箕輪ルシオ省吾と奈々子夫妻は、3ヶ月、鈴鹿に滞在していました。
6月13日、ブラジルに向けて出発しました。
前日の昼、わが家を訪ねてくれました。
そうめんを啜り、天ぷらを食べました。「おいしい」と何度も言って
いました。
省吾さんは、サイエンズスクールのコースに3ヶ月の間に5コースほど
参加したそうです。
「社会を知るためのコース」がこころにずっしり残ったということでした。
「これまで自分の生き方ということでは、探究してきたけど、自分と
社会、人と社会というものの本来の姿が自分の中で明らかになったかな」
「ああ、そうかあ」
省吾さんのなかで、どんなことがあったのか。
スクールの感想文では、こんなこと書いていました。
「実際の世界は、”何もしなくてもよい" これがベース。
ここから生まれてくるのは、本心。
そこから見た社会があるんだ。
本当に人の心が満たされる社会。
仕組みや機関は、その結果で出てくるもの。
力が抜けた」
何が起きているのか?
別れ際、ちょっぴり照れながら、二人とハグしました。
「じゃあ、またね」
挨拶して別れたあと、「またね」と言っても、もう会うことはないかも
しれないかな、と湧いてきました。
それは、実感として迫ってきました。
「またね」が、一期一会の深みを覗かせてくれたのかな・・・。
奈々子さんには、息子の結婚祝いに、詩人吉野弘さんの「祝婚歌」を
毛筆で書いてもらいました。
「私なんか、出来るかな」
と、ちょっと尻込みしていました。
もう、20年以上前になりますが、ブラジルにいる奈々子さんの気持ちを
思いながら、茨木のり子さんの詩を何篇か送ったことがあります。
奈々子さんから、「実は、お母さんが茨木のり子詩が好きで、聞かせて
もらっていたんですよ」という返事がきました。
「自分の感受性くらい」という詩が特に好きだったようです。
たしか、その返事の中にあったと思いますが、「言いたくない言葉」
という作品を毛筆に書いて送ってくれました。
自分では、何が出来るわけではないのですが、奈々子さんの気持ちに
思いを馳せた覚えがあります。
その毛筆の詩を、額に入れて部屋の、目立たないけど見えるところ
に掛けてきました。
息子の結婚祝いに、何かと費用がかかるだろうから、祝い金を贈りたい
と息子に伝えました。
「父さん、お金はいいよ。それは、おやじのために使ってくれ」と息子
から返事がありました。
「うーん・・・」
それから、考えて、「祝婚歌」の詩を奈々子さんに書いてほしい、と
思うようになりました。
帰国前日、完成したもの、届けてくれました。
奈々子さんには、日本にお兄さんがいます。
両親を亡くして、親族ではお兄さん一人です。
お兄さんは、市井で活動している芸術家に発表の場を広くつくって
いきたいと、それができる会場を三重県庁の近くに借りています。
VOLVOXという名前で、おにいさんが主宰しています。
お兄さんは自身、木工家具をつくっています。
最近、VOLVOXで水彩画展があるというので、病院の帰りに
よりました。
絵もよかったですが、額縁にも目がいきました。
清楚で、水彩画とマッチしているように感じました。
奈々子さんが書いてくれた詩には、お兄さんの額縁がマッチするのでは。
お兄さんに連絡したら、妹とコラボでやれるなら、是非と引き受けて
くれました。
お兄さんは、手を傷めて、回復には1ヶ月ほどかかると言うことでした。
さっそく、「了解です」と返事しました。
ときに、いまの心不全が悪化するとか、心室の不整脈が出たら、もう先は
長くないのではと、よぎるときがあります。
先がある、ということから、「今、ここ」で願いが叶うような暮し方、
あるのかなあ、と探っています。
時々大堀見知子さんにラインで
アドレスのせて 読んでもらってます
写真を大きくして楽しみたいんですが
戻る←で戻すと ずいぶん前の沖縄編まで戻って
またカーソルをくるくる回して往復が大変と
なってる私ですが そのページ内へ戻れる
ないかしらで~す