かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

エンデイングノート初回

2016-07-19 09:48:45 | わがうちなるつれづれの記

「エンデイングノート」

 こんなものあるの、最近知った。

遺言は、どこかで書いておきたいとおもってきたが、言葉の響きが

何か重々しく、大げさな感じがして、とっつきにくかった。

エンデイングノートは、日本語の造語らしいが、こういう風に発音

すると、身近な感じ、「生きてるときに軽く、思っていること書いて

おこ」といった気持ちになる。

といっても、いざ書くとなると、なかなかそこに向かえないもんだと

おもった。

 

まあ、えいやあと、後先考えず、書いてみよう。

あとで、いや、これは違うと思ったら、書き直せばいいだけじゃん。

 

〇まず、自分のことから。

・名前、宮地昌幸。1947年3月2日生まれ。血液型B型。

横浜市鶴見に生まれた。

父と祖父は広島県尾道市の出身。母の出生不知。

父、母とも、没。

兄1945生、横浜在住。妹、2006年没(57歳)

 

〇今の身体の状態

・病名はいつも分からなくなるんだけど、「特発性拡張型心筋症」で、

三重大病院で診療してもらっている。「特発」とは原因不明という意味。

2002年心不全で倒れた。そのときから、死ぬ時期を先に延ばすための

薬を飲んでいる。

2011年から特定難病の医療費を三重県から受給している。

2012年11月、心房と心室の細動(?)が同時に起こり、

心肺停止で意識不明状態になった。とっさの手当や病院の処置で一命を

取り留めた。

その後、除細動器を植え込んだ。一級の身体障害者になる。

鈴鹿市から福祉医療費の受給を受けている。

 

状態。最近は息苦しい感じが常態化している。

これまでは、急に立ったり、フトンを畳んだりするとき、坂道や階段

を上るときだったのだけど。

雨の日やカッと暑くなるようなとき、外を歩くのも重苦しい感じ。

胸がやけるような、吐き気のような感覚。食欲が出ない感じの

ときもある。

夜も、息苦しく感じるときがあり、眠りも浅い。

風が爽やかで、気温も適度のときは、快適で、ご馳走にさえ感じる。

 

・薬。

 アーチスト錠      1.25mg

  アルカデイカプセル  1.25mg

 ワイファリン      1.5mg

 コバシル錠       2mg

ダイアート        30mg

アミオダロン塩酸塩速崩錠 100mg

 

・歯 

 かかりつけの医師に20年以上診療してもらっている。

 上の歯は総入れ歯。下も奥歯は無く、前の歯だけが残っている。

 かみ合わせで、上下、入れ歯。いま、歯茎が痛いときがあり、食事が

 苦痛のときあり。

 

・手と足の指の爪が、水虫。毎日、薬を塗っている。遅々として、治らない。

 

・眼

 2015年左右の眼、白内障の手術。霞が消えた。

 

〇かかりつけの病院

 いまのところ、心臓については

  三重大学医学部付属病院 循環器内科 土肥薫医師

    津市江戸橋2-174     059-232-1111

    (いまのところ、土肥医師が一番、症状は把握してくれている)

  玉田内科循環器内科 玉田医師 

    鈴鹿市西条1-17-15   059-381-0011

    (ゆくゆくは、かかりつけ医になってほしいとおもっている)

 

〇緊急時、亡くなった時に連絡してほしい人

 ・宮地太郎(長男) 

 ・宮地伸一(兄)

 ・大島春道き   (小浪兄)

 

〇死んだと知らせてほしい人

 (わざわざこなくてもいい)

  (割愛)

 

 

〇どのように死を迎えたいか

 今の身体の状態からいうと、どんな死に方が予想されるかというと。

 ・突然死(心肺停止など)

 ・心不全状態で心機能が停止する?

 ・そのほか?

 

どんなふうに死ぬか、予想はつかないけれど、無意味な延命措置はしないでほしい。

突然、心肺停止状態になり、病院に運ばれて、いのちを取り留めるような事態は

十分に予想されるけど、その場合でも、器具によって漸くいのちを維持するよう

になり、延命にも限界があるというようなときは、自分の身体の全体が衰えて

機能しなくなる方向へまかせていきたい。自然のなせるままに。

食べられなくなったら、食べられない状態で、過ごしたい。

その過程で、痛みがあるときは、なるべく苦痛を和らげる治療をしてほしい。

植物状態になるようなときは、ただ生命維持するだけの措置しないでほしい。

 

献体は、考えていない。

 

〇介護

 年齢とか、心筋症の症状がどういう現われになるか分からないけど、

できれば、自宅で妻や子どもたち、孫たちのそばで世話されたい。

もちろん、介護サービスは適時使っていきたい。

排泄が自分でままならなくなったときは、世話してくださる方の負担に

ならないように、どのように暮らすかはお任せします。

 

〇死んだ時

 いまのイメージとしては、自宅で死ぬにしろ、病院で死ぬにしても、

 遺体は先ず、自宅で引き取ってもらい、何処かの部屋にドライアイスでも入れて

 寝かしてもらい、近しい家族に見守ってもらえたら、本望です。

 それと、自宅に遺体がある間、近所の誰でもやってきて、こんなぼくの顔でも

 眺めてみたいという人が、眺めていただくことができるようにできたらいいのかなと

 おもいます。

 これも、死んだあとのことは、最終、好きなようにしてね、とおもったいます。

 

 納棺とか、火葬場への移動は、懇意にしている葬儀屋さんの世話にるのかな?

 いまから、そんな葬儀屋さんと親しくなっておきたいなあ。

 

 納骨は、鈴鹿市長太にある宣隆寺共同墓所“ニルヴァーナの森”に納めて

 ください。

 横浜にある宮地家の墓には、まだ兄が生きていて、分骨したいというときは、

 そうしてもらたらいいですが、この辺は長男太郎にも任せます。

 ぼくは、ニルヴァーナの森で自然に還ります。

 

〇遺品

 本・・・アズワンネット・鈴鹿コミュニテイの図書館へ

 そのほか手紙や日記・・・妻や子どもたちに任せる。

 これは、順次整理していきたいと思っています。

 (間に合うかな?)

 

 

 

 

 

 

 

 


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