「生活の安全」と「生き甲斐のある人生」

昨日、密蔵院のご詠歌で、講員さんたちが年金の話をしていたのを受けて、「生活と人生は違うと思うんです」と話した。年金は生活のために必要だが、人生とはあまり関係がない気がする(明確な分け方は、いまだにわからない)。
さっき檀家さんがお参りに来て、お母さんが怪我をしないように家の中に手すりを付けたり、家の二階ではなく一階で暮らしてもらいたいと思ったりしているのに、お母さんは「まだ大丈夫」と言っていると、ちょっと困った顔をされていた。子どもたちはお母さんの安全な生活を、お母さんは「自分でできる」という生き甲斐(人生)を大切にしたいのだろうと感じた。生活と人生の明確な分け方はないし、あったとしても、どちらが大切かの正解はないだろう。
「老いては子に従え」の格言が、90歳まで自分のやり方で生活と人生の双方の道を歩いてきた実績があるお母さんにどこまで通じるのか。仏教の教えは圧倒的に「人生」に重きを置く(私もそうありたいと思う)。
これから、仏教伝道協会で『仏教聖典を日常に活かす会』での法話。帰宅までにハンコを乾かすために130枚のお地蔵さまたちにペタペタ押した(写真)。法話も「段ボール地蔵」制作も、私の中では「人生」のカテゴリーの作業だ。

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