ある40代女性の生活

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映画「矢島美容室」: 鈴木一弘さん 何もない→ネバダ感

2010年04月24日 09時47分46秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「エンドロール 「矢島美容室 THE MOVIE 夢をつかまネバダ」×美術・鈴木一弘さん」という記事がありました。

映画製作の舞台裏を紹介してくれるコーナーです。

4月29日から公開される映画「矢島美容室 THE MOVIE」は、全く何もない状態から、ネバダ州と美容院を作ったのだそうです。

「矢島美容室」は、とんねるずの石橋貴明さんと木梨憲武さん、DJ OZMAさんの、男性3人が、女性の格好をして歌う音楽ユニットです。
バラエティー番組で結成されました。

「矢島美容室」は、ネバダ州で美容院を経営していた母(石橋さん)と娘2人(木梨さんとDJ OZMAさん)が、失踪した父親を探すために日本へ行くという設定です。

予算や出演者3人のスケジュールから、アメリカでのロケは不可能だと分かりました。
東京近郊にセットを作り、CGを加えて制作することになりました。

美術担当の鈴木一弘さんは、何も決まっていない状況で、ネバダや美容室を設計するよう頼まれました。

鈴木さんは、これまでCMの世界で活動してきて、長編映画は初めてです。
中島信也監督とは、10年以上、一緒に仕事をしてきました。

どうしたら、いいか。

ネバダは、砂漠が広がるネバダではなく、日本人がイメージするアメリカ、洋画に出てくるような「アメリカの小さな街」にすることにしました。

美容室からマンホールの蓋、街の地図まで、50枚以上のデザイン画と図面を描き、監督、プロデューサー、CG担当、装飾担当と検討を重ねました。

集めた参考資料は、厚さ10センチ以上になり、レトロな壁紙は鈴木さんが自分で上海で買ってきました。

コンセントの位置、天井のスプリンクラー、壁の落書き、ダンスホールの豆電球など、映らない、目立たないところにもこだわりました。

鈴木さんは、「何げないことの積み重ねが『あるある』につながる」と考えます。
「アメリカで撮ったのかな、とお客さんが思ってくれたらうれしい」ということです。
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テレビや映画の世界は、高校の文化祭と似たところがあるように感じました。

予算と期限が決まっていて、あとは関わる人々のアイデアと情熱で、発展させ、制作していきます。
(予算も期限も、結構、きつくて、関係者は大いに頑張る必要があります)

矢島美容室は、最初に見たときは驚きました。
男性でも、あの衣装、ヘアースタイル、お化粧にすると、不思議と色っぽくなるのは、女性としても勉強になると考えています。


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4月24日: 植物学の日 牧野富太郎の誕生日

2010年04月24日 09時01分33秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「あすは何の日 植物学の日」という記事がありました。

次の日が、どういう意味を持つ日かを説明してくれるコーナーです。

今日、4月24日は、植物学者の牧野富太郎さんの誕生日で、「植物学の日」なのだそうです。
牧野さんは、小学校中退ながら、世界的な植物学者になられた、とてもユニークな方です。

牧野さんは、高知県佐川町に生まれました。
最終学歴は、小学校中退です。

植物採集などを続け、日本の植物の新種や新品種を、1500種類以上命名しました。
22歳で、東京大学植物学教室への出入りを認められるようになります。

牧野さんが命名した植物の「ヤマトグサ」は、日本人が国内で初めて学名をつけた植物です。
「スエコササ」は、奥様が亡くなった年に、新種のササの名前に奥様の名前を入れました。

牧野さんは、晩年を、東京の練馬で過ごしました。
自宅跡は、現在、改修中で、300種類以上の植物が植えられているということです。
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牧野富太郎さんのお名前は、植物学者として聞いたことがあります。

どんな方だろうとウィキペディア「牧野富太郎」を見てみました。

小学校中退なのは、実家が裕福な酒屋だったので、学歴がなくても実家の家業を継げばいいと考えてのことのようです。

家業は、祖母と番頭に任せ(ご両親は早くに亡くなっています)、自分は好きな植物の研究に没頭しました。

英語や欧米の植物学も勉強し、もっと書籍や顕微鏡が欲しいと、19歳のときにお供を連れて上京します。

植物学者の田中芳男さん(上野の博物館・動物園を設立した人)に、小石川植物園を案内してもらう機会を得ます。
この田中さんや伊藤圭介さん(田中芳男の先生で東京大学教授)の紹介で、矢田部良吉教授に会い、東京大学植物学教室に出入できるようになりました。

28歳のときに東京の小岩で、ムジナモを日本で最初に発見し、それを自ら正式な学術論文で世界に報告したことで、世界的に名を知られるようになった。
とありました。

故郷の高知県には、植物園や記念館もあるようです。
1862年(文久2年)4月24日~1957年(昭和32年)1月18日で、江戸時代から昭和まで、94歳まで生きた方です。

解説の中に、「独学で学問をする時代から、学歴がものを言う時代への変遷であった」とあったのが印象的でした。


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