若葉が輝いて、目に染みる。
今日、30余年隣人だった安土亮さんを津に訪ねた。
早春の頃に、角膜の移植が成功して目が見えるように
なったと、風の便りで知った。
30余年前出会ったころは、それでも何とか見えていた。
その後、角膜の移植をやったが一時的には見えるように
なっても、すぐに曇りが入り、見えなくなった。
本人も「もう見えないものとして、暮らしていこう」と思ったし、
ぼくら周りも「見えない人として付き合っていこう」と思った。
安土さんは、凛としていた。
愚痴など、聞いたことがない。奥さまには、どうだったか、
分からないけど。
按摩の手技を習得して、それを通して人との交わりを
味わっていたように見えた。
奥さんの由美子さんも、いろいろ思うときもあったろうけど、
よく寄り添ってきたと思う。
安土さんは、花を育てるのが喜びだった。
いっしょに近くの花木園に苗の買出しに行ったこともある。
目は見えなくとも、しっかりした花を咲かせていた。
「花は、目が見えなくとも、育てられる」安土さんの弁。
今年2月7日、いろいろな偶然が重なり、京都の病院で
角膜の移植手術を受けて、見事成功。
「なんと周りの光景が見えるではないか!」
由美子さん曰く、「帰りの車から景色を見ながら、大はしゃぎ
だった」
さもありなん。
本人もそうだろうけど。奥さまも。
そして、ぼくら周りのものも。
目が見えないことに不満感があると感じなかった。
その状態で十分満ち足りて暮らしていたと思う。
その上での開眼といえると思う。
よきが上になおよきを・・・・
部屋を訪ねたとき、安土さんはテレビをつけていた。
当たり前にテレビを見ている彼と話していて、ふと
「えっ、テレビを見ている!見えるんだよね」
目が見えるようになったお祝いにきているのに、
何と間が抜けたことを・・・。
安土さんは、日に4回ほど、目の消毒をする。
そろそろ、おいとまいたしましょう。
記念の写真を撮りましょう、と言っていたら、佐貝夫妻が
やってきた。
「じゃあ、いっしょに」 パチリ。
帰りがけ、安土さん。
「30年前、目が見えているときに見た宮地さんと、
今の宮地さんは別の人みたいに見える」と感想。
ああ、見えるようになったことが、嬉しいことばかり
ではないかもよ・・・
見えなくてよし、見えてなおよし。
若葉して御目の雫拭はばや 芭蕉