闘病記を読むということ1
図書館の本棚から「転移」という本をかりてきました。2009年5月に亡くなった作家中島梓氏の日記形式の闘病記です。
氏は栗本薫という名前で「クイン・サーガ」という壮大な小説を執筆されていたし、ジャズ・ピアノも弾くか方でした。
才能をまだ展開していて欲しいと思っていましたから、亡くなったことは大変に残念でした。
氏の病歴を振り返ると1990年の乳がんを手術、このときのことは「アマゾネスのように」とその事を著書に表し、その後2007年12月にすい頭十二指腸切除手術をおこない翌1月退院し、その事を「ガン病棟のピーターラビット」として出版されました。
しかし4月の検査で肝臓に転移が発見され、そのときから「転移」という題でエッセイを書き始め、9月からは日記形式として書かれているのです。
ということで、読み始めていますが、亡くなった月日も判っているので、これから亡くなるまでの道筋をたどることとなるわけです。
この本を手にとっていろいろ考えましたので、そのことはいつもと違った、まじめ文にして何回か書いてみたいと思います。
中島梓氏がクイズ番組で回答者として素晴らしい発言をされていたのは覚えていますが、SFファンタジーは余り読まない私ですし、氏がJAZZピアノを弾いていた事も知りませんでした。
そして今なぜ中島梓なのか、そして闘病記なのか、不思議に思っているのです。
中島梓氏が同じような年だったとは解っていました。たまたま僅かの時間があり、立ち寄った図書館の本棚にこの本がありそのまますぐ借りましたが、それは闘病記というものを、結構読んでいて、そんなことから読んでいない氏の本を借りてきたのです。
何のために自分は闘病記をよむのだろうか、ここのところしばらく読んでいないのはなぜなのか、実は沢山読んでいるのに記憶にはあまり焼きついていないのはなぜなのだろうとか考え出してしまいました。
今普段より神妙になっているのは(実は記事を書き始めてから知ったのですが、そして年がばれてしまいますが)なんと中島梓氏と私は、生まれた年も生まれた日もおなじなのです。
片や生き延びているただのJAZZ好きと、惜しくも2年前に亡くなったJAZZを弾く輝かしき作家であり評論家という大きな差を同じ年月を生きてきて作ってわけですが、でもスタートが同じ日でこのごろでは私もこうやって文を(まるで重みが違いますが)書いているのである意味神妙です。
それなのでなぜ今、中島梓なのか、闘病記なのかを考えているのです。
ちょっと辛そうな感じがしますが。。。
闘病記を読むことについて考えています。
中島梓さんの「転移」からはじめましたが、もっといろいろあります。
そちらから選んだほうが良いと思います。
ちょっと待ってくださいね。
中島梓さんがたくさん文をのこして、そして最後までその事が中心だった事、自身の周りの方へのきずかいは凄いとおもいました。
闘病記についてもうすこしまとめてみたいと思います。