天然サウナだと思えばいい
そう、天然サウナだと思えばいいのだ、と車を降りて思った。。。
「檀家さん、20人くらいなんですけど」という住職の言葉に
「それはそれで、一対一みたいな時間になっておもしろいから、つとめてみましょう」と深呼吸して、本堂へ入った。
法話然としていない法話の時間。何か飛び出すのか、私にもわからない。
ふだんの私の思っていること、体験していることを、その場でどんな仏教の話につなげていくのかのライブ感覚・・・。
緊張しつつも、充実した時間だった。
帰りにお寺の奥さんが「お施餓鬼の法話は、毎回違った話をなさるんですか」と聞いてくれた。
「その場、その日、自分が何を感じているか、それを自分でも楽しみながら話すんですよ」
「よくそんなたくさん、話の引き出しがありますね」
「一日生きていれば、何か感じることがあるものです。それをブログなり、本という形にしてまとめる作業をしていると、自然に引き出しが増えるものですよ」--ほんとうにそうだろうかと、自分でも半信半疑で答えた。ぎゃははは。
でも、そうとでも考えないと、智恵の量が増えていくことに説明がつかない。
今日より明日、今月より来月、今年より来年・・・知識や技術でなく、楽しく、楽に生きる智恵の量を、増やしていきたいと思う。
ちなみに今日の写真は、木魚ではなく、より高度に進化し「木の龍」となった、木魚たちである(真ん中のものだけが魚の形をしています)。
「檀家さん、20人くらいなんですけど」という住職の言葉に
「それはそれで、一対一みたいな時間になっておもしろいから、つとめてみましょう」と深呼吸して、本堂へ入った。
法話然としていない法話の時間。何か飛び出すのか、私にもわからない。
ふだんの私の思っていること、体験していることを、その場でどんな仏教の話につなげていくのかのライブ感覚・・・。
緊張しつつも、充実した時間だった。
帰りにお寺の奥さんが「お施餓鬼の法話は、毎回違った話をなさるんですか」と聞いてくれた。
「その場、その日、自分が何を感じているか、それを自分でも楽しみながら話すんですよ」
「よくそんなたくさん、話の引き出しがありますね」
「一日生きていれば、何か感じることがあるものです。それをブログなり、本という形にしてまとめる作業をしていると、自然に引き出しが増えるものですよ」--ほんとうにそうだろうかと、自分でも半信半疑で答えた。ぎゃははは。
でも、そうとでも考えないと、智恵の量が増えていくことに説明がつかない。
今日より明日、今月より来月、今年より来年・・・知識や技術でなく、楽しく、楽に生きる智恵の量を、増やしていきたいと思う。
ちなみに今日の写真は、木魚ではなく、より高度に進化し「木の龍」となった、木魚たちである(真ん中のものだけが魚の形をしています)。
その帰りに竜口寺に行きました。ちょうど施餓鬼の法話をしていました。お施餓鬼では阿難が関係しています。僕は阿那律と目連が好きですが、和尚さまは仏弟子の中では誰が好きですか?
16日の夕方、仕事中倒れられてそのまま意識が戻らずこの日になりました。
故人は58歳、襖などの表具が長い歴史で培ったもの途絶えさせてはイケンとの会長の下で、40年間頑張ってこられた人、こよなくお酒を愛した人、こよなく地元を愛した人、こよなく祭りを愛した人、こよなく消防団を愛した人、笑った顔が素敵でこの人のことを悪く言うのを聞いたことがなかった。
この会社の会長さんの弔辞には58年の歴史と感謝と今まで気付かなかった面を紹介しながら・・・;;;
炎天下のなか、流れるのは汗だけではなかったのは、すすり泣く人の多さからもわかりました。
私も以前勤められていた方の葬儀で故人の遺業とまではいかないにしても、心意気や、思い、そして感謝の気持ちを一言でもと思う事が多かったけど、葬儀で忙しくしてる中で弔辞を申し出るほどの柄じゃないと思っていました。
赤塚富士夫さんの葬儀の時、タモリさんが読んだ弔辞はふざけてばかりの赤塚富士夫さんのイメージを変えました。
上手に無くても弔辞を言ってあげることが故人の『生きた』を『活きた』に変えるキッカケになります。
子供は親父の知らない面を再認識でき、親父の子供で良かったとおもえ、誇りをもっていける自信に繋がる事だって有ると思う。(実際に私が親父が亡くなってから教えてもらったことが糧になってます。)
長文になってしまいましたが、読んで上げたい弔辞はそのとき読んであげることが良い弔いになることを感じました。
プラケアさん>素晴らしい文章、ありがとうございます。そのまま、次の本にいただきたいくらいですが、残念ながら、すでに印刷に回ってしまっています。別なところで、今回の文章をご紹介したいなと、つくづく思います。許可いただけますか?
他の誰にも言えない弔辞。私も何度かそのような素晴らしいものに出合ったことがあることを、再認識しました。
どうぞ、拙い文章でよければお使い下さい。
致知に有る葬儀で弔辞の時、おじいさんの孫にあたる中学生が仏さんの前に進み出ると学校の制服をおもむろに脱ぎ、綺麗にたたみ、ネクタイをはずすとそのネクタイを締めだした。参列したひとは訳がわからずガヤガヤしだした。
制服を羽織ると合掌した中学生は遺影に向かって
『おじいちゃん、教えてもらったネクタイの結び方自分で出来るようになったよ。心配しないでね。ありがとう』と言って式場は静かにすする声がしたそうだが、この投稿者は遺影のおじいさんが微笑んだようだと有りました。