ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



仏教って、ほんとに教えが多すぎてわかんないじゃない。まず何をつかめばいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀の証明』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 肉体というのは有限なのです。有限とは文字どおり、「限りがある」ということです。限りがあるということは、それに執われ、こだわり、執着して、心を縛りつけても、結局は無常のものであるということです。
 無常とは、「常ならず」ということです。「肉体は常なるものではない。肉体に執着して、これが自分だと思っても、それは無常のものなのである」──これは簡単なようでありながら、結局、仏教の基本であり中心なのです。まず、ここから入っているのです。
 釈尊の悟りからいうと、結局、人間の悩みや苦しみのもとは肉体なのです。肉体的生存こそが自分だと思っているところに、最大の迷いがあり、その「無明」ゆえに、不幸が来るのです。実は、これが大きな出発点なのです。簡単なようでありながら、よくよく考えてみると、確かにそのとおりです。
 幸福の科学の会員のみなさんは、日々、仏法真理を学んで活動していますから、人間は霊的存在であるということを、ごく初歩の真理のように思うかもしれません。しかし、仏法真理に目覚める前には、あの世の世界を中心にものごとを考えるとか、霊的存在としての自己認識から世界を見るなどというようなことは、できていなかったでしょう。
 同じように、今でもまだ、そうした人が大勢いるわけです。彼らは、毎朝、電車やバス、タクシーなどで、一時間以上揺られながら会社に出勤し、一日を終えて帰ってくるということをくり返していますが、残念ながら、根本のところに目覚めてはいません。
 肉体に宿りながら肉体を超えるというのは、非常に難しいことです。肉体に宿って生きながら、「肉体的生存を超えた存在が自分である」ということを知ることは非常に難しいことですが、実は、これが悟りの第一歩なのです。
(57~59ページ)

肉体は常なるものではない。肉体に執着して、これが自分だと思っても、それは無常のものなのである。

人間の悩みや苦しみのもとは肉体であって、肉体的生存こそが自分だと思っているところに、最大の迷いがあり、その「無明」ゆえに、不幸が来る。

肉体に宿って生きながら、「肉体的生存を超えた存在が自分である」と知ることは非常に難しいが、これが悟りの第一歩である──。

つまり、ここで教えられているのは、こうことではないでしょうか。

肉体は常ならず。その肉体的生存を超えた存在、つまり霊的存在としての霊魂こそが、ほんとうの自分である、と。

実は仏教の基本はこれを知ることであって、それが悟りの第一歩として、「目覚めた」ということでもあるのではないかと私は思っているのです。
 

『仏陀の証明』

 大川隆法著

 

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