かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

暮らしのなかに観察があるかな?

2012-03-13 07:15:09 | サイエンズスクールのある暮らし
 幼い子がしゃがみこんで何かをジッと見ている。
 動くものがあったのか、その子のなかで見えてるなにかに
関心がおきたのか。
 そのすがたを”観察している”とはいえないかもしれないけど、
それが観察の原型がありはしないか?

 観察を広辞苑でひくと、「物事の真の姿を間違いなく理解しようと
よく見る」とある。

 幼い子の場合、見ているものの世界に没入しているように見える
ときもある。
 これは、ジッと見ているとしても、観察とはいわないかなあ。
よくわからない。

 暮らしのなかでは、観察ということがあまり意識されていない。
「どうすればいい」とか「それはこうしよう」とか、やることばかり
で頭のなかが満ちている。
 
 「これ、やってほしい」と他の人から声がかかると、「やれるか、
やれないか」ととっさに自分のなかで立ち上がってくる。
 「これ」とか「やってほしい」とかの声を聞いているけど、
「これ」にしても、「やってほしい」にしても、よくよく観察したら
相手の人がおもっている「これ」と「やってほしい」があり、
受け取ったじぶんの「これ」があり、「やってほしい」があるのでは
ないか。

 受け取り方というか、とらえ方というのはその人その人で様々
かもしれない。

 その受け取り方から、じぶんのなかでこれまたいろいろな
感情や考えや意志などが出てくる。

 その受け取り方が出てくる元はどうなっているのだろう?
 ここのところをよく見る。よくよく見てみる。
 
 じぶんの実例で見てみる。
(子どもがしゃがみこんでジッとみているように、そこ、見れないか)

 こころに起こることは、時々刻々切れ目なくあらわれているだろう。
 表れてくるのには、じぶんのなかにそうあらわれてくるような状態が
あるだろう。 
 そこを良し悪しや好き嫌いを一応横においておいて、観察する。

 なんで、そんなことしたいとおもうの?
 いくつも、「こうこうで」というのがでてくるけど、いまはそれも
よくよく見てたい。

 3月の四日連続日常化レッスン、きのうから始まった。