「つながり」の旅 in Paris ~ 人と人、自然、地域との「つながり」 ~

人・自然・地域との「つながり」をテーマにした旅や暮らし(エコツーリズム、スローライフ等)について日々の想いを綴ります。

辺野古で考えるスローライフ

2008年03月17日 | Slow Life
普天間基地代替施設を建設しようとする政府と、反対派の住民が11年間座り込みを続ける沖縄本島北部・辺野古を訪れた。

ここは、ジュゴンの貴重な棲息地として、様々な国際環境保護団体も中止を訴えており、開発と自然保護に揺れ、米軍基地と隣合わせに生きる沖縄を象徴している場所と言える。

お話してくれた富田晋さんによると、悲惨な沖縄戦を生き抜いた70、80歳代のおじいやおばあは、子孫に悲惨な経験を繰り返させたくないとして、時には病床に臥せりながらも、反基地・反戦平和の運動を続けてきたらしい。

おじいやおばあが反基地運動の中心になる背景には、手中堅世代は生計を立てるための仕事=公共工事に依存せざるをえず、基地建設に反対するなら仕事を奪うぞ、という状況に置かれてきたこともあるようだ。

富田さんは、若干23歳というが、反戦・反基地を叫び続けてきたおじいやおばあに、15歳の時から様々な人生訓を受けてきたうえに、強引に建設を進めようとする防衛施設局や海上保安庁とのギリギリの攻防の第一線に立ってきたからか、とてもしっかりと、説得力のある話をしてくれる。

「この運動をすることによって、政府の理不尽さが身に染みた」と富田さん。
・普天間基地は安全だ、と防衛施設局職員が答弁した翌日に起きた
 2004年の沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故
・カネとヒトを送り込んで国が基地建設反対派の切り崩しを図った
 1997年の名護市長選挙。選挙に敗れたのに経済振興策をチラつかせながら、
 なしくずし的に進められる基地建設
・国民を守るはずが、反対派のボートに銃口を向ける海上保安庁の巡視船
など、民主主義国家でこんなことがあっていいのか、
と思うようなことは枚挙に暇がないらしい。

そんな富田さんは、強引に基地建設を進めようとする政府側に、船からの抗議行動に出る際、死を覚悟したことも何度かあったらしい。

「死を覚悟して顔面蒼白なっていた僕に、おじいやおばあが、
『生きろ!最後まで生きろ。俺の前で死にそうな顔をするな!
 海から生きて帰ってこい』
『お前みたいな未来ある若者に、死を覚悟しないといけない状況を作り出して、
 本当に済まない』
と泣きながら言ってくれたのが忘れられません。」
と富田さんは語る。

辺野古に来てた若者達が、各地で反戦への運動を展開してくれていることに
希望を見出しているという富田さん。

このような理不尽な政府のやり方を、自らの行動を通して変えない限り、本当のスローライフなんてない、と語るその言葉には、ギリギリの状況を乗り越えて今なお第一線に立つ、迫力と熱い思いがこもっていた。

富田さんの言葉はここでも見られます↓
http://tu-ta.at.webry.info/200705/article_25.html