ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



選挙から少し時間がたってきて、気になるんだけど、幸福実現党って、全国で候補者を立てて活動してたはずなのに、テレビ見てても、新聞読んでも、ほとんど出なかったじゃないの。マスコミに出なければ、幸福実現党っていっても存在しなかったような気がしてるんだけどな?

幸福の科学の大川隆法先生は、『政治に勇気を──幸福実現党宣言③』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 今年の五月二十七日に、幸福実現党は都内のホテルで立党大会を大々的に行いました。私は、その内容をDVDで見ましたが、壇上で発言した人たちは、中身のある話をしていました。
 ただ、その場には数多くの報道陣も来ていたのですが、その発言内容については、ほとんど報道はなされなくて、実際に活字や映像になった部分は、どちらかといえば芸能ネタに近いあたりから出ています。
 だいたい、そういうものでしょう。宗教が新しく政治のほうに進出しても、まともに取り上げてくれるのは、初めはスポーツ紙や週刊誌あたりであり、大手の新聞やテレビ局などが大きく扱うようになるまでには、そう簡単にはいかないのです。
 必ずしも、現場に取材に来ている人たちが判断して、そうなっているわけではありません。今はマスコミ各社もかなり大きな企業体になっています。新聞社であれば、取材記者の上にデスクがおり、さらに編集委員などがいて、そのあと経営陣等の判断が加わります。そのため、現場で見たものや聞いたもの、感じたものを、そのまま報道できるかといえば、そうではないのです。
 現場で見たものなどをそのまま報道できるのは、ほとんど主観性が入らないものの場合です。交通事故や殺人事件など、現に目に見えて、誰が見ても同じように見えるようなものについては、リアルに報道できます。
 しかし、「一定の価値判断を含んだものを、活字や電波を通じて全国の大勢の人に伝える」ということは、一記者ないし一レポーターの判断力や権限を超えています。そのため、経営陣の判断が必ずそこに加わるわけです。
 ラッセル・クロウ主演の映画「消されたヘッドライン」のように、経営陣と対立してでも、単独で頑張り、真実を求め、それを報道しようとする新聞記者は、映画のなかでは存在しても、現実は、やはり、マスコミもサラリーマン社会であり、下の人は上司の命令に忠実にやるしかありません。悪く言えば、マスコミもまた完璧に“官僚制”になっていて、現場の記者などの自由にはならないようになっているのです。
 そういうことを十分に認識しなくてはならないと思います。
(18~19ページ)

幸福実現党の活動がほとんどマスコミに出なかったのは、マスコミの経営陣の価値判断がそこに加わっている──。

毎日TVとか見てると、そこに映し出されてる世界だけが真実の世界であるかのような錯覚に陥りがちだけど、でも、じつはマスコミは、いろんな価値判断をしていて、流す情報に操作を加えているのが事実なんだってこと、なんですよね!



『政治に勇気を──幸福実現党宣言③』

 大川隆法著


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