今朝の「おはよう日本」(NHK総合、午前4:30-)で、奈良県の志賀直哉の旧居を修復し、公開する話題を伝えていました。
志賀直哉は、遺言で記念館を作らないようにと言い残したので、小説以外に業績を偲ぶものがほとんどないそうです。
奈良県奈良市高畑町にある旧居は、志賀直哉自身が設計し、6人の子ども達を育てた家です。
和洋中折衷住宅で、モダンな食堂兼娯楽室は、多くの文人画家の集いの場となっていたため、高畑サロンと呼ばれていました。
木材等が痛んでいたのを修復し、当時の姿に戻すよう努力されました。
作業の途中で、壁の中から子ども部屋に室内の窓が見つかり、呉谷充利教授(相愛大学)によると、子ども好きの直哉が、子ども同志のやりとりのため、窓を作ったと思われるとのことです。
食堂の照明も、和紙を使った当時のものが見つかったため、蛍光灯に替えて、取り付けられました。
一般公開時には、小説を書いた書斎も公開されるということです。
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志賀直哉が設計もするほど、住宅に思い入れがある方とは知りませんでした。
「暗夜行路」もここで書かれたそうなので、機会があったら訪れてみたいです。
志賀直哉は、遺言で記念館を作らないようにと言い残したので、小説以外に業績を偲ぶものがほとんどないそうです。
奈良県奈良市高畑町にある旧居は、志賀直哉自身が設計し、6人の子ども達を育てた家です。
和洋中折衷住宅で、モダンな食堂兼娯楽室は、多くの文人画家の集いの場となっていたため、高畑サロンと呼ばれていました。
木材等が痛んでいたのを修復し、当時の姿に戻すよう努力されました。
作業の途中で、壁の中から子ども部屋に室内の窓が見つかり、呉谷充利教授(相愛大学)によると、子ども好きの直哉が、子ども同志のやりとりのため、窓を作ったと思われるとのことです。
食堂の照明も、和紙を使った当時のものが見つかったため、蛍光灯に替えて、取り付けられました。
一般公開時には、小説を書いた書斎も公開されるということです。
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志賀直哉が設計もするほど、住宅に思い入れがある方とは知りませんでした。
「暗夜行路」もここで書かれたそうなので、機会があったら訪れてみたいです。