ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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図書館: ビジネス支援 就活支援 医療情報も 役立つ図書館

2010年02月27日 10時12分58秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「週刊 首都圏 生活に役立つ図書館 就活やビジネス支援」という記事がありました。

公立図書館が、生き残りをかけて、ビジネス支援、就活支援、地元産業支援、医療相談など、実生活に役立つ活動を手掛けるようになったのだそうです。

日本全国には、3140の公立図書館があります(2008年現在)。

図書館情報学が専門の糸賀雅児・慶応大学教授によると、このうち少なくとも約30%が、専門コーナーの設置やセミナー開催などの「ビジネス支援」をしています。

2000年頃(景気が悪化)から、どこの図書館も、昼間、リストラされたと思われる働き盛りの来館者が目立つようになりました。

同じ時期に、自治体も多くが財政難に陥り、
「地域住民にとって無くてはならない施設とアピールしなければ、図書館も司書も生き残れないという危機感がありました」(秋田県立図書館の山崎博樹主任専門員)

2000年12月、千葉県浦安市立図書館長だった常世田良・日本図書館協会理事と山崎さんは、「ビジネス支援図書館推進協議会」を立ち上げました。

現在、100人を超す図書館員、研究者、会社員が参加しています。
ビジネス関連の相談・問い合わせへの対応能力を競うコンクール等も催しています。

東京立川市立中央図書館は、2003年に、「ビジネス支援コーナー」を開設し、起業指導書や会社年鑑を置くようになりました。
「介護ビジネスを始めたい」「ベトナムで起業したい」と相談が寄せられるようになりました。

2009年11月に「しごと・資格コーナー」を設置し、宅建、簿記、秘書の資格検定の問題集、「履歴書の書き方」などの解説書を並べます。
700冊をそろえましたが、貸し出しが多く、棚の半分はいつも空の状態で、予約待ちが続きます。

参考書類は、書き込みの恐れがあるため、従来は図書館になじまないとされていました。
購入にふみきったのは、「ないのか」という問い合わせが急増したためです。

東京都港区の都立図書館では、「就活セミナー」が開催され、70人余りの受講生が、中小企業診断士などの話を聞きます。

横浜市立中央図書館は、2006年に「医療情報コーナー」を設けました。
「医療をわかりやすく学べる環境がほしい」という市民の要請を受けたものです。

約1000冊の医学書が並びます。
司書の吉田倫子さんは日本医学図書館協会が認定する「ヘルスサイエンス情報専門員」の資格も持ちます。

「病院で渡される薬のことが知りたい」「こういう病名を告知されたが、どんな病気なのか」といった問い合わせが多いそうです。

「医療」は、「経済」以上に市民の関心が高い分野だ、ということです。
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図書館が、教養に加え、実際に必要とされている分野に活動を広げているんですね。
時代を見据えた、すばらしいことだと思います。

記事に、「首都圏の公立図書館の数」もありました。

  東京都  378
  埼玉県  157
  千葉県  131
  神奈川県  82
  茨城県   57
  山梨県   52
  栃木県   47

東京都は都立と区立の両方が充実していると感じます。


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キム・ヨナ選手: 努力の人 カナダに拠点 コーチはどんな人

2010年02月27日 09時26分41秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「ヨナ 努力の人 とことん ジャンプ65回」という記事がありました。

オリンピックの女子フィギュアスケートで金メダルをとったキム・ヨナ選手は、努力型の人なのだそうです。

小学生時代に、キム選手を指導したシン・ヘスクコーチは、
「ヨナは、曲にあわせた練習でできなかった3回転ルッツを。その後にとことん練習していた。私はずっと数えていたけど、1つのジャンプを65回もですよ」と話されます。

キム選手の母親のパク・ミヒさんがつきっきりで見守る中、練習を繰り返す光景が一番心に残っているそうです。

「その頃は、世界チャンピオンにまでなるとは思いもしなかった」

経済的な事情もあり、何度も競技をやめなければならない危機もありました。

「母親の熱心さが違った。危機を乗り越えたのは、母親の力も大きいと思う」

キム選手の才能は花開き、ジュニア時代から同い年の浅田選手と世界で競い合いました。

キム選手の母校である修理高校には、キム選手を記念する部屋があり、衣装、靴、母親が描いた肖像画が展示してあります。

キム選手は、修理高校のスポーツ特待生の第1号です。
カナダ・トロントに練習拠点を設けていることもあり、登校日数は限られていました。

担任だったチェ先生は、
「最初は口数が少ない、おとなしい子という印象だった。それがカナダでの生活に慣れるにつれ、明るくなった」と語ります。

キム選手は、高校の卒業証書をまだ受け取っていないので、オリンピック後にアルバムとともに渡すことを楽しみにしている、ということです。
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19歳で、あの大舞台で堂々の演技、ゆるぎない技術はどうやって身についたのだろうと思いました。

1990年9月5日生まれ、両親と3歳年上の姉がいる4人家族です。

5歳でスケートを始め、7歳でコーチに「才能がある」と言われ、本格的にスケートを始めました。

裕福な家庭というわけではなかったのですが、両親はお金を惜しまず、アメリカなどにスケート留学させたそうです。

特にお母さんは、運転手兼マッサージ師兼鬼コーチ兼英語の教師として、一日16時間練習に付き添ったということです。
(ウィキペディア「金妍兒」参照)

キム選手は、テレビに出演して歌を歌ったりした時期があり、これはコーチが舞台度胸をつけさせるためであったと聞きました。

キム選手をメンタル、技術面で育てたコーチたちは、どんな人たちか、知りたいと思いました。


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