生きてあればこそ
6月26日牛丸仁先生のカルチャーカカフェに参加した。宮沢賢治の作品「二十六夜」が取り上げられた。作品の本文引用とあらすじがまとめてある「二十六夜」鑑賞資料を用意してくれてあった。
はじめ、その資料を参加者みんなで読んだりしたが、そのうち「ここは、ぼくが一人でよんでみるかな」と前置きされて、後半はほとんど牛丸先生一人で朗読した。聞いていると、資料は目で追っているけど、耳から入ってくる声で受け取っている自分の読みに化学反応のようなものが起きていると感じた。
振り返ってみて、お月さんとのつきあいが薄くなっている。夜はテレビを観て、そのまま床につく。なんとなく、周りが明るいのか、夜空をぼんやり見上げるなんてことあまりしないなあ。「二十六夜」というのは、「二十六夜待」とも言って、江戸のころには、仲秋の名月と並んで、四月と七月、この月を拝むと願いがかなうと人々から信じられていた。この月は深夜から明け方にかけて、下弦の月として上ってくるのだという。
作品は、冒頭「旧暦の六月二十四日の晩でした」とはじまる。作品名の「二十六夜」からいうと、その日から一カ月早いのですね、と牛丸先生がポツリ言われる。
北上川を見下ろす松林、夜空の星はあるけれど、一帯は漆黒の世界。「松かさだか鳥だかわからないもの」が梢にとまっているよう・・・梟の群れだった。その梟の群れのなかに法師さまの梟がいて、一段と高い梢からお説教をされる。法師さまは、お経を詠まれる。
「林のなかはしーんとなりました。ただかすかなすすり泣きの声が、あちこちに聞こえてくるばかり・・・しばらくたって西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました」
「すすりなくというのは、お経を聞いている梟たちが身につまされているといことでしょう。この作品には、何か所も汽車の走る音が聞こえてくるのですね。これは、このお話がどこか遠くの昔の話というのではなく、今のこと、と暗示しているのですかね」牛丸先生は、ちょいちょいご自身のコメントを言ってくれる。
「“折角梟に生まれてきても、ただ腹が空いた、取って食う、睡くなった、巣に入るではなんの所詮もないことじゃぞ”と梟の法師さまが言っておられるけど、ここのとこは自分の身にぐさっときますね」と牛丸先生。たしかにと反応している。
こんなにして、中間でカフェタイムがあり、一服しながら、二時間「二十六夜」を読み終えた。
最後、牛丸先生のいまの心境を語る時間になった。先生は、がん治療を受けながら暮らしている。
「いいお医者さんに診てもらっているんです。カルテには、病状のことは書かないんです。
こんどいつ講座があるのか、聞いてくれるんです。こんどは7月10日と言うと、それをカルテに書くんです。それじゃ、抗がん治療はそれが終わってから、様子見てとこんな具合なんです」お医者さんと牛丸先生のやりとりを想像する。
「聞いてくださる人がいて、いつまで生きていられるか分からないこの身でも、こんどはどうしようとなるんです。死についていろいろ想うよりも、生きている今のことを大事にしたいかな。今回も朗読が最後まで出来て、こんなことがまだできると喜んでいます。今、湧いてくること・・ありのままに生きる。このへんかな・・・」(こう聞いた)
牛丸先生は、カルチャーカフェのおしまいに「有難う」と言われた。ジーンとくるものがあった。
帰り道で、反芻するものがあった。
「二十六夜」の最後は、梟の子どもが人間につかまり、それがもとで死んでしまう場面だ。
「・・ただ澄み切った桔梗いろの空にさっきのお月さまが、しずかにかかっているばかりでした。
「おや、穂吉さん(梟の子)、息つかなくなったよ」
俄かに穂吉の兄弟が高く叫びました。
ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口を開き、かすかにわらったまま、息がなくなっていました。そして、汽車の音がまた聞こえてきました」
「かすかにわらったまま・・」「かすかにわらったまま・・」
宮沢賢治はどんな世界にいたのか。牛丸先生は、どんな世界で、どんなに受けっとているのだろう。そして、ぼく。
カルチャーカフェは、一つの機会だけど、生きてあればこそ、牛丸先生とぼくらが、いま出会う、いのちの機会なのかなあと。うまく言い表せないけど・・
<「二十六夜」の一解説>
「二十六夜月は欠けた側から昇ってくる。澄み切った空で実際にこれを見ると、それだけで得体の知れない、月の出とは思えない何か神がかった雰囲気を感じます。それまで月がなく暗闇に慣れた目には後光に包まれたような地球照の中に阿弥陀三尊の姿が見えてきて、同時に月の南北の細い先端が山から出てくると、地球の大気のいたずらでゆらめき黄橙色のローソクの炎のように見える。二十六夜待のクライマックスです。そして細い月本体がみるみるうちに上がって来ます」
旧暦7月26日は、今年の場合8月25日にあたる。25日の夜、深夜日付が変わってからの月の出が二十六夜月です。月の出の時刻は毎回異なるそうです。
(7月10日の牛丸先生の「生きる物語」カルチャーカフェ講演会に参加しようとおもっています)
6月26日牛丸仁先生のカルチャーカカフェに参加した。宮沢賢治の作品「二十六夜」が取り上げられた。作品の本文引用とあらすじがまとめてある「二十六夜」鑑賞資料を用意してくれてあった。
はじめ、その資料を参加者みんなで読んだりしたが、そのうち「ここは、ぼくが一人でよんでみるかな」と前置きされて、後半はほとんど牛丸先生一人で朗読した。聞いていると、資料は目で追っているけど、耳から入ってくる声で受け取っている自分の読みに化学反応のようなものが起きていると感じた。
振り返ってみて、お月さんとのつきあいが薄くなっている。夜はテレビを観て、そのまま床につく。なんとなく、周りが明るいのか、夜空をぼんやり見上げるなんてことあまりしないなあ。「二十六夜」というのは、「二十六夜待」とも言って、江戸のころには、仲秋の名月と並んで、四月と七月、この月を拝むと願いがかなうと人々から信じられていた。この月は深夜から明け方にかけて、下弦の月として上ってくるのだという。
作品は、冒頭「旧暦の六月二十四日の晩でした」とはじまる。作品名の「二十六夜」からいうと、その日から一カ月早いのですね、と牛丸先生がポツリ言われる。
北上川を見下ろす松林、夜空の星はあるけれど、一帯は漆黒の世界。「松かさだか鳥だかわからないもの」が梢にとまっているよう・・・梟の群れだった。その梟の群れのなかに法師さまの梟がいて、一段と高い梢からお説教をされる。法師さまは、お経を詠まれる。
「林のなかはしーんとなりました。ただかすかなすすり泣きの声が、あちこちに聞こえてくるばかり・・・しばらくたって西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました」
「すすりなくというのは、お経を聞いている梟たちが身につまされているといことでしょう。この作品には、何か所も汽車の走る音が聞こえてくるのですね。これは、このお話がどこか遠くの昔の話というのではなく、今のこと、と暗示しているのですかね」牛丸先生は、ちょいちょいご自身のコメントを言ってくれる。
「“折角梟に生まれてきても、ただ腹が空いた、取って食う、睡くなった、巣に入るではなんの所詮もないことじゃぞ”と梟の法師さまが言っておられるけど、ここのとこは自分の身にぐさっときますね」と牛丸先生。たしかにと反応している。
こんなにして、中間でカフェタイムがあり、一服しながら、二時間「二十六夜」を読み終えた。
最後、牛丸先生のいまの心境を語る時間になった。先生は、がん治療を受けながら暮らしている。
「いいお医者さんに診てもらっているんです。カルテには、病状のことは書かないんです。
こんどいつ講座があるのか、聞いてくれるんです。こんどは7月10日と言うと、それをカルテに書くんです。それじゃ、抗がん治療はそれが終わってから、様子見てとこんな具合なんです」お医者さんと牛丸先生のやりとりを想像する。
「聞いてくださる人がいて、いつまで生きていられるか分からないこの身でも、こんどはどうしようとなるんです。死についていろいろ想うよりも、生きている今のことを大事にしたいかな。今回も朗読が最後まで出来て、こんなことがまだできると喜んでいます。今、湧いてくること・・ありのままに生きる。このへんかな・・・」(こう聞いた)
牛丸先生は、カルチャーカフェのおしまいに「有難う」と言われた。ジーンとくるものがあった。
帰り道で、反芻するものがあった。
「二十六夜」の最後は、梟の子どもが人間につかまり、それがもとで死んでしまう場面だ。
「・・ただ澄み切った桔梗いろの空にさっきのお月さまが、しずかにかかっているばかりでした。
「おや、穂吉さん(梟の子)、息つかなくなったよ」
俄かに穂吉の兄弟が高く叫びました。
ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口を開き、かすかにわらったまま、息がなくなっていました。そして、汽車の音がまた聞こえてきました」
「かすかにわらったまま・・」「かすかにわらったまま・・」
宮沢賢治はどんな世界にいたのか。牛丸先生は、どんな世界で、どんなに受けっとているのだろう。そして、ぼく。
カルチャーカフェは、一つの機会だけど、生きてあればこそ、牛丸先生とぼくらが、いま出会う、いのちの機会なのかなあと。うまく言い表せないけど・・
<「二十六夜」の一解説>
「二十六夜月は欠けた側から昇ってくる。澄み切った空で実際にこれを見ると、それだけで得体の知れない、月の出とは思えない何か神がかった雰囲気を感じます。それまで月がなく暗闇に慣れた目には後光に包まれたような地球照の中に阿弥陀三尊の姿が見えてきて、同時に月の南北の細い先端が山から出てくると、地球の大気のいたずらでゆらめき黄橙色のローソクの炎のように見える。二十六夜待のクライマックスです。そして細い月本体がみるみるうちに上がって来ます」
旧暦7月26日は、今年の場合8月25日にあたる。25日の夜、深夜日付が変わってからの月の出が二十六夜月です。月の出の時刻は毎回異なるそうです。
(7月10日の牛丸先生の「生きる物語」カルチャーカフェ講演会に参加しようとおもっています)
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