白神で私達をガイドしてくれた方は、
小さい頃から森で暮らしを立てつつ、
森をくまなく歩き回り、そのような経験を活かして、
現在は環境省の世界遺産センターの仕事とガイドの仕事をしている。
自分達でガイドの認定を行い、自主ルールを決めて活動してきたその方は、
「昨日まで山で木を伐り、田で米を作って暮らしてきた村の人間に、
観光による町の振興やエコツーリズムとか言ったって
すぐに何かできる訳ではない。
かといって、田舎の体質上、外からの人間が来てあれこれ言っても
すぐには受け容れられない」と言っていた。
至極もっともだと思う。
環境省がエコツーリズムの旗を振り、モデル地区として選んだからといって、
エコツーリズムの概念を押し付けるべきではなく、
地元の人がこれまでやってきた自然との付き合い方を受け入れ、
それに基づく地域主体の観光のあり方を考えないといけない、と改めて気づいた。
各地域ごと、住人ごとに、それぞれの「エコツーリズム」があるはず。
白神でエコツーリズムを営む別の方はこう言っている。
「自然に寄り添って生きる喜びや自然を損なう悲しみを分かち合うことは、
人を森のように豊かにする、ということを白神から学んだ。
自然につながる暮らしを取り戻したいという願う方同士が白神でつながる・・・
どこで暮らしていても、そのつながりを感じながら・・・日々の暮らしの中で、
それぞれが感じたことやできることを伝え合うことで、
それぞれの夢が芽吹いていく。」
小さい頃から森で暮らしを立てつつ、
森をくまなく歩き回り、そのような経験を活かして、
現在は環境省の世界遺産センターの仕事とガイドの仕事をしている。
自分達でガイドの認定を行い、自主ルールを決めて活動してきたその方は、
「昨日まで山で木を伐り、田で米を作って暮らしてきた村の人間に、
観光による町の振興やエコツーリズムとか言ったって
すぐに何かできる訳ではない。
かといって、田舎の体質上、外からの人間が来てあれこれ言っても
すぐには受け容れられない」と言っていた。
至極もっともだと思う。
環境省がエコツーリズムの旗を振り、モデル地区として選んだからといって、
エコツーリズムの概念を押し付けるべきではなく、
地元の人がこれまでやってきた自然との付き合い方を受け入れ、
それに基づく地域主体の観光のあり方を考えないといけない、と改めて気づいた。
各地域ごと、住人ごとに、それぞれの「エコツーリズム」があるはず。
白神でエコツーリズムを営む別の方はこう言っている。
「自然に寄り添って生きる喜びや自然を損なう悲しみを分かち合うことは、
人を森のように豊かにする、ということを白神から学んだ。
自然につながる暮らしを取り戻したいという願う方同士が白神でつながる・・・
どこで暮らしていても、そのつながりを感じながら・・・日々の暮らしの中で、
それぞれが感じたことやできることを伝え合うことで、
それぞれの夢が芽吹いていく。」