ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「般若(はんにゃ)の智慧(ちえ)」って言葉を聞いたことがあるんだけど、どういう意味なのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 般若の智慧を得るためには、まず、日々の修行態度を正しくしていかねばなりません。いわゆる三学という「戒・定・慧」を、丹念に修練していかねばなりません。日々、自ら戒め、また禅定の体験をし、そして智慧を蓄えていく。その過程で、やがて解脱という体験をし、解脱の結果、涅槃の境地を得る。この涅槃の境地を得たときに得られる、透明感あふれる深い深い智慧、これを「般若」と呼んでいるのです。
 それは永らく、仏教の修行をしてきた人にとっては、“永遠の憧れ”ともいうべき言葉でした。般若の智慧を得るとは、どういうことなのか。それを得たら、いったいどのようになるのか。(中略)
 ひと言で表わすとするならば、結局、「自己が見え(観え)、他人が見え(観え)、世界が見える(観える)」ということです。(中略)さらに、言葉を換えていうならば、般若の境地というのは、「生きている自分」ではなく、「生かされている自分」というものを、しみじみと悟る境地であると言えましょう。
 前者の「生きている自分」、つまり、「積極的に、能動的に、力強く選びとって生きていく自分」をかたちづくっていく自意識を「識」の立場とすると、「般若」というのは、「生きている自分」ではなくて、「生かされている自分」というものを深く感じとっていく境地です。(中略)
 ちょうど、人差し指が人を指すことはできても自分自身を指せないように、ちょうど、刀が他のものを切ることはできても自分自身を切ることはできないように、識の立場というのは、自我がしっかりしていて、いろいろなものを分析的に見ることが得意ではあるが、自分自身を見ることは難しいのです。
 しかしながら、般若の立場になると、無我の立場になってくるので、自分も他人も、すべての世界が、ありありと如実にわかるようになってくる(中略)。「ありとあらゆる現象――喜びも悲しみも、苦しみも憂いも、いろいろなことが、この世にはあるけれども、すべてのものが、実は、私の生命というものを生かしめるためにある大いなる教材なのだ。そういう大いなる教育の場なのだ」ということを知る。この世ということの意味を知る。この世がなぜあるのか、私がなぜ今ここに生きているのか、いかにして生まれ、いかにしてこの世を去っていくのか――これを知った智慧が般若です。
 識の立場というものは、もう少し狭いのです。この世の中で、より優れたるものをつかみ取っていく、優れたる自己となっていくための修行に必要な知恵、それが識です。これは、人間としての自己確立、自己形成、自己発展にとっては非常に大事なものですが、あくまでもまだ視野の狭いところがあります。
 般若の悟りを得てきますと、霊界をも含んだすべての世界のなかで、生まれ、生き、死に、あの世に還り、また生まれ、生き、死ぬ――そういう転生輪廻の流れのなかで、自己というものをつかみ、さらに他の人の人生というものをつかみ、自己と他人とが同時代の同期生として魂修行をしながら生きている、という現実を知ります。
 そして、この世的には、いろいろと辛いこと、苦しいこと、悲しいことがあったとしても、そうしたものは、すべて実体のあるものではなく、あくまでも物質世界という教室で、実験として、自らの魂修行のために行なわれている、ということを知るようになります。
 すなわち、般若の智慧の段階においては、「一切が無常である」ということを知っています。また、「一切が無我である」ということを知っています。
 この世のすべての事物が、肉体が、諸現象がすべて、無常なるもの、常ならず変転していくものであることを知り、また、存在しているように見えるすべてのもの、森羅万象が、実は無我、すなわち、「本来の存在ではなく、大宇宙の意志によって、一時期、仮に現象として現わされているものであって、それはあくまでも魂修行のための教材にしかすぎないのだ」ということを知る――こういう境地が、実は悟りの境地であり、般若の智慧ということでもあるのです。
(112~118ページ)

般若の智慧を得るためには、三学(「戒・定・慧」)を、丹念に修練していかねばならない。

その過程で、やがて解脱という体験をし、解脱の結果、涅槃の境地を得る。そのときに得られる、透明感あふれる深い深い智慧、これを「般若」と呼んでいる。

それを得たら、いったいどのようになるのかをひと言で表わすとするならば──。

ちょっと引用が長くなりました。

そして、この引用した部分を、いつものように簡単に要約することなど、私にはとうていできそうにありません。

頓悟禅では、「般若の智慧」について聞かれたとき、指を一本立てるだけなのかもしれません。

しかし大川隆法先生は、この恐ろしく高い悟りの世界を、言葉を尽くして説明しておられるわけです。

言葉にてこれができる、それこそが、ほんとうの悟りを開かれた「仏陀」であることの証明であるだろうと私は思っているのです。

『心の挑戦』

 大川隆法著


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