疲労感より充実感という気休め

いったい、今日一日でどれくらいお地蔵さまやその準備の丸を描いたのだろう・・・(写真)。疲れるほど描くのはお地蔵さまに申し訳ないと思うので、疲労感よりも充実感を優先して感じようと思っている(気休めである)。ぐはは。

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シュールと不気味の狭間で

近所のショッピングセンターに行くたびに気になっていたアニマルを、ついに4匹お寺の玄関に迎えた(写真)。私は「シュールなお出迎え」だと思うが、家内や副住職は「不気味なお出迎えだ」と言っている。ぐはは。

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智恵の水から咲く慈悲の花

今日の密蔵院「写仏の庭」でトレースしていただくのは観世音菩薩(立像)。左手には智恵の水が入った花瓶から咲く慈悲の蓮を持っておられる。たとえば、「あなたと私には共通点がありますね」という気づき(智恵)があるから相手への慈悲(やさしさ)が生まれる。「あなたはあなた、私は私」と区別すれば、相手に対するやさしさは発生しにくくなる。13時~/19時~(定刻の一時間ほど前から始められます)。初回二千円(筆代含)、二回目以降千円。

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残骸が語るもの

今日の資源ゴミは、段ボールの膨大な量の切れはし(写真)。これを生みだした作業がこの3日間の腕の筋肉痛として残り、長方形に切り取られた段ボールは、これから段ボール地蔵になっていく。残骸の中に過去と未来を見る・・・そんな感性を大切にしたいと思った。

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ひとりの寂しさに・・・

今週生後10カ月になる犬は、一人(犬だから一匹?もう重たくて抱けないから一頭?)になると、こちらの気をひくためか、憂さ晴らしか、写真のようなことをする。今回は自分のオモチャ籠を「食い散らかし」「食いちぎっては投げ」ていた。籠はかろうじてまだ使える。あと2年ほどこんなことが続くと覚悟している。ぐはは。

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ぶどうにびっくり

9月も2回目の日曜日。去年の「お月見」バージョンではない御朱印イラストを用意しておこうと、葡萄と栗を描いてみた(写真)。まあ、こんなところでご勘弁いただこうと思う。むはは。

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第一陣の到着

個人的な弘法大師ご生誕1250年記念事業としてお地蔵さまを1250体描いて屏風に仕立てる。一曲96体×2枚で一つの屏風に192体だ並ぶ。屏風職人さんの話では、簡単に持ち運べる軽い屏風だと、裏打ちした紙が時間がたつと剥がれる可能性があるとのこと。いまさらそんなことを恐れていては話にならないので「とりあえず一曲仕立ててください」と依頼していたものができあがってきた(写真)。残りの6曲もゴーサインを出した。10月末には7曲の屏風が並ぶ。楽しみである。むはは。

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大雨だからできること

今日の東京は、台風がもたらす大雨の予報。さっき、「よし!」とばかりに網戸を外し、風が吹きこまない中庭に置いた(写真)。雨が網戸を掃除してくれる。こんなアホなことを思いつくには、網戸が汚れていることに気づく感性が必要であることは論を俟(ま)たない。うはは。

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暫定的集大成

昨日は「仏教基本のキ」ついて1時間しゃべり、今日は会議に出て、明日は6時間「話し方」の講習。6時間も話し方(正確には法話)についての講師をしたことがないので資料を作ったら、なんだか、今現在の私の集大成みたいなものができた。わはは。これさえあれば、しばらくは、どこでも講習会ができるぞ。

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震災っ子

ネットで「震災っ子」と検索しても出てこない。しかし、父(写真)は自分のことを「震災っ子」と言っていた。関東大震災が起きた大正12年(1923年)生まれだからである。関東大震災から100年。してみると、71歳で亡くなった父が生きていれば、今年100歳ということだ。私は72歳以降の父を知らないし、58歳以降の母も知らない。亡くなった年齢は、その年齢以降のその人を知る者がいないということでもあるのだなと、ふと思った。生まれて初めて迎えている64歳の自分の生き方を大切したいと思った。

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