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ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

認知症だった母の命日

2015-02-15 14:58:17 | つれづれ
昨日はバレンタインでしたね。

実は私の母の命日でもありました。
亡くなって4年になります。

認知症の症状が出てから約20年。
徐々に徐々に進行し、いろんなことがわからなくなってしまった母でした。

とにかく外に出たくて、出たくて仕方がなかった母。
散歩から帰ってきて10分後にまた「散歩に行ってくるから」と言う。

諦めさせようとすると興奮してしまうので
なるべく一緒に出るようにはしていたのですが、
さすがに全部は付き合いきれず、携帯をポケットに入れて出したことも。

帰ってこれなかった時に、GPS頼りに探し回りました。
もう何十回も。
警察にも何回もお世話になりました。


父が倒れ病院に運ばれた時も、その電話を受け取った母が
「今から行きます」と家を飛び出してしまい、
そのまま行方がわからなくなってしまいました。

母はいないけど、私は父のところへ行かなければならず、
後ろ髪引かれながら、病院へ駆けつけました。

父はすでに息を引き取った後で、その後、自宅に戻ってきて、
葬儀の打ち合わせをしている時も、母は見つからないまま。

出張に出ていた主人とも連絡がとれないまま・・・

母が見つかったと警察から連絡があった時、すでに夜の10時半を
回っていました。

白い布をかけられた父とやっと対面できた母。
状況が把握できない母の姿に、ケン太は泣いていたっけ。

その後、父の遺影を見ては
「・・・お父さん、死んだの?」と何度も聞いてきました。

その後、がんを患った母。

診察日に待合室で「あんた、どこか悪いの?」と
何度も聞かれました。

夫の死も・・・
自分の病気も・・・

把握できなかったけど、それで落ち込むこともなかったので
かえってよかったのかもしれません。


癌の摘出手術をしましたが、2年後に再発。
完治はしないと言われ、治療を断念。

緩和ケアに切り替えました。

治療できたとしても、
自分の症状を医師に伝えるということがなかなかできず
医師の指示に従って治療するのも難しかったと思います。

それに、病室から出て行ってしまうため、
歩けるうちは入院もできませんでした。

緊急入院し、容体が落ち着いたので一時帰宅したら
母が歩きだしたと、すぐまた病院に呼ばれたこともありました。

自宅で看取る決意をし、介護ベッドを入れ2か月後。
眠るように息を引き取りました。

私は側にいたのにその瞬間がわからなかったほど
静かな死でした。

これで母は苦しみから解放される。
父の元に行ける。

よかったね。。。
今までありがとう。。。

そう声をかけました。


仏壇に手を合わせ、母のいろんなことを思い出していました。

仏壇の前で、いつも優しく微笑んでいる母の遺影。
ここだけは私が娘になれるところです。




最近はあまりいい報告ができないことが心苦しくて・・・
ここに座るのを避けていたかもしれない。

あまり母に心配かけちゃいけないね。



さて、バレンタインデー

何も貰えないだろうケン太にチョコを買ってきてあげました。

主人は義理チョコもらうからいいよね


今年のテーマは和です。






なかなかいいでしょ


ケン太の反応は・・「あ、どうも」でした





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コメント (6)
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