







なんとな~く慌ただしい日々を過ごしています。
やりたいことってなかなかできないですね。
いろいろと、溜まっちゃってます
今日はピアノでした。
その練習もあったんですけどね。
とりあえず終わったので
4月から教室が変わりました。
通っていた教室は生徒さんが少なくなってきたため、縮小されてしまい、
私の先生も異動することになりました。
ふたつ隣の駅で、自宅から車で10分程なので、私も先生に付いていきました。
今日が新しい教室の2回目だったのですが、新しくオープンした教室は、もうすでに生徒さん一杯になってしまったらしいです。
大きな駅というのは、違うんですね。
教室に入ると、小さなお子さんを連れている、お母様たちがいて、他の先生方もまあ、お若くて、
これまでと違う世界です。これが普通ですかね?
私の前の生徒さんも、まだ小学校入学前のかわいらしい女の子。
教室から出てくる時に「さようなら」と挨拶の指導?を受けていました。
私が入っていくと・・・
「小さい子は疲れるんですなにせテンションを上げないといけないし。
隣の部屋の先生は、今年入社の22歳なんです。ケン太より年下が入ってくるようになったんですよ。
もう自分の子どもでもいいくらいの歳ですから、ジェネレーションギャップ感じますね」
先生はもう50過ぎだと思います。
確かに、私の前の生徒さんには、いつもよりトーンを上げて喋ってましたね(笑)
私の時は低いのに(笑)
お疲れ様です
いつも、4月に入る前に、他の生徒さんが学齢と共に、時間の変更の希望も出てくるだろうから、
私の時間はいつでも変更できます・・・と伝えているのですが、
「いや、ゴールデンタイム前に息抜きしたいので、そのままでお願いします」と。
私の時間は息抜きのようです(笑)
最初の10分間はお喋りタイムだしね
練習が始まれば、笑ってごまかそうとする私に、先生も爆笑だし。
「笑わない」と何度も言われていますが。どうしても笑ってしまう
習い始めて、気がつけば、すでに10年経過しています。
自分に下手さにびっくり。
まだ「エリーゼのために」だし。
それもある箇所が、いくら練習しても克服できなくて。
でも、なんとか頑張ります。
ボケ防止でもあるのでね。
ケン太に「ピアノ教室かわったんだよ。言ったっけ?」と聞いたら
「今日で4回目」って言われました
重症です
ケン太とは、昨日、二人で居酒屋に行きました。
ユニクロで買い物があったので、出たついでにね。
先日、行ったばかりのお店ですが、美味しかったので。
ケン太にもたまには飲ませてあげようと思って。
主人も何処かで飲んでいるしね
ケン太も撮影。
ケン太が必ず注文するだし巻き卵。
でも、これは庄やの方が勝ちだね。
思い出したケン太の庄やのだし巻き卵愛が止まらず。
手前の肉巻きレタスが美味しいのです。
モッツアレラチーズの天ぷらと、炙りカニみそ。
酒にやぁ罪はねぇ(笑)
いつかケン太にご馳走してもらうのが私の夢です。
働き始めた頃の夢ですが、まだ叶えてもらっていない。
夢が夢で終わっても、まあ、いいか・・・と思う今日この頃。
いつまでも元気で働いてくれたらいいとしましょうかね
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暖かった春の日が、一気に冬に逆戻りです。
こんなに一気に戻らなくてもね。明日までなんとか耐えます(笑)
先日、ジブリに行ったお友達ですが、
中学受験組として急接近。情報交換したり、一緒に学校説明会などに参加したお仲間です。
当時の小学校では、受験組は同学年に4名しかいませんでした。
男子二人、女子二人でしたが、男子二人が、友達の息子くんであるYくんとケン太。
Yくんとケン太はとくに遊んでいませんでしたが、ママ同士は、受験の話ができる同士として、自然と仲良くなりますよね。
Y君はご優秀で、サピッ〇スのαクラスでした。
後にケン太も、サピッ〇スに入塾しましたが、目指せαクラス!という位置づけ
それが叶わず・・・というか、不登校になりそれどころではなくなり、受験は断念。
女子二人のうち、ひとりは、6年生から、私立一貫校の小学部に転入。
もうひとりは、6年の時に受験を断念。
Y君も6年生の時に受験を辞めてしまいました。
結局、ケン太の学年は、誰も中学受験しませんでした。
Y君が受験を辞めてしまった理由は・・・
「今の友達と同じ中学校に行きたい!皆が遊んでいるのに、自分だけ塾に行ったりするの嫌だ!皆と遊びたい!」と訴えたからでした。
塾は真面目に行っていたし、勉強もしていましたが、本人の中では沸々とした思いがあったようです。
一緒に学校訪問をしても、あまり反応がなく、その学校が気に入ったのかどうかも、よくわからない感じだったそうです。
乗り気ではなかったんだと思う・・・と言っていました。
家族で何度か話し合いをしましたが、本人の意思が強く、最終的に受験を断念したそうです。
Y君は公立中学に進み、テニス部と駅伝部を兼部。運動部にどっぷり浸かってしました。
その後、公立トップ高に進み、そこでもテニス部に入り、頑張っていました。
大学は一浪して、国立に入り、その後大学院に進み、今年から社会人です。
某企業の研究室での研究員だそうです。
大学院では、ある研究の学生部門で賞を受賞しています。
その功績が認められたのかもしれませんね。
中学受験は断念しましたが、
部活を思い切り出来る(朝連とか)近くの公立中学校の方がY君に合っていたのでしょうね。
そして、今、彼女さんがいます。
このまま付き合っていたら、結婚するかも?という関係のようです。
ご優秀で、順調に階段を上ってきて、社会人となり、彼女もいて、家庭を持つという将来も見えている。
申し分ないですよね!
羨ましい限りです。
しかしです。
母親として、ある思いに駆られてしまうようです。
「もしかしたら、違う人生があったかも?どうしても、それが拭えないんだよね」
「別に今の選択がダメだっていうわけじゃないの。本人が選んだんだからそれでいいの。でも、もしかしたら・・・とちょっとだけ思ってしまうの」と。
あくまでも、ほんのちょっとだけ・・・を一生懸命、強調していました。
そんなこと思っちゃいけないという気持ちを押し殺していたんだと思われます。
話を聞くと、彼女は自宅が好きなので、もし結婚したとしても、自宅から遠くないところに住みたい。
彼女のお母さまも、彼女の意思を受けて、Y君がずっと関東で働いてくれることを希望しているそうです。
関東地区限定で就活をしていたわけですが、そうなると選択肢が狭まるわけでして。
決まったところも、入りたかったところか?といえば、必ずそういうわけでもなく、関東地区から出ることはないというところのポイントは大きかったのだと。
「彼女がいることは、必ずしもいいこととは限らないよ」と言ってました。
そして、あの時、中学受験をしていたらどうだったのだろう・・・何かが違っていただろうか・・・という気持ちも残っているようでして。
「そういうことあるよね?」と、今度は、私に同意を求めてきました。
そう思っていない私は返事に困ってしまいました。
「うちは大学出てないし、今のところに努めているだけで十分だし、特にないんだよね・・・」
「うんうん。そうだよね?でも、もしかしたらって、つい思ってしまうことあるよね?」
どうしても私の同意が欲しい?
「そうだね。もし不登校になってなかったら、大学に行ってたかもしれないし、そしたら違っていたかも?というのはあるかも?」
友達が共感を求めたいようなので?そう言ってみました。
でも、正直なところ、そんな気持ちは起きていないのです。不思議なくらいに。
不登校になったからこそ、私は気づけたし、親子関係を改善しようと私なりに努力し、今、ケン太といい関係を築けていると思うので。
不登校にならないであのまま進んだ場合のことはあまり考えたくない。
多分、いつもどこかケン太に期待してしまう自分のままで、その気持ちを押し殺したり、たまには言ってしまったり、そんなのをずっと続けてしまっているような気がするのです。
そんな自分に戻りたくないので。
だから、今の方がいい。
ケン太もそう思っていると思います。
改めて考えることはそうなかったのですが、
今回のやりとりで、自分の思いを確認できました。
親の思いがどうであれ、子どもが同じように思っているかどうか?ですよね。
何も後悔がないのなら、それでいいですよね!
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