goo blog サービス終了のお知らせ 

風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2023年回顧・野球の神様

2024-01-06 02:53:10 | 時事放談

 冴えない世相でも、日米のプロ野球界には神風が吹いているようだった(日本人にとって)。WBC優勝に始まり、メジャー本塁打王、二度目のMVP、10年総額7億ドルでドジャース移籍と、大谷翔平に明け暮れた一年に吹き続けたのは、野球の神様が吹かせた神風であろうか。

 MLB公式YouTubeチャンネルが2023年に投稿した動画の中で、断トツの再生回数を誇るのはWBC決勝の日本-米国戦だそうだ。今、見ても涙がちょちょ切れる私のような日本人が多いのだろうか(笑)。振り返ると、その日、オフィスで打合せから自席に戻って、何気なくYahooスポーツの一球速報を覗いた私は、戦慄した。ほんまに野球の神様がいると思った。9回裏2アウト、ランナーなしで、大谷とトラウトの一騎打ち。WBCで大谷の投球を受けた甲斐拓也が「独特ですし、回転もちょっと違いますしね。低いところから高いところに吹き上がって、曲がってくる。普通であれば下に落ちていくと思うんですけど、下に落ちない。吹き上がってくるっていうのが一番の特徴かなと思います」と言うスイーパーが決め球となった。思わずオフィスで静かにガッツ・ポーズ。宮崎での強化合宿中、栗山監督は「WBC決勝戦。最終回のマウンドには“ある投手”がいて、ガッツポーズしているイメージがあるんだよね」と語っていたそうだが、夢が、これ以上は考えられない状況設定のもとで現実となった。

 勝負そのもので痺れるシーンが多かったのはもとより、本番前の楽屋裏で侍ジャパンのメンバーに与えたインパクトも鮮烈だったようで、そのエピソードも印象深かった。中でも大谷翔平のフリーバッティングが話題で、推定160メートルの衝撃の飛距離に、「言葉が出ない。初めて感じたことがいろいろありました」(村上宗隆)、「噂は聞いていたんですけど目の当たりにするとビックリしましたね」(岡本和真)、「ぶったまげたっすね。一言で言ったら」「飛距離もすごいですし速度もすごかったので『ヤベー』としかみんな言っていないですよ」(万波中正)と感嘆の声を上げたのは、素人ではなく同じプロの選手たちだ。ブルペン捕手としてチームに帯同した鶴岡慎也氏が、大谷と他の選手の差を評して、「プロの1軍と2軍ほど違う」と言うよりも、「プロ野球選手と高校球児ほど違う」との表現の方が妥当だと言うほどだった。ファンサービスと言うより、日本の球界を代表するスターたちに文字通りに見せつけ、良い意味で刺激を与えたかったのだろう。日本人でもパワーをつければここまでできる、と。

 お陰で、日本プロ野球史上最年少三冠王の村上ですら、ショックから打撃不振に陥ってしまった。自分の前(3番)を打つ打者(大谷)があんな打球を飛ばし、自分の状態が上がらなくて、前の打者が申告敬遠されるような経験は衝撃だったろう。焦燥が募ったに違いない。5番に下がった準決勝メキシコ戦、1点ビハインドの9回裏に走者一・二塁の好機で打順が回って来たときには、この日3三振の村上に代えて牧原大成を代打に送る(犠牲バントで進塁させる)作戦も考えられたようだが、ぎりぎりのところで、「ムネに任せるわ」との栗山監督のメッセージを打席に向かう村上にわざわざ伝えさせ、迷いが吹っ切れた彼から劇的なセンターオーバーの逆転サヨナラ弾を引き出した。栗山監督の人心の機微を捉えた采配も見事だった。

 他方、日本プロ野球界の締め括りは、阪神-オリックスという、1964年の阪神-南海(現ソフトバンク)以来、59年ぶり2回目の「関西ダービー」となった。大学卒業まで20年間、大阪に住んでいながら巨人ファンだった私には縁が遠く、阪神が38年ぶり2回目の「あれ」を手にしても上の空。悔し紛れに、カーネルサンダースの呪いはとっくの昔(2009年3月10日に救出)に解けているのに…と毒づく始末だった(苦笑)。当日午後10時現在、道頓堀川に7人が飛び込んで、いずれもケガはなかったそうだ。めでたし、めでたし。

 悔し紛れついでに、我らが岡本和真のエピソードにも触れておきたい。WBCからの帰国直後、「行く前は僕が試合に出るもんだとは誰も思わなかったでしょうし、そういう部分で自分が最後フィールドに立てて優勝、世界一を味わえたっていうのもありがたいことですし、野球って楽しいなって」「同時にもっとすごい人たちを見たので、レベルアップしないといけないなと思ったり、自分自身がちっぽけに思えるのはいいことだと思って、もっと頑張ろうって思いました」と殊勝に語ったそうだ。村上と違って何と牧歌的な、ムーミンのような大らかさは伊達ではないだろう(笑)。大谷の移籍を知ったときには、「あんな金額、1人が稼ぐ数字じゃないでしょ。企業やん。社員が何万人かいる大企業でしょ。えぐい。ヤバい。ホンマの企業ですよ、1000億って…」「そんな人と一緒に野球やったんだなって。すごいでしょ? すごくないすか?」と岡本節をぶちかましている。やや天然気味に微妙に外してくれるところがカワイイ。

 その大谷のLAドジャースへの移籍は、ア・リーグ本塁打王と自身2度目のMVPを引っ提げていたとは言え、右肘じん帯を修復する手術を受けて治療中の身でありながら、総額7億ドル(1015億円=入団合意時の為替レート)という破格の待遇になることが驚きを以って報じられた。これに絡めて、投手ができない間も打席に立ち続けられる・・・これこそ(野球好きの彼の)二刀流たる所以だと、栗山氏は納得されたものだ。しかもその契約内容は、実に97%の6億8千万ドル(994億円=同)が後払いで、それでも来季から2033年までの10年間の年俸が2百万ドル(約2億9000万円=同)に達するのも話題になった。入団記者会見では自身が、「自分が今受け取れる金額を我慢して、ペイロール(年俸の支払い)に柔軟性を持たせられるのであれば、僕は全然後払いでいいというのが始まり」と解説している。そして、勝つことの優先順位を問われて、「野球選手としてあとどれくらいできるか、誰にもわからない。勝つことが僕にとって一番大事なこと」と答えた。この後払いが山本由伸のドジャース入りを呼び込んだと言えなくもない。来年こそ、ワールドシリーズのマウンドを期待したい。

 この年末に、こうした喧噪を総括するかのように、WBCの裏側を収めた映画「憧れを超えた侍たち 世界一への記録」がテレビ朝日系列で地上波初放送された。タイトルはもちろん、決勝の試合前に大谷が語った名言に因んでいる(下記に採録)。この映画のラストシーンとなった大谷の最後のセリフ「俺のグローブどこ?」の「俺のグローブ」がXでトレンド入りしたらしい。決勝戦の9回裏、トラウトをスイーパーで空振り三振に仕留めて世界一を決め、帽子とグラブを放り投げて感情を爆発させた、あの場面である。ファンから、「どこまでかわいいの」「思いっきり投げてましたよ」「急にかわいいキャラになるのなんなん」「この名言は来世まで伝えていきたい」など様々な反応があった中で、大谷が全国の小学校にグローブを寄贈すると発表したことから「全国の小学校に散りました」という投稿もあったそうだ。確かに、あのグローブは形を変えて、「野球しようぜ!」という大谷の思いを乗せて全国の小学生のもとに届けられたのだろう。野球の神様も満足気に微笑んで、暖かく見守っておられることだろう。

 「憧れるのをやめましょう。ファーストにゴールドシュミットがいたり、センター見たらマイク・トラウトがいるし、外野にムーキー・ベッツがいたりとか、野球やっていれば誰しもが聞いたことがあるような選手がいると思うんですけど、きょう一日だけは憧れてしまったら超えられないんで、僕らはきょう超えるためにトップになるために来たので、きょう一日だけは彼らへの憧れを捨てて勝つことだけ考えていきましょう。さぁ行こう!」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年回顧・政治化する国際経済

2024-01-04 11:07:10 | 時事放談

 経済が政治化している。冷戦時代は政治も経済も交流が乏しく、自由主義陣営は政治的に緊張しながらも自由経済を謳歌していたが、新・冷戦と言われる昨今は、経済そのものは緊密に交流している中で、政治的な対立があると往々にして経済が政治化(政治の道具化)する。そして国際経済に組み込まれているほど、その影響は大きくなる(逆に、国際経済に組み込まれていない北朝鮮では影響は限られるし、ロシアでは一部の権威主義国との対面取引で凌いでいるようだ)。

 そもそも、経済を政治化する所謂エコノミック・ステイトクラフト(経済ツールを使って、相手国に何かを強制し、自国の安全保障の目的を実現すること、以下ES)を使うという意味では最近の米国が酷いと思われるかもしれないが、中国が先である。オバマ政権末期には、中国やロシアが多用し始めている経済外交、たとえば他国が自国の意向に反する政策をとった場合に見せしめとして輸入制限したり、一帯一路などで援助受入国を借金漬けにして自国の意向に沿わない政策を取り難くさせたりすることなどを、アメリカはESと定義し、これに対抗するES戦略を描くべきである、といった議論が安全保障専門家の間で高まった。2018年初めには戦略国際問題研究所(CSIS)が、米国は「中国の挑戦」に対抗するために、より洗練されたESを用いる必要があると提案したほか、他のシンクタンクも同様の具体案を構想し始めていた。

 日本でも馴染みの例を挙げれば以下の通りとなる(いずれも主語は中国である);

・2010年、尖閣海域で海上保安庁の公船を妨害した中国の漁船・船長を日本が拘束したことに対し、レアアースの対日輸出を一時停止し、日本製品の不買運動が勃発

・2010年、中国の民主活動家・劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されることに決まると、ノルウェー産サーモンを禁輸

・他にも嫌がらせの輸入制限として、フィリピン産バナナ(2012年)、台湾産パイナップル(2021年)など

・2017年、韓国がTHAAD配備を決定したことに対し、中国人の韓国観光を制限、韓国製品の不買運動、中国内ロッテ・マートの営業停止命令

・2020年、オーストラリアが新型コロナウイルスの発生源調査を求めたことに対し、大麦・ワインへのアンチダンピング関税、綿利用自粛要請、牛肉検疫措置、石炭の通関遅延など

・2021年、リトアニアが首都に台湾事務所を開設したことに対し、外交関係を格下げ

・2023年、米国への対抗措置ではあるが、マイクロン(米)をインフラ調達から排除

・2023年、これも対抗措置と考えられるが、レアメタル(ガリウム、ゲルマニウム関連)やレアアース製造技術などの輸出規制

 2010年代以降、日本人が気が付かないまま、米国では中国の防衛産業や情報・通信産業に対する警戒感が強まり、各種報告書が提出されて来た(古くは米国防総省報告書2011年、米中経済安全保障委員会報告書2011年、米下院情報特別委員会報告書2012年、FBIカウンターインテリジェンスレポート2015年など)。「新・冷戦宣言」とされるペンス副大統領の演説(2018年10月4日)の原型として、米中経済安全保障委員会報告書2015年、2016年などが挙げられる。さらに中国の技術覇権ひいては軍事覇権を求めるかのような「能力」構築としての「中国製造2025」(2015年)と、「意思」表示としての「国家情報法」(2017年)や各種「安全」(=安全保障)法制化が掛け合わさって、米国における対中脅威認識は決定的となり、「国家安全保障戦略」(2017年12月)と「国防戦略」(2018年1月)に結実した。翌2018年8月に、「国防権限法2019」として具体的に法制化され、トランプ政権下で緊張が高まったのは周知の通りだ。関税引上げなどの貿易戦争は、国際経済においても表面的な勝ち負けを気にするトランプ大統領(当時)の個人的な嗜好に過ぎない。本質は経済安全保障、すなわち経済の政治化だった。

 もとより中国の技術力はもはや侮れない。既に数年も前に、米国の研究所に勤める知人は、AIに関する学会で中国人研究者が半数を占めると淡々と語っていた。しかし中国の発展は規模拡大と集中によるものでもある。例えば世界で引用回数の多い特許を有する研究所のトップを中国が占めるのは、在籍する研究者の数が一桁多いからだ。国家として破格の14億の人口を擁する中国は、国家資本主義的性格とも相俟って、日米欧とは比べ物にならないほど組織規模が大きい(米国の“グローバル”企業も日欧からすれば規模が大きいが)。それから、計画経済・指令経済のもとで、AIだろうがEVだろうが、号令をかければ人もカネも殺到するからだ。こうした圧倒的な量の経済は、必然的に質も高まって脅威となるが、一点集中または領域限定であって、国民経済のレベルで見たエコな産業発展からは遠いように見える。その意味で、欧米や日本のように成熟した自由主義経済は、長い時間をかけて積み重ねられた科学や技術と、(日本はややイビツながらも)市場原理によって人(技術者)やカネが流動し「神の見えざる手」に導かれる発展の秩序(弱肉強食とも言えるが、多様な競争社会の中で優勝劣敗し、敗者復活もあり、市場性がある限り残存者利得もあって、裾野が広い)があるところに、一日の長がある。そのため、中国にあっては足りない技術は模倣し窃盗する例が絶えない。

 ある人に言わせると、現代の技術は大抵、「米国が革新し、中国が模倣し、欧州が規制する」構図になっているというが、言い得て妙だ(笑)。模倣する中国を米国は警戒し(脇が甘い日本は草刈り場になり)、規制する欧州を米・中は(それから日本も)警戒する。

 例えば環境問題も、経済と重なるところで政治化している。欧州の急進的なEV化(排ガス規制)の動きは、ハイブリッド技術でどうしても追いつけないトヨタ潰しにしか見えない、中国と同様の産業政策の側面がある。それは恰もスキーのジャンプ競技で日本人が活躍し始めると、日本人に不利なようにスキー板やウェアの基準が変更され、世界の柔道はいわゆる柔の道ではなくてスポーツか格闘技のJUDOであって、欧州が勝てなくなるとルールが変わって行くようだと、日本人は疑心暗鬼に駆られる(笑)が、欧州は構わずに、環境問題の規制=ルールメーキングという、歴史的な価値を体現してきた自負のもとに(さんざん悪いこともやって来たが)、一見、(更生した)公正な優等生の立場と見せかけながら、その実、自らに有利なように国際ルールに影響を与えようとしている。他方、中国のEV化は得意の規模と集中投資で、荒っぽいながらも急転回で負の影響など歯牙にもかけない、権威主義国だからこそ可能な猪突猛進は脅威である。そして欧州は、そんな中国のEVをダンピング(政府補助金付き)の疑いで調査し始めた。

 そもそも中国は2000年の歴史で常に政治が優位にあった。鄧小平以来、市場経済を取り入れたと言っても、所詮は国家資本主義という名の似て非なるものである。その経済規模が小さい内は大目に見てもらえるが、2008年のリーマン・ショックに襲われた世界経済を桁違いの投資で救済し、2010年に日本を超えて首位の米国経済に規模で迫りつつあると観念されると(具体的には米国経済の6割レベルを超えると、と言われる)、米国で、かつての日本叩きのような中国叩きが始まり、教科書的な自由主義経済だったはずの米国が、インフレ抑制法やCHIPS法のように、経済安全保障の名のもとに、なりふりかまわぬ産業政策を推進する。常にダントツでありたい米国の感情的とも言える過剰反応は困ったものだが、もとをただせば、政治が常に優位にあって異質の経済構造をもつ中国のせいである。

 2023年は、中国経済が(かつてバランスシート不況で苦悩した日本のように)日本化する、などと形容された。それでも国家資本主義の中国は、負の影響など歯牙にもかけず、国内不況で有り余ったEVは欧州のみならず東南アジア市場にも流れ出した。中国の国内市場が変調を来すと、その他の市場で仁義なき戦いが起こる気配がある。2024年は、“節度”や“秩序”を保つことがない巨“龍”経済がのたうち回る動きを大いに警戒すべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲辰の年明け

2024-01-01 21:21:36 | 日々の生活

 穏やかなお正月である。最近、年賀状は控えめにしているとは言え、貰いっ放しでは申し訳なくて投函しに戸外に出ると、澄み渡った青空にきーんと張り詰めたような空気が清新な感じがして心地よい。

 近所の神社に出向くと、午後の時間帯でも、人々が行列をなしているのに怖気づいて、心の中でお祈りだけして、そそくさと踵を返した。その足でヨーカドーに向かうと、元日から初売り、軒を借りるドトールまで満員御礼の大賑わいで、商魂逞しいのだが、初詣以外にさしたる行事も顧みなくなったいまどきの私たちには、ヨーカドーさまさまである。なにはともあれ、コロナ禍以前に戻ったような活気が嬉しい。

 今年は干支で言えば甲辰の年だ。その筋の方によると、「春の日差しが、あまねく成長を助く年」になるそうだ。「春の暖かい日差しが大地すべてのものに平等に降り注ぎ、急速な成長と変化を誘う年」になりそうで、「すべてのものに平等に降り注ぐということは、これまで陰になっていた部分にも日が当たり、報われ、大きな成長を遂げるといったことが期待できる。逆に、自分にとって隠しておきたい部分にも日が当たり、大きな変化が起きる可能性もある」ということだ。

 ある中国人の古老(但し日本在住)に言わせると、「前回の甲辰(1964年)は、『二つの地獄の合間』の一年だった」そうだ。1958年に始まる大躍進と、1966年に始まる文化大革命を、二つの地獄と譬えていらっしゃる。さて、今年の中国はどうだろう。年末に読んだ福島香織さんのコラムが思い出される。「中国が『世界の頭脳』なのは今だけ、習近平の『反知性主義』で凋落が始まる」という、ちょっとセンセーショナルな、しかし隣人の不幸を喜びたい日本人の心をくすぐるタイトルだが(笑)、よく読むと納得させられる。私は、かつて清朝皇帝が西洋の使者を前に「学ぶものは何もない」とつれない対応をした史実を思い出した。自由や民主主義や選挙制度のような西洋的価値観を大学で教えなくなり、習近平思想を呪文のように唱えさせる現代の中華帝国は、文化大革命に先祖返りしつつあるかのようだし、経済安全保障のために諸外国に頼らない内循環という名の内向き志向を強める経済は、体の良い現代版「海禁」政策のようでもある。こうした唯我独尊は中華帝国が繁栄を謳歌したときに陥りやすい宿痾のように思う。

 日本はというと、新暦以降で言うと、1904年に日露戦争が始まり、1964年に東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された。前者は、『坂の上の雲』の登り龍とは言え、極東の小国(アジア人)が白人の文明大国に挑むという、なんとも無謀な、まさに秋山真之が言ったような「皇国の興廃この一戦にあり」の一大事であったし、後者は、それまでの苦節の時代を経た日本が成長を実感する象徴的な出来事であり、いずれも時代の画期と言えよう。今年の日本はどうだろうか。

 その筋の方の話に戻ると、陰陽五行で「甲」と「辰」の関係は、「『木の陽』が重なる『比和』と呼ばれる組み合せで、同じ気が重なると、その気は最も盛んになる。その結果が良い場合にはますます良く、悪い場合にはますます悪くなるという関係性である」ということだ。こういう話は、良いところは素直に受け止めて、前向きに、悪いところは頭の片隅にとどめて、ちょっと警戒するのがよい。「光が及ぶのは自身を中心とした身近な範囲に限られる。身の程を超えてしまうと光が届かないため、分不相応な野心を実らせるのは困難を極めそうである。春の日差しの中、自身を見つめなおし、足元をしっかりと踏み締めていくことで道が開き、それこそが後に大望を叶える鍵となることだろう」ともいう。確かに凡人は身の程をわきまえて一気に多くを望まないのが賢明なのだろう。中国で、辰(龍)は人々の暮らしを豊かにする水神として祀られるとともに、絶大な力を持つ龍は歴代の皇帝の(富や権力の)象徴とされ、「なんでも鑑定団」によると、5本の爪を持つ龍は皇帝の身の回りにのみ描かれることが許されていた。辰(龍)にあやかり、些かなりとも上昇の気運を願いたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年・劣化する日本政治

2023-12-30 21:34:25 | 時事放談

 制度や体制なるものは、精神が抜け落ちると形骸化して変調を来すものだ。典型例は大日本帝国憲法であろう。創設した元老たちがいなくなるや、言葉尻をとらえて政治利用する輩が現れた。この一年を振り返って、というよりも岸田政権になってからの日本の政治を見ていると、影響の大小はあるにしても、その思いを強くする。それは言うまでもなく、2006年に戦後最年少で初の戦後生まれの首相として組閣し、間をおいて、2012年からの7年8ヶ月間を含めると史上最長の在職日数を誇った元・安倍首相との比較を通しての感慨である。

 故・安倍氏の政治を私が評価するのは、端的に、彼に政治家の本懐とも言うべきものがあったからだ。その核心たる政治理念を保守的と断じるリベラル派からは何かと反撥を受け、さらには歴史修正主義者と誤解したアメリカからも批判を受けるに至ると、本音を隠すようになり、その後はイメージばかりが先行する、奇妙な政争となった。リベラル派には甚だ悪名高い安保法制など外交・安全保障分野では保守的で保守派の支持を受ける一方、経済団体への賃上げ要請など経済的にはリベラルな政策を採ることで野党に付け入る隙を与えず、選挙に勝っては難しい政策を実現し、再び選挙に勝っては世論の支持を受けたとして野党の批判を封じ、まがりなりにも政治を前に進めて来た。他方で、その政治手法には批判が多く、官邸主導で忖度する側近・官僚や反発する(そのために嫌がらせのように情報をリークする)官僚に攪乱され、しかも生来の脇の甘さも手伝って、モリ・カケ・サクラなど、長期政権の驕りとも見える場面も目立ったが(なお悪いことに、真相は藪の中にあることだ)、それでもなお私が評価するのは、そこに彼の生の声が聞こえ、さらに根底には変わらぬ政治理念があったからだ。言い換えると、政治家としての故・安倍氏への信頼である。

 しかし岸田首相の発言は紋切り型で、彼の肉声は聞こえて来ない。更には政治理念が(私にだけかもしれないが)見えて来ない。単に安倍政権が敷いた路線を進めているだけ、あるいは新しい資本主義や異次元の少子化対策など、表面的な装いの掛け声で新しさをアピールしているだけに見える。

 悪いことに、選挙をテコにした政治は、政治理念が抜け落ちると、ただの選挙対策の政治に堕して停滞し、ポピュリズムが蔓延る。もっぱら政策より政局で政権に揺さぶりをかけるだけの野党との間で、泥仕合が繰り広げられる仕儀となる。政治理念が絡まないので、いまひとつ盛り上がらない。冒頭に触れた、形骸化である。

 先ごろ、自民党税調の税制大綱が発表されたが、防衛増税など、痛みを伴うような負担増の議論は避けた。自民党の宮沢洋一・税調会長は、「増税はそれなりに政権の力が必要だ。今の政治状況は自民党に厳しい風が吹いている」と述べたそうだ(12月15日 日経)。故・安倍氏だからこそ乗り切れた政局は、岸田氏のもとで混迷を深めるばかりである。そして、パーティー券問題が露呈した。またしてもカネであり、呆れてしまう。

 来年、世界では70以上の国で選挙が予定されている。中でも、1月の台湾総統選を皮切りに、3月のロシア大統領選は出来レースにしても、4~5月にインド総選挙があり、11月にアメリカ大統領選が控える。国際社会で故・安倍氏が(珍しくも)引き上げた日本の存在感は引き継がれることなく、国際社会の混迷も深まるのだろうか。

 コロナ禍で控えめだった活動に制約がなくなって通常運転に戻ると、やっぱり冴えない政治が馬脚を現し、漠然とした不安にとらわれる、なんともやるせない年の瀬である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キッシンジャーの異彩

2023-12-16 10:48:11 | 時事放談

 かれこれ二週間以上が経ってしまったが、ヘンリー・キッシンジャー氏が亡くなった。享年100の大往生だった。

 保守派でありながら共産主義・中国に接近するという、イデオロギーに囚われない現実主義で、バランス・オブ・パワーという伝統的な国際政治の理論を冷徹に実践し、1970年代のアメリカ外交を牽引して、既に私の学生時代には伝説の人となっていた。

 あれから40年、トランプ氏が大統領になったときにキッシンジャー氏に会ったというニュースを見て、まだ生きていたのか(物理的に、ではなく、政治的に)と驚いたものだった。アメリカが中国に対して厳しい政策対応をしたのはトランプ政権からだが、既にオバマ政権後半から、中国に対して厳しい見方をしていた。そんな中で、キッシンジャー氏は何を思い、何を提言していたのだろうか。

 結局、アメリカは、キッシンジャー氏に始まる、30年以上にわたる積極的な関与政策により、中国を国際社会の一員にする手引きをしながら、大国になった中国を国際社会の責任あるステークホルダーに育てることに失敗した。いや、今の大国意識に目覚めた中国の振舞いを見る限り、アメリカが失敗したのは結果論でしかなく、アメリカは大いなる挫折を味わっているかもしれない。騙された、とまでは言うまい。それだけに、今のアメリカの強硬な対中政策は本質的であり根深いものがありそうだ。氏自身は、2015年に次のように語っている。

「中国の挑戦はソ連よりも微妙な問題を含む。ソ連問題は戦略的なものだった。中国の挑戦はより文化的なものだ。果たして、同じように思考することのできない二つの文明は、世界秩序において共存という解を見出すことが出来るのだろうか」

 それでも、著書『キッシンジャー回想録 中国』(2011年)で、「中国と米国の関係はゼロサムゲームになる必要はなく、なるべきでもない」と記し、その後、米中関係が悪化してもこの見解を変えなかったと言われる。2019年のニューエコノミーフォーラムでは次のように語っている。

「米中は世界の最大の二つの経済体であり、お互いが『足をひっぱりあう』のは正常だ」

「両国に必要なのは対話であって、対抗ではない」

「米中両国関係は、双方の共同利益のために対立点を正確に見て、対話と協力を強化し、ネガティブな影響を低く抑える努力をしなくてはならない。もし米中が非常に敵対すれば、想像のつかない結果をもたらす」

 他方、井戸を掘った人のこと(=恩義)を忘れないと言われる中国人は、キッシンジャー氏をそのように遇した。実際に氏の訪中は100回に及んだそうだ。尋常ではない。中国は仲介者としての彼に何を頼り、時に何に利用したのだろうか。晩年の氏は中国宥和論者だと批判的に見られがちだが、かつて毎年のように中国共産党幹部の訪問を受けていたシンガポール元首相リー・クアンユー氏同様、中国政治のウラを知る識者として、もう少し話を聞きたかった。

 ニクソン元大統領ともども、毀誉褒貶が激しいキッシンジャー氏だが、私のような世の多くの(と、一応、言っておく 笑)常人には現実主義に徹することを理解するのが難しいからだろう。

 一般に政治信条の座標軸の中で、常人は保守とリベラルの間のどこかに位置づけられる。その色眼鏡で相手に同調し、反発もする。その色眼鏡を外すのが難しいのは、こうした保守やリベラルの政治信条は、案外、人の世界観や人生観と深く結びついているからだと思う。例えば、変化を望むか安定を望むか。人は、また世の中は、変われるものだと信じることが出来るか、そうそう変われるものではないと諦めるか(良い意味での諦観である)。変われないと思うのは虚しく、何がしか変わろうと努力し、それでも急には変われないのが常人であり世の中であろう。それを信じる度合いの違いに応じて、保守とリベラルの間の位置づけが変わるように思う。こうして保守は現実主義に近いし、リベラルは理想主義に近いと言い換えることが出来る。ところが、かつて、ジョン・ミアシャイマー氏は、東京での講演で、現実主義はイデオロギーを気にしないと明言されていた。政治信条としての現実主義は、保守でもリベラルでもないそうである。現にキッシンジャー氏は、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として共和党のニクソン政権を支えただけでなく、その前の民主党のケネディ大統領の顧問としても外交政策立案に一時的に関与していた。その超越したところに、どうしても分かりにくさが漂う。

 1982年に設立したコンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエイツ」は、財務上の数字を報告することも、顧客名簿について語ることもないそうだ。だからと言って、企業幹部を中国の指導者に引き合わせても、ビジネス上の議論は企業幹部に任せ、便宜を求めることはしなかったそうだ・・・とは、どこまで信じられる話か分かったものではなく、中国共産党と波長が合ったであろう彼の隠密な交渉スタイルそのままに、霧に包まれたままだ。

 これまでブックオフで時間をかけて買い揃えた『回復された世界平和』、『外交(上)/(下)』、『キッシンジャー回想録 中国(上)/(下)』は、唯一、新刊で購入した『国際秩序』とともに、手放せない。老後の愉しみにしているが、もう一度、紐解いてみようかとも思う。そして、「キッシンジャーから懇情され、一旦断わったものの、膨大な私信・資料を見せられてファーガソンが引き受けたキッシンジャー公認の評伝。ファーガソンが10年がかりで完成させた大作」(アマゾンより)とされるニーアル・ファーガソン著『キッシンジャー 1923-1968 理想主義者 1/2』もブックオフでの購入予定リストにある。良くも悪くも、私たちが生きる時代の世界の道筋をつけてきたとも言える彼の存在には、興味が尽きない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする