあるのです。場合によっては五倍ぐらいになる人もいます。体力も能力のうちであり、とても大事です。
私は宗教家ですが、宗教家にとっても、体力は、やはり要ります。体力のない宗教家は、すぐにコロッと死んでしまいます。意外なことに、そういう人は、けっこういるのです。
私は楽に仕事をしているように見えるかもしれませんが、ある人の説では、一時間の説法をすることには、ジョギングで八キロメートルを走るぐらいの負担が心臓にかかることもあるのだそうです。
そのため、体を鍛えないで説法をしている人は、ときにコロッと死んでしまうわけです。「お経だけ知っていればよい」などと思って、体力のところを甘く見たら、宗教家であっても早死にしてしまうのです。
「体を鍛える」ということも大切であり、それが仕事能力を高めることにもつながります。「仕事をして、また翌日にも戦えるかどうか」「よい仕事を続けられるかどうか」ということは体力と関係があるのです。
もちろん、仕事能力も体力も両方とも要るのですが、体力がないと、よい仕事を長く続けることはできません。
また、体力がないと、物事の判断が悲観的になってきます。人間関係においても、悲観的になり、とにかく悪いほうへ悪いほうへと考えますし、仕事においても、先行きを暗く悪く感じるのです。
体力があると、先行きは明るく見えてきます。人間関係においても、「何とか改善できるのではないか」と思えますし、仕事においても、「この先、うまくいくのではないか」と思えます。(中略)
私は、「かなり体を鍛えなければいけない」と考えて、水面下の努力を地道に行ってきました。
(63~66ページ)
若い人にとっては体力も資本であって、体力がないと、よい仕事を長く続けることはできないし、判断が悲観的になってくる。
頭脳はそれ以上伸びなくとも、まだ伸びる可能性がある体力強化の努力をすること。
体を鍛えるのは、仕事能力を高めることにもつながるのである──。
大川隆法先生のように、講演活動、著作活動で大量に発信し続けている方が、知力を鍛え続けているだけでなく、体力をも地道に鍛え続けておられるという事実は、私たちを励ましてくれます。
もちろん知力を鍛える努力は続ける必要があるにしても、体育会系も、そうそう捨てたものではない。
体力というその強みを生かして、これからの人生に前向きに立ち向かっていく勇気をいただいた気が私はしているのです。
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『青春の原点』
大川隆法著 |
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