一生懸命に生きてるんだ。情熱もってて、伝えたいことがたくさんあるんだ。でも、まわりのやつって、元気がないというか、根性がないというか、覇気がないというか、逃げていくんだよね。どうすればいいのかなあ? なーんて悩みもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
対人関係の問題では、私もずいぶん悩みました。私はもともとのエネルギー量が大きいので、本来はもっともっと強烈な個性なのです。(中略)
現在は、「光を落とす」ということに気がついて、押さえ込むのに成功しています。これを「和光同塵(わこうどうじん)」といいます。光を落として塵(ちり)に交わるということです。
これは決して自己卑下でもなければ、単なる謙遜でもありません。愛ゆえにそうなるのです。光が強いと、他の人は目を開けていられず、一緒にいられないことがあります。夜だって、光が強ければ眠れません。(中略)
したがって、光を強くすることも、光を弱くすることも、どちらもできるようにしておく必要があります。光という言葉をエネルギーと言い換えてもよいでしょうが、自分のエネルギーを強く出すことも弱く出すことも、どちらもできるようにしておかないと、人びととの付き合いは難しいところがあるのです。
みなさんのなかには、「自分を丸ごと認めてほしい」という気持ちのある人もいるかもしれません。
しかし、それは大きな鯛をドーンとまな板にのせて、「はい、どうぞ」と差し出すことに近いのです。相手にとっては、「どうやって食べろというのだ」ということになります。
「自分自身を丸ごと差し出しても、相手は食べられないだろう」と思えば、切り身にするなどといった考え方が必要なのです。
光を強くすることも弱くすることもできる作法が必要だということを、どうか知っておいてください。
若い人の特徴として、光を強く出すことはできても、弱くすることができないという点があります。エネルギーを放射することに専念してしまい、それを弱めることができないのです。
これができるようになるためには、いくつかの挫折を経験することが必要です。そうした挫折を経験する前に、あらかじめ述べておくと、強いエネルギーを出しすぎて問題を起こすことがあるのです。
それはまわりの人の責任では必ずしもないのです。調和のなかで生きていきたいという気持ちが人間にはあります。その調和を乱しているのが自分ならば、やはり自分に責任があるのです。
スピードを出すべきではない場所でスピードを出せば、車は事故を起こします。当然のことです。制限速度があるはずなのに、それを見落として、「自分の車は時速二〇〇キロまで出るから」と言って、アクセルを踏み込めば、それはその人の責任なのです。
青年の人たちは、どうかエネルギーの出し方の調整法を身につけてください。
(152~155ページ)
愛ゆえに、自分の強い光を、まわりの人に合わせて落とす必要があることもある。
まわりの調和を乱さないのも愛の一つの形である。
エネルギー量が多い方は、「和光同塵」を、人生の叡知の言葉として大事にしていけたら、ますます発展していけるってことなんだと、私は思っているのです。
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『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』
大川隆法著 |
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