夏の朝咲く朝顔も
散歩でよく見かけるのは、巻きついた木や草を枯らしてしまうヤブガラシ(藪枯)。散歩中はこれを引っこ抜いて歩くのを日課にしていることから、家族から「ヤブガラシ枯らし爺(じじぃ)」と呼ばれるほどの私である(「植え込み防衛隊長」と呼んでくれてもバチは当たらないと思うのだが・・・)。しかし、一本の此奴(こやつ)が中庭の石の中から姿を表した。「夏の朝咲く朝顔も 頼む籬(まがき)のあればこそ」は、朝顔が垣根をたよって成長するのように、私たちは誰かに頼って(おかげさまで)生きていることを言った言葉だ。しかるに、頼む草木が何一つない場所に出てきてしまった彼奴(きゃつ)は、このあと、いったいどうするつもりなのだろうと、さすがのジジィも、これだけは引っこ抜かずに、しばらく行く末を見守ることにしたそうな・・・。あはは。