かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

やさしい社会に戻れないか…吉永小百合さん

2012-03-22 07:24:30 | アズワンコミュニテイ暮らし
 先日、テレビのチャンネルをカチャカチャしていた。
「男はつらいよ」の場面が出てきて、それを見ることになった。
 映画ではなく、山田洋次監督の作品が、山田さんの語りに
合わせて、「故郷」「息子」「おとうと」などの作品の名場面が
紹介されていた。
 
 山田さんと吉永小百合さんの対談もあった。
 山田さんが、家族というテーマでやってきて、長屋暮らしの話を
したあとで、吉永さゆりさんが、
「やさしい社会にもどることはできないのかしら。
 みんなで、やさしく支えあったらどんなにいいか」
と、話していた。

 ”やさしい”という言葉は、世の中にあたりまえ流布している。
 ”地球にやさしい”と聞こえてくると耳ざわりがいい。
 ”お肌にやさしい””環境にやさしい”

 ”やさしい社会”といったら、どんな感じだろう?

「おとうと」の一場面。
 鶴瓶さん演じる”おとうと”が、吉永小百合さんが演じる姉から、
「あんたなんか、弟じゃない。出て行って」と突き放される。
 ”おとうと”が、「おれはどうしょもない人間だけど、どれだけ
苦しんでいるか知らんやろ」みたいな捨てせりふを吐いて、去って
行く。
 ”おとうと”が死ぬ間際、家族の情がほとばしりでるところで
終わった。

 ”やさしい”といっても、家族のようにとか、長屋暮らしのように
とか言っても、それを日々の営みのなかに現れてくるのは、どういう
過程をたどるものなのか。それは、無理か?
 山田さんは、いまの時代の流れのなかで翻弄される家族を、社会を
じっと見つめている。

 一昨年の暮れ、鈴鹿に引っ越し、そこの一住民として、
そのあたりを見つめているように感じている。
 ”コミュニティー”というと、なにか特別の考え方とか暮らし方を
共有するというイメージがついてまわりそうだけど、人と人が、
家族のように、どんなことがあっても切るに切れない間柄であるか
どうか。
 しかも、家族といえども、互いに互いを縛り合う必要ががない
間柄・・・
 そういう人と人とでつくる、そういう”やさしい社会”、これ、
どういう道筋で、あらわれてくるか、じぶんのなかの闇の部分を
昼間の明るさで照らしながら、明るみに出た分、そこが”やさしく”
なっていきたい。

 ”やさしい”という言葉には、身も痩せるように感じる。恥ずかしい」
という意味もあるらしい。
 奥がありそうだ。