幸福の科学って、いろいろ本を出したり、映画を作ったりしてるけど、宗教なんでしょ。なにしようとして、いろいろやってるわけ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
「いま、幸福の科学が戦っている相手は、いったい何であるか」というと、それは、現代人の常識であり、学校教育において、「教科書には書かない」とされている考え方です。教科書に書かれていないことや、マスコミ等において、冷笑的、批判的に扱われている事柄のなかに、実は、真実のものがあり、それは、人間として、すべての人が知るべきことなのです。
そして、人生における教科書に当たるものが当会の仏法真理です。人生における教科書である以上、義務教育と同じように、全国民、全世界の人に、基本的な部分を勉強してもらわなければなりません。
仏法真理に関しては、「一部の人だけが勉強する」というエリート教育では困るのです。それではいけません。これは魂の義務教育であり、基本的に例外をつくってはいけないのです。「基本的な思想については、一人も逃さず、全員に理解させたい」という願いを強く持たなければいけないわけです。
もちろん、仏法真理に対する理解には、「上根・中根・下根」の段階があります。人によって理解の程度に差があることは、歴史的に見ても、しかたのないことです。
学校のテストでも、百点を取る人もいれば、六十点を取る人も三十点を取る人もいて、それぞれに学びの差はありますが、教科書そのものは内容的に一定のレベルでつくられています。
仏法真理についても同様です。理解の程度に差はあるでしょうが、基本的なもの、ベーシックなものについては、義務教育として、すべての人に教えなくてはいけません。しかし、学校も塾も親も、いま、その使命を充分に果たしていないため、宗教が「霊性の公教育」をしなければいけないのです。そのことを強く訴える必要があります。
その意味で、当会の伝道活動も、まだまだ充分ではないし、仏法真理の映画を製作して上映しても、必ずしも充分に知れ渡っているとは言えず、仕事は無限にあります。そういう強い使命感を持たなければいけません。「まだまだ、これからである」という気持ちを、強く強く持っていただきたいのです。
さらに言うと、(中略)仏教も、釈尊が最高であり、そのあとに出た仏弟子は釈尊のレベルまでは行っていません。二千五百年たって、「明らかに釈尊を超えた」という、仏教のお坊さんがいたかといえば、いないのです。小さな分派をつくり、一つの派を立てて広げた人は多いのですが、全体的な思想を説くところまではいかないわけです。
後世の仏弟子たちは、お経を一つか二つ取り上げて、「これこそが本物である」と主張するかたちの伝道をしました。確かに、大蔵経は分量が多すぎるので、「大蔵経をすべて学ばなければ悟れない」と言ったならば、そこで終わりになります。そのため、「私が、いろいろと勉強した結果、このお経がいちばんよい」と言って、派祖たちがさまざまに教えを広げたことは、よく分かります。
その反面、仏教の本質そのものにおいては、残念ながら、失われた部分が大きいのです。
そのため、いま、私は、数多くの教えを説きつつも、一なる本質というものを明らかにしようとしています。そのことを、どうか理解していただきたいのです。
(296~300ページ)
仏法真理は、魂の義務教育である。基本的な部分については、すべての人が学ばなくてはならない。
しかし、学校も塾も親も、そして他の宗教も、いま、これを教える使命を充分に果たしていないため、幸福の科学こそが「霊性の公教育」をしなければならない。
また、仏教は、後世の派祖たちがさまざまに教えを広げたことで本質部分が失われてきているので、大川隆法先生は、数多くの教えを説きつつも、一なる本質を明らかにしようとしている──。
要は、過去の仏教を集大成し、その本質部分を明らかにしている。
それとともに、「あの世があって、人間の本質は霊である」という基本的な霊的真実を人々に伝える「霊性の公教育」、「魂の義務教育」をなしとげようとしている。
それが、大川隆法先生であり、幸福の科学という教団の活動であるのだと私は確信しているのです。
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『復活の法』
大川隆法著 |
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