かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

春なれや 杖衝坂から庄野まで

2013-03-25 06:28:58 | アズワンコミュニテイ暮らし

 旧東海道を今、歩くグループや個人は多い。

 神奈川県の健康生きがい協議会が発起してスタートした

平成のやじきた道中も静岡~愛知~三重とバトンが渡って

きた。鈴鹿峠を目指している。

  

 

   <平成のやじきた道中伊勢の国編>

 3月23日は、四日市市の南にある内部駅から庄野宿まで。

 

   

   <近鉄内部線終着の内部駅へようこそ>

 朝9時ごろは、まだうすら寒い。

 神奈川県から早朝発った田原さん、佐須さんのお二人を待つ。

 次回は当日朝発で、やじきた参加はできないだろう。

 (鈴鹿で泊まれますよ)

 (田原さん、佐須さんちょっと遅れて到着)

 

       <お世話になります、うつべ町かど博物館>

総勢32名で出発。

 早々と”杖衝坂”に至る。

 上りかけに「うつべ町かど博物館」がある。立ち寄る。

 お年寄りがお二人、案内してくれた。

 町の暮らし今昔が懐かしい。

  

 

 

    <古事記の世界、杖衝坂を上る>

 杖衝坂は、たしかに急坂だ。

 いわれは、「古事記」にまで遡る。

 ヤマトタケルの命が関東を平定して倭の国に帰らんとした。

 「甚疲れませるによりて、御杖を衝きて稍に歩みたまひき。

故、其地を名づけて杖衝坂と謂う」

 

 今回も「さねさし相模の国」から、はるばる参加した人たちもいる。

 ヤマトタケルの命の運命やいかに・・・

 

 『吾足如三重勾而甚疲』

 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)

とのりたまいき。故、其地を名づけて三重と謂う。

 

 なるほど、ナルホド。

 いや、「古事記」に出てくるこの坂がその坂なら、なにか

胸のうちが”ロマン"でいっぱいになるじゃないですか。

 ここから、能褒野(いまの鈴鹿)通って、亀山あたりは、ヤマトタケル

の命にまつわる伝説や史跡がいろいろある。

 

 

 おまけに、江戸時代は芭蕉がこの坂を上った。

       歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな

 

 ーー徒歩の旅ならば杖を突いて登るほどの急な坂を好き好んで

   駄賃馬にのって落馬して散々な目にあったわい。

   おまけに、馬子にどやされたりして、季語まで落としてしまった。

 

 なんか、しかっめ面の芭蕉というより、ドジも有り、あわてたりも

する芭蕉さん、楽しい。

 

 

        <桜餅、お茶屋さんがあったらね>

 国道1号線に面した豊富神社で小休止。

 桜餅の差し入れ。

 宮地小浪さんがこの日の合わせてつくった。

 「おいしい」とあちこちから・・・

  

 

 

     <早春に旅は道連れ世は情け>

 菜の花、レンギョウ、黄水仙、うらうらの春の日。汗ばむほど。

  

 

       <ゆるりとしよう地蔵堂>

 石薬師宿の通り入口に地蔵堂。

 しばし休憩。

 

 

 <平成のやじきた、信綱かるた道を歩く>

 道中の両側に信綱の歌が掲げられている。

 それを、何人かで、なにやかや、好きなこと言い合って、

わいわいいいながら歩く。

 

  

 氷たる水田にうつる枯木立こころの影を寂しうぞ見る

 

  「水田にうつる枯れ木立って、いいとおもわないか?」

  「それをこころの影って、言うんだね、へえー」

 

 

夕されば近江境の山みつつ桐畑の隅に泣きゐしか

 

   「近江境というのは、鈴鹿山脈のことだろうな」

   「泣きゐしか、なんで泣いたんだあ?」

   「親父に叱られたんじゃないか」

 

願わくばわれ春風に身をなして憂いある人の門をとはばや

 

   「憂いある人ってどんな人だあ」

   「門をとはばや、って、どんなことだろう」

   「春風に身をなして、というところ、なんかいいなあ」

 

 あとで、恋の歌として、人口に膾炙してると知った。

 ああ、恋かあ、遠くなちゃったなあ・・・

 それにしても、この街道、ワクワクしながら通りぬけた。

 

 

       <ちょっぴり日本文化に開眼?>

 佐々木信綱記念館では、案内の女の人が分かりやすく、

さわやかに展示の解説をしてくれた。

 

 

      <おむすびは、歩いたあとが最高にうまい>

 二階のホールで昼食。

  

 

 

      <なにやら落ち着く石薬師寺>

 午後1時、石薬師寺へ向かう。

 江戸時代東海道53次が出来、この地を石薬師宿と

なり、広重の絵にも書かれて有名になった。

 なんでか分からないけど、この真言宗のお寺、歌碑が

いくつもある。

 

名も高き誓いも重き石薬師瑠璃の光はあらたなりけり

                            (一休禅師)

 

柴の庵によるよる梅の匂ひきてやさしき方もある住いかな

                              (西行法師)

 

春なれや名もなき山の薄霞        (芭蕉)

     春になったのだなあ。見過ごしてしまいそうな山では

     あるけれども、かすみが薄くたなびいているさまは、風情

     があってなかなかのものであるよ。

 

 この句、石薬師から鈴鹿の山を眺めて作ったのかとおもったけど

どうも伊賀上野から奈良に行く途中の作らしい。

 このお寺、なんかもう一度、ふらりと来てしまいそう。

 

 ぼくら夫婦はここで一行から離れて、帰宅。 

 昨年の術後、はじめてのウオーク。カラダは春の伊吹を

感じ、こころのなかは恋心まで呼び覚まされて・・・

 

               (ここまで宮地、このあとだれか?)

 

         <佐々木信綱記念館の余韻に浸りながら・・・> 

余韻を残して

 石薬師寺を出ると

 

のどかな田園風景が続く

 

ぽかぽかと、春の陽射しをうけながら

ゆったりと東海道をいく

 

 のどかな風景のなかにいて

佐佐木信綱会館での

 学芸員 磯上さんの解説が余韻を残している

 

路傍のさざんかもうつくしい

 


          <あれれ、交通事故現場に遭遇>

突如にわかなサイレンが聞こえだした

土手の上の1号線は渋滞

 どうやら事故のようだ

電柱が折れて架線が垂れている

皆が無事を祈って 通り過ぎた


           <庄野宿にて記念撮影>

庄野の宿場に入った

後続を待ちながら 少し休憩

 記念写真 とろうか

 

 

 庄野資料館では受け入れてくれる女性が

待っていてくれた

説明によると

高札の文字は 

にかわを混ぜた墨で書かれ

年月が経つと 木の部分が朽ちて

文字が盛り上がる ように見える

触ってみたら 凹凸 版画のようだ

 

当時つかわれていた駕籠

焼米

 

またの日を たのしみに

 庄野宿の資料館前が今回の終点、

次回の出発点です。

三々五々 いろんな話をしながら

JR佐加登駅に向かい

なんだかもっと一緒に同じ空気のなかにいたいな、

という気持ちでの解散になりました。

神奈川、静岡、愛知の遠方のみなさんから

三重の人は見送りをしていただき

駅を後にしました。

第4回の<やじきた>を楽しみにしています

また ぜひ一緒に歩きたいです!!

         (大平)