死に方を教えて廻っていた人の死

手始めに、買ってあった『金閣寺』を読むことにした今日。2章が始まって間もないところで唸った。曰く
「田舎の寺の住職の死というものは、異様なものである。適切すぎて、異様なのである。彼はいわば、その地方の精神的中心でもあり、檀家の人たちのそれぞれの生涯の後見人でもあり、彼等の死後を委託される者でもあった。その彼が寺で死んだ。それはまるで、職務をあまりにも忠実にやってのけたという感銘を与え、死に方を教えて廻っていた者が、自ら実演してみせてあやまって死んだような、一種の過去といった感を与える。」
---あはは。住職が死ぬということは、「死に方を教えて廻っていた者が、それを自らやってみせるということである」というのだ。驚いた。自分も住職としてそうありたいと思った。あんまり驚いたので、『金閣寺』の次に30年ぶりに再読しようと思っている『偉大なワンドゥードル 最後の一匹』と写真に撮ろうとして、まだビックリした。新潮文庫の『金閣寺』には、普通のカバーの下に、なんと金色のカバーが隠されていたのだ(写真)。二度ビックリした記念に、今晩はグラタンを、明日はスペアリブを作ることにした。ぐはは。

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