Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

1990年にあった過去のWGPチャンピオンマシン、スズキ・RGV-Γ500。(番外編VOL.3297)

2022-06-29 11:56:26 | 日記

とりあえず、1988年に「WGP」へのフル参戦を復活させた「スズキワークス」だったのですが、実は当時、新たなモデル「RGV-Γ500」の開発自体は、まだまだ「模索中」の状況にありました。

なので、この新開発された「横置きV型4気筒エンジン」は、まだ「完璧なものでなかった」ため、今一つパワーが上がらず初年度は「劣勢を強いられるシーズン」を覚悟しての参戦でもあった様です。

しかし、1988年度の初戦となる「日本グランプリ」で、あのヨシムラから現れた、スーパー天才ライダーの「ケビン・シュワンツ選手」のライディングで「いきなり優勝」する事態となります。

この快挙は、スズキチームも想像していなかった事らしいのですが、スズキの「エースライダー」の実力はこれにより世界で証明される事となります。

ただ、その後の結果としては西ドイツGP(ニュルブルクリンク)の2勝だけで参戦初年度のシーズンを終える事となり「ケビン・シュワンツ選手」を持ってしても初参戦の年は厳しいものとなる訳です。

とは言え、その翌年の1989年、さらに1990年と「RGV-Γ500」も正常に進化を遂げ「ケビン・シュワンツ選手」の天才的なライディングのお陰もあって徐々に「トップ争い」が増えて行く事となります。

また、1991年、1992年には「優勝」の回数も増えていく状況となり、ライダーとしては「相変わらず活躍を続けていた」ものの、いつまで経っても「RGV-Γ500」の「トータル性能」が上がり切らず、

他の「ホンダ」や「ヤマハ」のマシン性能で劣っていた為、必然的に「ケビン・シュワンツ選手」のライディングもアグレッシブルなものとなり、コーナーの突っ込みや旋回性能ギリギリを攻めるものとなり、

せっかく年間で6〜8回と優勝しても、それと同じぐらい転倒リタイヤもすると言う状況が続き、スーパー天才ライダーの「ケビン・シュワンツ選手」がその実力通り「ワールドチャンピオン」になるには、

もう少し「RGV-Γ500」の「性能向上が急がれる事態」となっていきます。しかし常に「非力なマシンで勝つ姿」は日本人にも魅力的にうつり、彼に対して多くのファンを獲得することになっていきます。

で、迎えた運命の1993年シーズンは、ついに「ケビン・シュワンツ選手」が4回の優勝に11回の表彰台を獲得し、悲願の「ワールドチャンピオン」へと輝く事となります。

これはスズキワークスにとっても、1982年シーズンの「フランコ・ウンチーニ選手」以来の快挙となり、1988年からのフル参戦「6年目の悲願」となったんですよね。

とにかく、この年の「RGV-Γ500」は例年になく素晴らしく、トップスピードでも「ホンダ」や「ヤマハ」に劣らない速さを誇っていましたし、フレームの剛性や彼に合ったサスペンションのセッティングなど、

それまでとは大きく異なる性能を発揮し「なるべくしてなったチャンピオン」と言えるのですが、この年、永遠のライバルだったヤマハの「ウェイン・レイニー選手」が、レース中の事故で下半身付随となり、

残念ながら引退を余儀なくされた事があって「ケビン・シュワンツ選手」の喜びはそこまでのものでは無かった印象がありました。

また実際「ケビン・シュワンツ選手」自身も、ワールドチャンピオンが決定した時のコメントで「彼の体が治るならこのチャンピオンはいらない」とマスコミの前で発言しています。

喜びと悲しみが同時に合った1993年シーズンでしたが、気持ちを切り替えての1994年シーズンは2勝を上げたものの、アメリカGPで負った怪我のため残り3戦を欠場し総合4位に終わってしまいます。

また、その翌年1995年には3戦目の日本グランプリを最後に、いきなり引退を発表してしまいます。

その要因は、怪我もさることながら、やはりライバル「ウェイン・レイニー選手」不在の中「もう走るモチベーションが上がらない」と言う理由だったと言われています。

とにかく「ケビン・シュワンツ選手」無しに、この「RGV-Γ500」を語る事は難しく、逆に彼が「RGV-Γ500」で走った事でここまで速いマシンに仕上がったとも言える時代でした。

その後に関しては次世代の「アレックス・バロス選手」や「ダリル・ビーティー選手」に引き継がれ「RGV-Γ500」も時代と共に進化を続けて行くのですが、1993年以降、立ち入るライバルには敵わず、

いや、あまりにホンダの「NSR500」と「マイケル(ミック)ドゥーハン選手」が速かった時代が長く続き、ヤマハも含めて「勝利がら遠ざかる」結果となってしまいます。

しかし、1999年にヤマハから移籍してきた「ケニー・ロバーツjr選手」が、いきなり総合2位を獲得したかと思いきや、翌年の2000年には忽然とスズキ「RGV-Γ500」でワールドチャンピオンになります。

これには当時のボクも驚いた思いで観てました。(笑)さすが血は争えないものですね。(笑)

で、最終的には2002年を持って「WGP」は終焉を迎え、それと同時に「RGV-Γ500」もラストを飾り、スズキワークスとしては次の世代になる、4ストマシン「GSV-R」へとバトンタッチする事となります。

1990年代のスズキ「RGV-Γ500」を振り返り思い出せば、どうしてもマシンより、ボクの場合、スーパー天才ライダー「ケビン・シュワンツ選手」の方に話がなっちゃいますね!(笑)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする