幸福の科学ってさ、最初の頃に比べたら、儀式とか、法具とか、建物とか、普通の宗教らしくなってきたけど、大川隆法先生って、法話するときも、背広にネクタイなんでしょ。なんだか宗教っぽくないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
仏教やキリスト教などの宗教家であっても、この世的な旧いしきたりにこだわり、「作法に則って生きることが宗教だ」と思っているような人は、あの世に還ってから〝垢落とし″が必要になります。
仏教とは、頭を剃ることでも、袈裟を着ることでも、座禅をすることでもないのです。宗教の本質は、「かたち」ではなく、中身にあります。中身こそ大切なのです。これが分からない人は、あの世でその垢を落とさなければなりません。
かたちだけの坐禅をして、「名僧」「高僧」と讃えられ、死後、無間地獄という深い地獄に堕ちている人がたくさんいます。宗教はかたちではないのです。
キリスト教もかたちにとらわれやすい面があります。キリスト教の説教師等で、「キリスト教を信じなければ地獄に堕ちる」「イエスのみが人を救える」などという考え方に凝り固まり、他の宗教を激しく排撃した人は、あの世に還ってから、その〝殻″を脱ぐのに大変な苦労をしています。
天上界の人びとは、そういう偏屈な人がきらいです。天上界では、寛容で心の広い人が好かれ、思い込みが激しく、物事を決めつける人は非常にきらわれるのです。
たとえば、宗教には戒律が付きものですが、戒律は小学校や中学校の校則と同じようなものなのです。「共同生活のルールとして、これを守りましょう」というかたちで、未熟な人が道をはずさないために、人を護る愛の観点から設けられているのです。
ところが、人を苦しめるものとして戒律を使い、「この戒律を守らなければ、おまえは堕地獄だ」と脅しているような人は、死後、光の天使の世界に還るどころか、あの世できらわれ者になってしまいます。
したがって、自由で寛容な世界をつくっていかなくてはなりません。
また、努力・精進する人を評価する世の中をつくっていくことも必要です。
今後、日本や地球を、宗教が尊敬される世界に変えていかなくてはなりません。
その前提として、宗教が尊敬に値するものであることが必要ですが、それと同時に、「宗教を大切にしない国家は、滅びの門に立っている」ということを、人びとは知らなければならないのです。
宗教は真実を教えるものです。真実を教えている人びとが、真実を知らない人ぴとによって陰に押し込められ、小さくなっているような世界は、正しい世界ではありません。真実が真実として通用する世の中、尊いものが尊いものとして扱われる世の中をつくっていかねばならないのです。
(120~123ページ)
宗教の本質は、かたちではない。
作法や戒律でもなく、座禅が宗教でもない。
その中身こそが大切なのである──。
宗教は、真実を教える尊いものであるということです。
外見に誤魔化されず、真実が真実として通用し、尊いものが尊いものとして扱われる世の中を、この日本に、そして世界につくっていくために、幸福の科学は活動してるのだと私は確信しているのです。
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『繁栄の法』
大川隆法著 |
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