かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

牛丸仁先生「日本人のふるさと観」最終回を聴講して

2011-02-21 08:00:32 | 鈴鹿カルチャーステーション企画に参加して
 最近、牛丸先生に童話が一つ、出来あがったそうだ。信州の童話誌「とうでのはた」が最終号を迎えるので、「ぜひ」と依頼があった。「とうでの・・」「遠出の旗」とぼくには聞こえた。あとで、先生が信州大学教育学部に在学していたとき「とうげのはた」という同人誌を出しはじめたというから、「とうで」ではなく、「とうげ」「峠?」かもしれない。でも、「はた」は、果たして「旗」か?
 
「誰か旧き生涯に安ぜんむとするものぞ。おのがじし新しきを開かんと思えるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は声なり。新しき言葉はすなわち新しき生涯なり」
 先生が通った高校の校長室に島崎藤村の直筆の額がかかっていた。校長室を掃除して、終わった時、はげ頭で髭の校長から「きみ、この文読めるか」「意味わかるか」と声をかけられた。身体が縮みあがりながら、校長の御言葉を拝聴した。
“新しき言葉は新しき生涯なり”
その頃、先生のこころのなかに満ちていたなにかに、光が射したのだろうか。「私の文学開眼の原点でした」と話された。
 言葉になる前に、なにか、その人その人のなかに、その人の生涯を日々新たにするように問いかけてくるいのちの発光源のようなものがあるのだろうかと思った。
 
講演の中ほどで、テイータイムが入る。
ふるさとを歌った歌謡曲を話題にした後だった。古賀政男の曲をクラッシック歌手荒川ゆみさんが歌っているCDを持ってこられていた。「人生の並木道」を聞いた。
 “泣くな妹よ 妹よ泣くな 泣けばおさないふたりして
    故郷を捨てた甲斐がない“
 荒川ゆみさんが古賀作曲の譜面に忠実に謡っている、こぶしも細かくゆれていて、息の継ぎ方もおかしなところで切らないと先生の解説。
 “あんな おんなに みれんは ないが”
「日本語の“ん”には、NとMの二つある。知ってるかなあ。この歌詞では、“おんな”の“ん”がMなんだな。荒川ゆみはそこを正確に歌おうとしてる」テレビの歌謡番組を見るけど、歌手のダメだしがおもしろいんだとうれしそう。
 “酒は涙かためいきか・・”
これは、美空ひばりが歌うのが人気ある。「じぶんの感情を入れて歌っている。楽譜どおりだと、大衆に響かないんだね。」
結局、20人分テイーが運ばれてくる間、古賀メロデイーを何曲も堪能した。参加者は60歳前後の人たちだった。ぼくは聞きながら、そのほとんどのメロデイーを知っていて、それが体内に入ると、なにかある感情が引き出されてくるのを感じた。普段、眠っているのに、「おいおい!」と揺り起こされた感じ。それも、いっぺんにその感情に包まれてしまう。
これって、なんだろう。
 
 牛丸先生の講演“ふるさとシリーズ”、前回は参加しなかった。その時、“一人ひとりのふるさとを語る品物を次回持参するように”という宿題があったらしい。
進行の坂井和貴さんから「だれか、持ってこられた方・・」と声かけ。
 吉田順一さん、「はい」と前へ進み出る。埼玉の深谷で生まれ育つ。小学5年の時、父を亡くしている。息子にじぶんの将来の夢を託したといわれる、亡き父が作曲した歌のテープを取り出す。利根川のある風景のなかで、人々が手をつなぎあって心豊かに暮らしたいという願いが格調たかく謳われているようにかんじた。いまの吉田さんがあらわれてくる源の一端を感じた。
 川瀬典子さんは、木でできた、旧かなの百人一首を見せてくれた。書かれてある字は、とっても読めたものではない。これを取っ組み合いになるほどに、取り合う遊びだったらしい。それが、好きだったらしい。幼少期、北海道釧路の横町を札取りに渡り歩く少女だった。
15年の戦争で父母、失う。20年後に実弟に出会った時、この百人一首の、好きな札を言っていくと、奇しくも弟と同じだったと・・典子さんは、「因縁」と表現していた。いまの典子さんを、日々新たにしていく「因縁」というものがあるのだろうか。

 「路地の入口」という、平成5年信州の放送局で放送されたテープを聞く。牛丸先生が書かれたエッセイの朗読だ。その文のプリントは手元にあったけど、耳だけで先ず聞いた。聞き終わって、先生は、「この風景は私が6歳のころ、じっさいにあったものなんです。」ということと、「この町は上松町なんだけど、火事はじっさいにあって、みんな無くなってしまいました」と付け加えられた。「これで、おわりです」とか聞いた。「あれ、それだけ」と, 物足りなく思った。
帰ってから、「路地の入口」が気になって、そのプリントを読んでみた。放送の朗読の声とプリントの文字が重なる感じのところがあった。文字で見ると「なまこ壁」って、どんなものか、そこで止まってしまう。わからない。でも、土蔵、黴、苔、どれともわからない緑と読みすすむうち、「子どもの肺活量の限界寸前で光の中に出る」で、あっ、いつのまにか子どもの目線の世界に入っていたじぶんに気がつく。
「どこへ行っても、通りすがりの道に、路地の入口を見つけると、そこへ踏み込めば、過ぎている時間の隙間が見つかるのではないかと、ふと立ち止まってしまう癖がある」
“路地の入口”って、どんなことを言われているのだろう。
“過ぎている時間の隙間”って、どんな感じのことだろう。
時計が刻む時間のながれから、人生をふりかえるとき、「ああ、なにをしてきたんだろう」と空しく思うときがある。どんどん時は前へと疾走している。
人の悲しみに出会う感じのときがある。人がそこにあらわれている光源のようなものにふれたような感じのときがある。じぶんでも、さびしくて闇にとざされているようなむこうに思わずいのちの源といえばいえるようなおだやかなものがありそうと感じるときがある。
駅前の商店街に生まれ、育ったぼくのなかの風景、決してしあわせいっぱいのものではない。でも、ふとしたときに、その風景の前のたたずんでいると感じるときがある。それは妙になつかしく、こころやすまる感じがするものだ・・これは「入口」?
               

最新の画像もっと見る

コメントを投稿