弔辞
過日いただいたコメントの中での素晴らしい「弔辞」の話。
それがずっと気になっています。
弘法大師は、中国で教えを受けた恵果和尚が亡くなった時、何千人もの弟子を代表して、碑文を書いた筈だったな、と思い、バタバタしている合間を見て、本棚の中から資料を探しております。
頑張って探し出して、明日のブログでご紹介したいと思います。
亡き人の生命(いのち)を何倍にも広げる言葉と文章。
思い返せば、父と大恩人の村上正行さんへの感謝の言葉は自分なりにそれぞれ本にした。大勢の方に読んでもらったから、それはそれで、私流の、一種の弔辞だったのかもしれない。
それがずっと気になっています。
弘法大師は、中国で教えを受けた恵果和尚が亡くなった時、何千人もの弟子を代表して、碑文を書いた筈だったな、と思い、バタバタしている合間を見て、本棚の中から資料を探しております。
頑張って探し出して、明日のブログでご紹介したいと思います。
亡き人の生命(いのち)を何倍にも広げる言葉と文章。
思い返せば、父と大恩人の村上正行さんへの感謝の言葉は自分なりにそれぞれ本にした。大勢の方に読んでもらったから、それはそれで、私流の、一種の弔辞だったのかもしれない。
PS 豊山派は戒律は厳しいほうですか?前、真言宗の中には戒律に厳しい宗派があると聞いたのですが。
中でも村上さんがアナウンサーなのに声が出なかった難病の子供の紹介の生放送のことなどは印象が残ってます。
お父さんの事は法事の夜に奥さんにあの世で親父は何してる?との問にイメージしながら答えた話やなんかは、我が家の会話のようなかみ合わない中にもホンわかした感じがして、心の中にお父さんは居ってんだなと思いました。
祝辞は縮辞、弔辞は長辞と言う人もいますが、長辞に感じる人は来たくは無かった人だと思います。(おもいつきですが)
プラケアさん>長弔も、その人の言葉で語られる思いがこもっていると、いつまで聞いていてもいいものです。弔辞啓蒙活動でもしたいものですね。そうすると、お葬式がいいものになります。