風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

竹島の日に思う(改)

2021-02-23 02:16:32 | 時事放談
 今日は島根県が2005年に条例で定めた「竹島の日」で、今年で16回目を迎えた。しかし日本政府はまともな対応を行って来ず、残念ながら韓国の実効支配が強まるばかりだ。まあ、日本政府としては、日本が実効支配するという意味では逆の立場になる尖閣諸島問題を抱えて(もとより日本は領土問題など存在しないという立場ではあるが)、下手に動くと中国に格好の口実を与えかねないと懸念しているのかもしれない(もっとも竹島と同じく実効支配されている北方領土問題とで異なる対応になるのは、無人島か元住民の存在があるかどうかの違いのせいと思われる)。最近は、韓国軍が、自衛隊の竹島侵攻作戦シナリオに対応する防衛作戦シナリオを想定していたという報道まであって、余程、後ろめたいのか、韓国の盗人猛々しいにもほどがある(苦笑)。
 古来、東アジアの秩序観念である中華主義(韓国は小中華)を奉じつつ、その実、古代・中世の間は中国や日本という大国に寄り添って、近代になってからはそこにロシアも加わって、常に大につかえる事大主義で生き延びて来た国である。竹島は、「武装解除をされた日本軍のいない日本海に空白ができた時、民族の夢だった領土拡大を李承晩大統領が実現した」(ある在日韓国人による)、言わば民族主義の象徴であるだけに、熱狂するのだろうか。もとより不法占拠以外の何物でもないのだが、最近は、日本に対して、伝統的秩序観念のもとで(ある意味で身内のような馴れ馴れしさで)、欧米感覚からすれば嘘にまみれたとしか言いようのない主張を恥じることがないふてぶてしさに巻き込まれて、多くの日本人と同様、私もすっかり呆れて、距離を置いている。絡んでもらいたくない、という感覚である。その中でも、辛うじて、そのハチャメチャぶりは一体どこから来るのかを理解するために、そのメカニズムに興味があって、韓国という国家(政治)を観察している。以下は最近の観察日記である。
 韓国人のことは、ビジネスでもプライベートでも付き合ったことが殆どないので肌感覚として知らないが、シリコンバレーで働く知人に言わせれば、韓国人は約束は守らないし嘘はつく、というので呆れているようだ。一説によると、約束を守らない、破ってみせられる立場こそ、地位が高く、尊敬を受けるとする奇妙な(儒教的?)考え方があるそうで、実際、最近の徴用工問題や慰安婦問題を見れば納得してしまう。このあたりは、かつてビジネスの世界で、韓国人は昼は「反日」、夜は「親日」(=ともに酒を飲んでカラオケを歌いまくって盛り上がる)と言われ、韓国流のタテマエとホンネの問題だろうくらいに思ってきたが、ここ20年ほどの間に、韓国は自らの国力に自信を持ち始め、日本に対してそのように主張できる、すなわち約束を破ってみせられる立場になったと、真剣に思い始めているのではないだろうか。
 何より歴史認識のあり方が根本的に異なる。日本人は単に歴史教育の問題と処理しがちだが、本来、歴史は民族のレーゾン・デートルに関わる本質的な問題である。これに関し、世の中には、歴史的事実の積み上げの上に歴史認識(いわばStoryとしてのHistory)を紡ぐ日本や欧米の実証主義的なあり方と、歴史認識の上位に位置する歴史観(いわゆる正史)の影響を受けて、歴史認識はアプリオリで、都合の良い歴史的事実を拾って歴史認識を補強するだけの中国や韓国のあり方と、二通りあるようだ。すなわち、「歴史的事実 → 歴史認識 → 歴史観」という積み上げ式のあり方と、「歴史的事実 ← 歴史認識 ← 歴史観」という逆方向(矢印)のあり方である。後者は、所謂「正史」観として、王朝交代の際、現政権の統治を正当化するために、前政権(例えば日本統治)の事績を完全否定するものだ(その意味では、明治期日本の薩長史観や戦後日本のGHQ史観もそれに類するものであって、日本人も注意を要する)。そして、この立場にも二通りあって、私が好きなエスニック・ジョークに仮託すると、アメリカの大学が検証したという中国の歴史教育は(個別の戦闘では日本に負け続けたがサンフランシスコ講和条約に参加できたという意味で対日戦勝国に名を連ねた中国共産党が打ち出す)「プロパガンダ」であるのに対し、韓国では(残念ながらサンフランシスコ講和では連合国の立場を認められず、というのは当たり前で、連合国に解放されただけという負い目があって、単に独善的な)「ファンタジー」だというわけだ。ことほどさように中国や韓国の儒教的世界にあって「正義」は常に(現在の)我にあるのであって、歴史的事象の是非は閑却されてしまう。これでは話は全く通じない。
 このあたりは、最近、ハーバード大学のジョン・マーク・ラムザイヤー教授がインターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス誌に寄稿した論文「太平洋戦争における性契約」(Contracting for sex in the Pacific War)に関して、韓国のマスコミが「ラムザイヤー教授が慰安婦は売春婦だと主張した」と報道し、韓国社会が怒りに沸き返ったとされるところにもよく表れているように思う。室谷克実さんは、「韓国 半狂乱」とまで書いた。論理の世界ではないことがよく言い表されているナイスなネーミングだ。この論文は、そもそも慰安婦が売春婦だったことを立証するために書かれたものではないようだが、朝鮮人慰安婦が日本の官憲によって連行された強制性の証拠を(証言以外に)提示するわけでもなく(これまでのところ提示できていないばかりに)、ラムザイヤー教授は「親日派」「日本の戦犯企業三菱からカネをもらっている」などと人格批判され、気の毒な状況にある。おまけに、Wow!Korea紙によれば、竹島問題では国際司法裁判所での応訴に否定的なのに、慰安婦問題では国際司法裁判所で日本が敗訴する見通しと、仮に日本が勝訴しても実質的には韓国の勝訴となる見通しが、まことしやかに語られている。その論拠はと言うと、戦時下の女性に対する性暴力に厳しい視線が注がれる昨今の状況下で、仮に日本の主権免除が認められても、いずれにしても韓国の主張が認定される可能性が出て来たと、甘い見通しを持っているらしいのだ。さらに、「河野談話」(1993年)や「村山談話」(1995年)が、国際社会では慰安婦強制連行を認めた日本国の正式な立場として扱われていると韓国人は信じており、これらが誤りであることを立証するためには、韓国研究者の研究結果(慰安婦問題では「帝国の慰安婦」の朴裕河教授の研究、徴用工問題では「反日種族主義」の李栄薫元ソウル大学教授の研究)を活かして、国際司法裁判所のみならず第三国の関心を持つ人々にも知らせることが日本の対応方針になるだろうと信じているようなのだ(以上Wow! Korea紙より)。日本における慰安婦問題で秦郁彦氏らの先行研究すら知らないと見える。自らを道徳的高みに置きたい願望が「正義」にまで昇華されると、何が何でも日本は野蛮で残酷という結論ありきになる。
 数日前の国連人権理事会では、韓国外交部の次官が基調演説で慰安婦問題に言及したため、日本は2015年の慰安婦合意に反するとして反発した。相変わらずの光景である。韓国によれば、慰安婦問題の本質は紛争下で行なわれた性暴力という人権侵害だとして、悪びれる風はない。それなら慰安婦問題だけではなく、ベトナム戦争時の韓国軍人によるライダイハンについても言及するなど、一般化したらどうかと思うし、中国新彊ウィグルでは平時でも所謂「ジェノサイド」の中で性暴力がまかり通っているが、そういうところは頬かむりして、ただのご都合主義でしかない。日本では、夫婦喧嘩は犬も食わないが、韓国では、夫婦が喧嘩すると片方が家から表通りに飛び出して大声で自らの正当性を主張するのだそうである(今はどうか知らないが、伝統芸のようだ)。朴槿恵さんの告げ口外交はまさにそれだった。今回も、韓国の約束破りであり、夫婦喧嘩の如く(夫婦なんぞにしてもらいたくないが)表通りに向かって自らの正当性を訴える行動パターンそのものであり、その裏には日本より自らを道徳的高みに置きたい心性がある。
 東アジアにおける難しさは、中国にしても韓国にしても、経済成長を遂げ、自信を持つに従ってナショナリズムが芽生え、中華(韓国は小中華)意識という原点に回帰しつつあるところにあるように思う。そこでは日本は依然として東の夷狄に過ぎなくて、蔑視の対象でしかない。実際、ペナン駐在の頃、インターナショナル・スクールで知り合った韓国人のお母ちゃんに、日本人って野蛮じゃないのね!?と真顔で感心されて、驚かされたものだった。韓国における歴史教育はいくら欧米感覚で「ファンタジー」と揶揄されようが、現実の問題として再生産され、生き続けているのだ。
 そのため、残り任期が1年3ヶ月となった文在寅大統領が、北朝鮮問題をなんとか前進させたい一心なのであろう、日本に歩み寄ったかに見える発言をしたと報道されるのは、2015年慰安婦合意を仲介した当時のアメリカ副大統領が大統領になって、日和っているだけとの観測の通り、ただの方便であって、文大統領が心変わりしたとは思われない。なにしろ文大統領が最近、外交部長官に任命した鄭義溶氏は、トランプ大統領(当時)に北朝鮮が非核化の意思があると伝え、金正恩委員長(当時)に経済制裁解除への淡い期待を抱かせた二枚舌外交の張本人である。それで米朝双方から信頼を失い、仲介役失格の烙印を押されたことなど、もう忘れてしまったかのような大胆不敵さは、理解不能である。
 彼ら独自の「正義」を振りかざして反省することはなさそうに見える国とまともに付き合うのは、簡単ではない。
(注)以上は国家(政治)としての韓国について触れたもので、韓国人との付き合いは別次元であることは言うまでもない。
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