かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

東北の旅からはじまる(3)・・・「やえはた自然農園」

2014-07-20 16:00:08 | アズワンコミュニテイ暮らし

”縁は異なもの味なもの”

これは、男女の結びつきを言うのかもしれないけど、

なんとなくこの世の、人と人の結びつきに敷衍しても

おかしくないんじゃないか。

 

「あすからのくらし相談室宮古」の吉田直美さんから

アズワンコミュニテイ鈴鹿の講演を依頼された。

鈴鹿から小野雅司さんが盛岡・宮古に行く途中、直美さんの

案内で花巻のやえはた自然農園に寄った。

やえはたの藤根正悦・香里夫妻、同居している西平冬美さんと

アズワンの小野さんがしばし、もろもろ語り合った。

その夜、3人は盛岡で開催されたアズワンの講演会に、急遽、

出かけた。

何か、化学反応のようなものがあったのだろうか。

縁といえるか。



やえはた自然農園は2001年、藤根さんが父上のやっていた

田んぼや畑を引き継いではじめた。

サラリーマン生活を捨てて、自然農の勉強をして、その農法で

はじめた。父上は、草の生えている田んぼや畑に驚いた。

2007年、東京でITの会社に勤めていいた女性が

やえはた自然農園に農業研修生として滞在していたとき、

生き方の方向にお互い共鳴して、藤根さんにとっては、2回目の

伴侶を迎えることになった。香里さんその人だ。

これは、まさしく縁は異なもの。

 

その、ご夫妻と西平冬美さんは、5月19日花巻空港から飛行機で

アズワンコミュニテイの見学にやってきた。

二泊のスケジュールでその間、随分じっくり語り合えた。

藤根さんと香里さんの阿吽の呼吸。お二人といっしょに居て、

そんなに感じた。

娘のような冬美さんが心に出てくる気持ちを粉飾しないで、そのまま

出しながら、自分のほんとうを尋ねていく様子。

形では無いけど、心の世界で起きていることに心を寄せている一人ひとり、

お互い。

何か不思議を感じる。

 

今回、ぼくら夫婦で、やえはた農園を訪ねた。

http://yaehata.com/


農園だけでなく、天然酵母パンをマルシェに出品したり

している。

正直、農法にそんなに関心があるわけではない。

はじめて自然農の田んぼと畑を見せてもらった。

すっかり、畑には草があるのはおかしいとなっている観念、

畑を見ながら、ここで何が行われているか、草の下では、

何が起きているか、目を凝らしている。



そこで藤根夫妻は願いがあって暮らしている。

田んぼや畑も目を凝らしていたが、それをやっていこうという

ご夫妻の気持ちにも目を凝らす、というより耳を傾けた、正確に

いえば、傾けようとした。

ちょっとした、立ち居振る舞いにも、触れようとしたかな。

 

夕方、晩ごはんの準備がはじまった。

「シェフは正ちゃん(藤根さん)なのよ」と冬ちゃん(冬美さん)。

「へえ、そうなんだ。知らなんだ」とぼく。

「ビール飲むかい?いつも、ご飯の準備しながら、飲むんだよね」

と正ちゃん。

正ちゃん、寛いで、楽しそうで、鼻歌まで出てきそう。

「さあ、カンパイ!」

ボールに入っている溶いた小麦粉に調味料を入れるときの

手つき、ホントどっかの有名レストランののシェフのよう。

ほのぼのとした気持ちになった。

 

正ちゃんは、今年に入って、かねてからの念願、自然食レストランに

チャレンジしている。夫妻の居室をレストランに改造中。


夫妻は自ら居室を追われ、家のなかで難民生活。

そうそう、正ちゃんとこには、正ちゃんの父上、娘、息子夫婦も

同居している。それに、冬ちゃんもいっしょに暮らしていた。

ここ数ヶ月の経過のなかで、冬ちゃんは別に家を見つけて

暮らすことになってきている。

 


その晩、台風8号の影響かときどき雨模様。

食後、改造中のレストランの工事現場で、ほの明るい電球に

照らされながら、一口では語れない心の内の、さまざまな

出来事、というか起きてきた気持ちを正ちゃんは噛みしめるように

語ってくれたのでした。奥さまは傍らでじっと寄り添うように、

すべて受け止めているように、座っていました。

正ちゃんからは、息子さんとの通じ合い、そこからほんとうの

ことははじまってくる、そんな気持ちが伝わってきました。

レストランをやりたい、というのも、正ちゃんや香里さんの

深いところからでてくる願い、心底が感じられました。

心に残る夜でした。

 

 やえはた自然農園の周りにはクローバーが咲いていた。

こちらに来る前、宮沢賢治の「ポラーノの広場」を読んだ。

ちょっとばかし、妄想に入る。

「イーハトーブの野原に夜のとばりがおりると、つめくさの花には

それぞれ小さなあかりがともり、そのあかりについている番号を

順番にたどっていけば、伝説の「ポラーノの広場」に行き着けると

いうのです」

なるほど、つめくさにあかりが灯っているとイメージするのか。

 

最終章。

求めてきファゼーロとその仲間たち。

「そうだ、ぼくらは一生けんめいポラーノ広場をさがしたんだ。

けれどもやっとのことでそれをさがすと、それは選挙につかう

酒盛りだった。けれどもむかしのほんとうのポラーノの広場は

まだどこかにあるような気がしてぼくは仕方ない」

「だからぼくらはぼくらの手でこれからそれをこしらえようではないか」

 


やえはた自然農園には一泊のみ。

夜、藤根夫妻と後半冬美さんと語り合った。

翌日、ぼくら夫婦は宮沢賢治記念館に正ちゃんに車で送ってもらった。

土砂降りの雨が降っていた。

冬美ちゃんとお昼前の記念館で落ち合った。

「水道が切られていて、引越し出来なくなった」と聞かされた。

記念館の前の蕎麦屋さんでお蕎麦を食べた。

美味しかった。

「なめとこやま」という名前の店だった。

「いろいろあっても、相談しながらやっていきたいね」

これが精一杯だった。

「はい!」冬ちゃんは笑った。

 

 

 

思うのはやはり、その人がどんな願いのもとに、そのように

現れているのだろうかということ。

どんな人にも願いがあり、それが実際に実現しますように!

そういう願いの縁でつながってききたい。

 

帰ってきて、「やえはた自然農園」のホームページを読んで、

こころに残った一節」


 「大切なのは、お金や肩書きや物では無いと痛感しました。

 命あること、家族や友がいてくれる事がとても嬉しく、思いやりの

 気持や言葉や笑顔が暖かく心に響きました。 

 一見何事も無かったよう風景が流れる毎日の暮らしのなか、

 自分には何が出来るんだろうと自問しますが、あのときから

 変わったねと喜び合える明日に向かいたいと思います。

 放射能のこともとても気になります。安心して暮らせるよう、

 仕組みやルールを変えていく為の意思表示や行動は大切ですが、

 誰かを責めたり抗議し対立するのではなく、こういう暮らしが

 いいよねと「No」より「Yes」で表現したいものです。

 難しい顔よりも安心して笑顔で暮らせることが何よりです。

 比較や競争よりも助け合い。金で買ったりどこからか持ってくるよりも

 自給できる暮らし・自然に沿う暮らしが心地いい。誰かに求めるので

 はなく、自分の暮らしから実践し楽しみ、分かち合おう。結果として

 笑顔の明日が出来ていくと思います。

 野菜やお米を作り、エネルギーも出来るだけ自給し、日々笑顔

 のこころで暮らす。自然農の田畑、みんなの森、お茶会やライブな

 どのイベント、全てをその展開として作って行こう。農園の今の暮らしを

 しっかりと実践して行きたいと思います。 これからが本番です。」

 (自然通信2012・1・1)