かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

東北への旅

2014-07-06 16:02:54 | アズワンコミュニテイ暮らし

7月8日朝、東北への旅に出る。

その日は新幹線で盛岡に行き、宮古の吉田直美さんを

訪ねる。次の日は、花巻のやえはた農園、藤根一家を訪ねる。

 

正直、ちょっと自信を失っている。

ここ10日ばかり、風邪状態になり、微熱と咳に悩まされた。

ここ3、4日ですこし、楽になってきたが、こんなんで東北まで

いけるのかな、とか。

ほとんどは、電車かバスに乗っているスケジュールだし、

お会いする人も気が置けない間柄ということもあり、妻が

付き添いで連れ添ってくれるし、身体をもっていったら

なんとかなるか、と今は出かけるつもりでいる。


そんなにまでして、何でまた東北まで?

キッカケは、仙台の友人白鳥さんが体調を崩して、いちど

お見舞いに行きたいというのがはじめ。

その後、3年前にアズワンを訪ねてくれた吉田直美さんから

アズワンに講演会の依頼があり、小野雅司がこの5月盛岡・

宮古に出かけて、吉田さんたちの仲間の人たちと親しくなった。

花巻のやえはた農園でも、人と人が隔てなく暮らせる社会への

夢があり、その後藤根さん夫妻、冬美さんがアズワンに

訪ねてくれた。

「東北の地で、一人ひとりはどんな背景のもと、どんな気持ちや

願いで日々暮らし、活動しているか」直に触れて、感じてみたい、

そんな気持ちが湧いてきた。

もちろん、東北大震災後について、言葉にならないが、被災したり、

その地で暮らす人たちの気持ちに思いを馳せることがある。

自分に何が出来るか?

はなはだ心もとない。

何か出来るとか、お役にたてることがあるのでは、と思うこと自体

おこがましくないか?

いろいろ思う。

いまは、自分がどれだけ、東北で出会う人たちと、分け隔てなく

接することができるか、そこで暮らす人たちの気持ちがどれだけ

伝わってくるのだろう、人々の心底の願いに触れたい、それに

触れえたときそこで自分がどんなことになるか、そこを素直に

見ていきたい。

そんな旅でありたい。

 

(ここまでは、今日(7月7日)の朝書いた。あとは、ずっといろいろ

やっていて、今午後10時過ぎ、一人になった。

もう少し、日記風に、出かける前に、記録としても)

 

今日、お昼、韓国青年との話し合いが心に残った。

その一部、あんまり良く表現できていないけど、メモ程度に。

 

   「ほんとうは何をしたいのだろう?」

       --韓国青年訪問団の三日目

    昨日(7月6日)の朝、イ・テヨンさんが鈴鹿
    カルチャーステーションで合流した。
    イ・テヨンさんはソウルで緑の党の活動をして
    いる。
    きのう一日、アズワンのあちこちを見学して、
    夜はアズワンにかかわっている青年たちと交流
    した。
    今日(7月7日)は、すずかの里山で森の仕事を
    体験した。
 
    三日目の感想を聞かせてもらった。
    「この間感じたのは、韓国では仕事のことや、
    どんなふうにやるか、そういうことに関心が
    強かったなあ、と思った。もっと、人と気楽に
    話ができるようになる、そこが大事かなあ、と」
    「いままでも、話し合いは大事だとは思ってき
    たけど、それはどうも形式的、理屈的な感じで、
    ほんとうは、今自分の心はどうやりたいか、
    そこを自分の内から出していく、そこがいままで
    より、深いところが感じられた」
    「今、こうしているということでも、”ほんとうは
    何をしたいのか、自分に問うてみる、そして、
    何回でも白紙にして考え直す、そこが今回の訪問で
    伝わってきた」
    「各地で活動している人たちのネットワークづくり
    をしている。事柄をどうしていくか、という話合いは
    しているが、”ほんとうはどんな生き方がしたいのか”、
    ”どんな社会で暮らしたいとおもっているか?”、
    そういう問いを自分に問うていくこと、出会った人
    たちといっしょに、そういう問いを問うていくこと
    やってみたい」
    「韓国の社会運動もカベにぶつかっている。
    活動家の人自身が幸せでない」
    「いまの韓国は沈み行く船に譬えられる。中に居たら
    水に飲まれるし、外に出ても救いがない」
    「船の中にいて、気がつかない人もいるし、外に脱出
    できたら、安全な船・場があったらいい」
    「それが、モデルの力だろうな」
    「そう、いままでの人生でなく、新しい人生を
    見出すような」
    「”どんな人生にしたいか””どんな社会に暮らしたいか”、
    そういうことが検討できるところが、世界中にほしいね」

    韓国青年の話から、韓国社会の空気が伝わってくる。
    これは、韓国社会だけのことかどうか。
    20代30代40代の韓国青年の心にすこし、触れた感じが
    した。
    先に来た3人は8日に帰国、い・テヨンさんは9日に
    帰国する。
    探究は続きそうだ。

 

東北、それも花巻を訪ねることもあって、宮沢賢治の

「ポラーノの広場」を読んだ。

  最終章の最後。

 広場の仲間たちから一通の郵便が語り手に届く。

 それは楽譜で歌えるようになっている。

 おそらく、それはを意味を詮索するより、口で唱えるのがいいかも

しれない。

 

  ポラーノの広場のうた

     つめくさ灯ともす   夜のひろば

     むかしのラルゴ   うたいかわし

     雲をもどよもし    夜風にわすれて 

     とりいれまじかに  年ようれぬ

 

     まさしきねがいに  いさかうとも 

     銀河のかなたに   ともにわらい

     なべてなやみを    たきぎともしつつ

     はえある世界     ともにつくらん

 

では、行ってきます。

   (7月7日午後10時45分)

 

 

 


吟行と例会と、椿大神社(おおみやしろ)で人心地

2014-07-06 10:33:40 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

まさか吟行なんて!

落語の”長屋の花見”なら身の丈に合っている。

「6月を、よく雨が降るのに水無月とはこれいかに?」

「そりゃあ、天に水が無いってことなのよ」敏子さん。

「へえー!」はじめて知ったとおっさんたち。

 

梅雨曇とも、梅雨晴れともいえる空模様。

神韻とした参道を通って、わが健生みえの面々が

椿大神社(おおかみやしろ)の本殿前に寄ってきた。

伊藤敏正さんが、早速短冊を3枚渡してくれて、あっち

うろ、こっちうろ・・・

果たして句なんて、できるのだろうか?

「ほら、あそこに歩いていくお年寄り。ずっと本殿でお参り

していたのよ。句にしたいんだけど、なかなか・・・」

句作のベテランのつぶやき。

 

さて、所用で早めに帰った。

例会と句会の会場は中井宅。

出かけていくと、もう全員の句がコピーされてきた。お見事!

 

句会の醍醐味は、投稿句の中から、作者が明かされていない

5句を選んで、選んだ人が「どうしてその句を選んだか」、これを

出し合うことにある。

選んだ人は好きなことをいい、出尽くしたところで、「この作者は?」

と、名乗り出てもらう。

「ああー!」と、感動の瞬間。その人の何かに触れ得た感じ。

 

同じところを歩いて、句を作るんだから、題材は似通ってくる。

出来た句にたいしての感想や作者自身の気持ちや見ている

ところを聞くと、そんな世界におったのかと、世界が広がる。

一人では味わえない世界。

 

さて、句会の何作かを取り上げてみようかな。

 < 梅雨晴れに守り浄めしおうなあり >        康子

    「”おうな”って、おばあちゃんだよね」

    「守り浄めし、ってとこは、パートのおばちゃんじゃ、感じ

    られないだろうね。参道、きれいだったわ」

    「作者は?」「はい、康子です。おばあちゃんが、これで

    最後かなと掃いていたのよね」

 

 < 禊とて手水所(ちょうずどころ)の去りがたし >   敏子

    「”去りがたし”というところに、なんというか、その人の気持ちの

     襞が感じられて・・・」

    「作者は?わたしです。郡山さんが、かなえ滝のところでジッと

    見ている様子をみていたの」

    「郡山さん、よほど悪いことして、みそぎしてるんじゃないか・・」

    「郡山さんの気持ちも思ったし、自分の中も見ていた・・」

 

 < 神宿る森を見上げて我みそぎ >         鈴木

   この句には6点入っている。

   「森を見上げて、ってところ、伝わってくるものある」

   「鈴木さんらしい。絵になっている」

 

 <  木漏れ日が画く墨絵を梅雨砂利に  >    辻屋

   「情景が伝わってくる」

   「”木漏れる日が墨絵を画く”としたら、もっと鮮明になるかしら」

   「やあ、ぼくには梅雨砂利に画かれたものが、墨絵に見えて、

   印象的だった」


 

 <  梅雨晴れ間ゆっくり歩む宮の参道(みち)  > 余川

   この句は4点。

   「やさしいコトバで、やさしく表現しているけど、今回の吟行の

   真髄を味わいつくしている句だと思う」

   「歩む、と言う中に別世界を感じさせるものがある」

   「ゆっくり気持ちを充実させているような」

   「作者は?」「わしじゃが・・・」

   「へえー」

   「待ちに待ってやっと出来た句なんよ。これで、今回のぼくの

   句会は終わったといってもいいかな。ああ、たまには

   自慢させてほしいのよ」(大笑い)

 

  < 沁みわたる石に願いか石からパワーか >    友紀

    面白いもので、句の出来栄えとは別に、作者がどんな気持ちで

    いたのかに関心が集まる句というものがある。

    作者は、足利友紀さん。

   「おばあちゃんが石に手を当てて、願いごとを石に託しているのか、

   石からパワーをもらっているのか、石とおばあちゃんの世界に

   見とれていたの」

  

 < 猿田彦何処にいざなう我が日本 >         郡山

   道開きの神、猿田彦さん、戦争のできる国へ手をこまねいている

   うちに、なって行く。なんとかならんのか、この日本、自分自身。

  「季語がないから、俳句では出せないけど、時事の川柳としたら

  世に出せないかしら・・・」

 

 < 友と会いい願いも新たかなえ滝 >          大平

   「友って誰だろう」「まさか不倫では?」

   作者大平さん「いや、いや、しばらく病身でみんなに会っていなくて

   やっと会えた気持ちをうたったんだよ」

   「そうかなあ、かなえ滝だからなあ」

   ここから冗談続出。

   照子さんまで「それならそれで、いいわよ。おばあちゃんもいっしょに

   どうぞ」(大爆笑)

 

 < 神宿る木々のしずくや風涼し >           中井

   この句も6点句。

   「木々のしずくや、の”や”が効いている」

   「木々のしずくや、までは私でも詠えそうだけど、”風涼し”は

   意表をついていて、いい感じ」

   「さらっと詠っているようだけど、深いなあ」


こんなことでは、句会の雰囲気は伝えきれない。

「また吟行やりたい」という人が現れて、「嫌だ」という人も

いないから、またやることにあるかなあ。

余川さんが、東海道ウオークに情熱を傾けている。

吟行と東海道ウオークの合体も考えられる。

「まあ、いずれにしても9月になってからね」

”去りがたい”気持ちを残して、「またね!」