ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

家庭が機能していなかった

2018-04-11 23:44:16 | 不登校のこと
今日は、違う記事を書こうと思っていましたが、

昨日、主人のことを書いたので、その補足といいますか、続編といいますか、
書いてみますね。

電車の中で初老の紳士に指摘されたように、
主人はケン太に甘かったです。


主人を擁護すると・・・

主人は当時、とても仕事が忙しくていつも帰りが遅かったんです。
早くて10時過ぎでしたね。

ケン太はいつも夢の中。

主人は帰ってくると、寝ているケン太の横に張り付いて、しばし寝顔を見つめ、
「めんこいな~どうして、こんなにめんこいんだろう~」って言いながら、
ほっぺをツンと突いたり、頬をすり寄せたりしていました。

動いているケン太を見れるのは、ほぼ土日だけだったと思います。

ケン太は日々、成長していっているわけですが、
その成長過程をあまり確認できていないというか、
多分、主人の中で追いついていなかったのだろうと思います。

あとは、動いているケン太をたまにしか見れないので、
嬉しくてつい過剰サービスしてあげたくなるのですね。

それが、幼い対応、過保護に繋がってしまっていたと思います。


一方、私は、主人の過保護が気になるわけです。
こんなことしてたら、大変だという危機感がありました。

それでなんとか締めようとするのですが、
一筋縄ではいかないケン太なので、抑えきれないのです。
言うことをきかせようと思うけど、きかせられない。

私の力不足もあります。
叱り方がわからなかったしね。

母親だからか、甘く見られていたようで、ケン太は反発するばかり。

そのうち挑戦的になり、
わざと怒られるようなことをするということも起きてきました。

もうね。こうなると悪循環ですよ。

結局、押し切られるから、一貫性がなくなり、ブレた対応になる。
どんどん子ども上位にさせてしまうだけ。

一方で、主人の方は友達親子でいいじゃない。
叱ることを嫌い、何かあったら話し合えばいいじゃないという考えだったので、
夫婦の考えにも一貫性がない。

上手くいくわけがないのです。



夫婦が違う考えで、違うやり方をやってしまうとこうなるってことですね。

夫婦の役割分担が上手くいっていないのですから、子どもも混乱するわけです。
家庭が上手く機能していなかったと思います。
(けっして過去形ではありませんが


子どもをどうにかしようとするよりも、
やはり自分たち。

夫婦から見直しすることかなと思います。



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情報が溢れているけど。。。

2018-04-08 23:33:05 | 不登校のこと
ケン太が不登校になったのは、今から10年前のことです。

これからケン太はどうなるのか?
私はどうしたらいいのか?

なんの答えも見つけられないまま、
出口が見えないトンネルの中を彷徨うだけでした。

当時、情けないことに、私はケン太にPCを奪われていました。

ケン太が寝ている時間に、私はPCに向かうことができたのですが、
家事をしたり、用事を済ませたり、認知症の母もいたので、
なかなかPCに向かう時間がとれませんでした。

それでも、なんとか不登校関連の書籍を取り寄せ、
少しでも時間があれば必死に読んでいたのを思い出します。

そこで『不登校』というものの捉え方が様々であるということを知りましたね。

外に出れなくて家に引きこもってしまう子もいれば、普通に友達と遊びに出かけてい子もいる。
暴言暴力で親に刃を向ける子もいれば、共依存でべったりの親子関係もある。

子どもの性格傾向、親との関係もそれぞれなので、
皆が同じ状態のわけがない。

当然、対応の仕方も千差万別。

それだけは理解できました。

そこから、我が家の場合は、どうしたらいい?・・・となるわけですが。


ケン太は小学校の時に不登校になりましたが、
当時、小学校の中で不登校はケン太だけでした。
(単に長閑な小学校だったということなのですが

まだ「不登校」という言葉を知らない子もいました。
そういう時代です。

そんな時代なので、まだまだ相談機関は少なかったし、
学校以外の居場所も少なかったです。

ケン太も学校しか知らず、学校に戻る以外の選択肢は持っていなかったし、
その分、行けないことに対する罪悪感も大きかったのですが。

だから戻れたとも言えます。


今は、不登校の数が増えていますね。

身近に休んでいる子がいる。
学校以外の居場所も増えている。
相談できる専門家も増えている。

学校に行かなくても、SNSで友達と繋がることができる。
子ども自身で情報を集められる。

子どもが置かれている状況はかなり変化してきています。
親の考え方も、それと共に変化しています。

当然、ネットでも情報が溢れています。

いろんな情報を得ることはできますが、
あまりにもありすぎて、我が子にとって何がいいのかわからなくなってくる。

そんな状況にも陥りがちです。


どうしたらいいのか・・・

どんなに情報が溢れていたとしても、
親がその中から取捨選択しようとしても、

結局は、答えは子どもが持っていると思います。

親がこうしたいと思っても、親が子どもを変えることはできないので。
変えられるのは自分だけなので。

子どもをなんとかしようとしても、
決して親の思うようにはなりません。

子どもの人生なのですから、子ども自身に決めてもらうしかありません。

子どもがちゃんと自分自身に向き合って決断できるよう、
親が自分自身に向かい、自分の人生をきちんと決断して生きること。

子どもに向かう前にまずは自分から。

そうするといいんじゃないかなと思います。






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行けば終わり・・・ではないのだから・・・

2018-04-07 23:50:31 | 不登校のこと
勇気を持って一歩踏み出せたとして・・・

学校に行ったら行ったで、そこでまたいろんな問題に直面します。

授業がまったくわからなくなっているかもしれません。
友達との距離感も変わっているかもしれません。

そこでめげて、また行けなくなってしまうこともあります。

行けば終わり・・・ではないのが不登校です。


子どもが行く気になったら、そのタイミングで・・・

確かにそうなのですが、行った後のことを想定していないと、
せっかく行く気になった子どもの心にまた傷を負ってしまうことも。

行って・・・ダメだった。
また行って・・・ダメだった。

これが繰り返されると、自分に自信を失ってしまうかもしれません。

もう「行く・・・」と言わなくなる。
これが一番、怖いです。


今なら・・と思える時に、背中を押してあげる。
それも必要なことですが、むやみやたらにしない。

ただただ、行くことだけを目的としないことかなと思います。



子どもが「〇〇の日から行きたい」と言ったのなら、
ただ、その日を待つのではなく

親はある程度、手回しをしておく。

一番は先生のご協力を得ることかなと思います。

学期が変わっていたら、席も変わっていると思います。
班も変わっているでしょう。
自分は今、何係なのか・・・

自分の席がわかるのとわからない。
ただそれだけでも、教室に入るハードルの高さが変わってきます。

長い間、行けていない子なら、下駄箱の場所も教室の位置もわかっていないだろうと思います。

行けそうな気配を感じたら、先生にそれとなくお伝えして子どもに伝えてもらう。

ここは親が伝えると、暗に登校のプレッシャーをかけてしまうので、
先生から伝えてもらう方がいいです。

もし可能ならば、放課後など学校に出向くか、訪問していただくか、
先生と直接、お話することができれば、ぐっと学校へのハードルが下がると思います。

クラスの子と会える機会があれば、もっといいかなと思います。

先生と連絡をとっていることは、子どもには内緒にしておくのが望ましいです。
それを嫌う子もいるので。親子の信頼関係にも関わってきます。


学校に向かえるように、なるべくハードルを低く設定することもそうですが、
登校できたなら、その後のことも必要であれば、お願いしておくといいかなと思います。

ケン太の場合は、最初は毎朝、起きて学校に向かうだけで精一杯だろうと思ったので、
最初のうちは、宿題が遅れても大目に見ていただくようお願いしました。

先生は快く受け入れてくださいました。

これについては、特別扱いが嫌いな子もいるので、その子次第だと思いますが、
まずは、毎日、登校できることを再優先し、そのほかの負担となることは、
徐々に軌道にのれるようにする。

これもひとつの方法だと思います。


学校に戻りたいという気持ち。

気持ちだけでは、なかなか乗り越えられない場合もあります。

親は基本、見守る姿勢でいるべきですが、
必要であれば、陰で手助けしてあげる。
支えてあげる。

それはあっていいと思います。




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「やはり行けない」となっても淡々と・・・

2018-04-06 23:53:44 | 不登校のこと
近所の小、中学校は5日が始業式だったようです。

昨日のところもあったようですね。
来週、月曜日のところもあるのかな?

学校に行けなくなってしまったけど、戻りたいという気持ちがある場合、
子どもは戻れそうなタイミングを探しています。

始業式というのはひとつの大きなきっかけになります。

「始業式から行く」と宣言する子もいますよね。

今のクラスには戻りにくいけど、新しいクラスになるタイミングなら、
皆と一緒にスタートを切れるのでは・・・

期待と不安で、胸が押しつぶされそうな思いで、その日が来るのを待っています。

えい!っと勇気を出せて行けたらいいですね!


でも、現実は・・・そんなに簡単にいくものではありません。

ベッドから起き上がれない子。
着替えたけど、玄関で固まってしまった子。
家を出たけど、学校には行けなかった子。

ケン太はそのどれをも経験しています。

一旦、止まってしまった子が学校に向かうのは本当に大変なことです。

行きたい気持ちがあっても、
身体は思うように動かない。。。

親も切ないです。


行けても・・・
行けなくても・・・

親は一喜一憂することなく、子ども前では淡々としていてほしいです。

行ったら、お母さんが凄く喜んでくれて
休んだら悲しむ・・・

お母さんの素直な感情だけどね。

でも、それを子どもの前で出してしまうと、
子どもはプレッシャーに感じてしまいます。

親が喜んでくれれば子どもも嬉しいかもしれないけど、
同時に「こんなに嬉しそうだということは、また休んだら悲しむのだろうな」という
暗黙のプレッシャーを感じることになります。

行ったら嬉しいを繰り返すことは、
行けなくなった時に、その反動で、より一層、子どもの自己肯定感を下げてしまいます。

やはり行けない・・・となった場合、子どものショックは大きいです。
親が悲しんでいる姿をみて「親をまた悲しませてしまった」と
さらに子どもを追い込んでしまうことにも。

そもそも学校はお母さんのために行くわけではないのです。

お母さんが喜ぶから行く?
お母さんが悲しむから行く?

自分のために行く・・・にならないと長続きしないです。

だからあえて淡々と・・・

学校に行くことはお母さんの問題ではない。
あなたの問題なのよという態度でいるべきだと思います。

行けたら、ニコっと微笑むくらいで。
子どもが喜んでいる姿が嬉しい・・・という気持ちで。

行けなかったら、言葉にしなくてもいいですが
「行きたかったんだよね。残念だったね」という気持ちで接するくらいでいいのでは?

「また次のチャンスがあるよ」と微笑むくらいの余裕があるといいなと思います。


そして、子どもが

考えて考えて
勇気をためて

自分が行きたいという気持ちを持って

動くことができたらいいなと思います。





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校長室での第二卒業式

2018-03-09 23:33:44 | 不登校のこと
3月といえば、卒業式ですね。

今週末のところも多いのかな?


不登校の状態で迎える卒業式。

ケン太が中学生の時がそうでした。

最初は出る気がなかったケン太です。

でも、担任の先生が一生懸命働きかけてくださり、
午後からの、第二卒業式(校長室での卒業式)だけ出席することができました。

担任の先生が「卒業証書は手渡すことになっている。
卒業式に出れないのなら校長か教頭が自宅に手渡しに行く」とケン太に言ったのです。

そんな決まりはないのですが、
なんとかケン太に出てほしくての嘘ですね。

そんな嘘がケン太に通じるのかと内心ヒヤヒヤの私でしたが、
第二卒業式なら行くとケン太は答えました。

「校長や教頭に家に来てほしくないから」ということでした。


卒業式当日。

午前の卒業式が終わり、同級生が皆、学校から去った頃。
13時頃だったと思います。

お母様も是非・・・ということなので、ケン太と二人で学校に向かいました。

ケン太は「行く」と答えたけど、
本当に来るかのかどうか心配だったのでしょうね。

担任の先生は、玄関先でケン太の姿を確認するなり、安堵の表情を浮かべ、
「よかった」とケン太を抱きしめました。

ケン太が6月末に完全に不登校になってから
最低でも、週に1、2度、訪問してくださった先生。
電話も何度も入れてくださいました。

最初は訪問していただいても、会うことを拒否していたケン太ですが、
そのうち会うことができるようになっていました。

こんなに、こんなに、ケン太のことを思い、
いつもいつも心配してくださっていた先生。

そんな先生の最後の思いに応えることができてよかった・・と思えた瞬間でした。

胸がじ~んとしました。


その後、校長室に誘導されると、学年の先生方がずらりと整列されていました。

担任がケン太の名前を呼び、ケン太が「はい」と返事をし、
校長先生から卒業証書を授与されました。

ほんの1~2分だったと思います。

ケン太だけの卒業式は無事、終了しました。


廊下に出ると、担任の先生から卒業の記念品や皆からの寄せ書きなどをいただき、
これまでお世話になった教科の先生方にも
「元気でな~」とかいろいろと声をかけていただきました。

ケン太はというと・・・
ずっと強張った表情でした

多分、校長先生に卒業証書を渡されるだけと思っていたと思います。
こんな卒業式らしい演出があるとか、他の先生方がいるとか思っていなかったと思います。

私もそうなのですが。

他の先生方の声掛けにもどうしていいかわからないようでした。
早くこの場から消えたい・・・
こんなはずじゃなかった・・・そんな表情に見えました。

最後、これまでの感謝の気持ちを伝えようと担任の先生のところに向かうと、
ケン太は私から離れて行ってしまいました。

ケン太は玄関で私を待っていましたが、
私の姿を確認すると、ひとりで校門に向かって歩き出し、
家に着くまで、ひと言も発することはありませんでした。

家についてもしばらく放心状態でした。
ひと言も発せず、出てくるのはため息ばかり。。。


そんな様子をみると、
ケン太にとって卒業式とは何だったのだろう・・・と思います。

多分「行ってよかった」と思えるものではなかったと思います。

卒業証書をもらうために仕方なく行ったのですから。

確かに、卒業式の日に学校に向かえたことは大きなことだけど、

ケン太にとって「行ってよかった~」と思えるものでないのなら、
私も「行ってよかった~」と心から思うことはできませんでした。


今、不登校のお子さんも
その親御さんも

卒業式は・・・という思いがあるかもしれません。

お子さんの意志で一歩踏み出すことができたら、それは素晴らしいことだと思います。

ただ、ケン太がそうであったように
皆が卒業式に出たいと思っているわけではないと思います。

予行練習に参加していなくて参列そのものに不安があったり、
これまでのイベントの話など、思い出を皆で語りあったりするんじゃないか。
自分は参加していないのに?
そんな中にいるのは耐えられない・・・

学校に行っていない子はいろんなこと想像してしまいます。

「出たい」という気持ちが見えているのなら
親も背中を押してあげたいですが、

「出ない」と決めたのなら「出ない」でいいんじゃないかな。

過去のことを振り返りたくなかったら、振り返ることはない。
前を向かせてあげればいいと思います。


卒業式にも出れないなんて、かわいそうと親が嘆いたり
出た方がいいんじゃないかと働きかけたり?

卒業式に出れないダメージを親が大きくして。
子どもにもダメージを与えてしまうだけかなと思います。

もし、行けなかったとしても、重く受け止めず、
それはそれで・・・というくらいな気持ちでね。


ケン太にとって、
卒業式の日のことは、
そんなことがあったな・・・程度のことになっていると思います。

通り過ぎてしまえばそんなもんです。

そうなればいい。

きっとそうなりますよ。



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