【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

秋篠寺

2017-06-12 | デジカメ紀行
秋篠寺 (あきしのでら)
光仁天皇の勅願によって建てられた奈良時代最後の官寺。
創建時は法相宗、その後平安時代は真言宗、明治初期は浄土宗などを経て現在は単立寺院。

年一回6月6日、秘仏大元帥明王像が特別開扉されるというので出かけてきました。

東門から入ります。






香水閣の屋根が見えます。



香水閣

常暁(不詳-867年)がもたらし1871年(明治4年)まで 、香水閣の閼伽井の水を汲み、神泉に張る大元師修法が、
宮中で毎年行われていたそうです。
当日は、霊泉「香水閣」が頂けます。


忠魂碑

真ん中に砲弾が・・・。

十三社

春日大社はじめとする十三の社が横一列に並べて祀られています。
往時の神仏習合を物語っています。


もう少し進むと苔庭が見えてきます。


この辺りは金堂跡のようです。


どんぐりが埋められていました。


受付を済ませます。

本堂(国宝)

12世紀に火災で焼失した後、鎌倉時代に堂宇の遺材で再建されたもの。

本堂に安置されている伎芸天立像は、「東洋のミューズ」との称賛を受けています。
伎芸天は万物を創造する神の頭上から化生した天女で、良い行いをして得られる福利と諸技諸芸の守護神として、芸事の上達を祈願しに訪れる芸能人も多いそうです。
ミューズとは、ギリシア神話の女神「ムーサ」の英語名(複数形)。
音楽・舞踏・学術・文芸などを司っています。

本堂にはほかに、本尊の木造薬師三尊像や梵天、帝釈天(ともに重要文化財)など25体が安置されています。
五大力菩薩、伎芸天、地蔵菩薩、十二神将、月光菩薩、本尊の薬師如来、日光菩薩、十二神将、不動明王、帝釈天、愛染明王。

大元堂からみた本堂



大元堂


横から

わが国最古の大元帥明王像(たいげんみょうおうりゅうぞう)が安置されています。「帥」の字は読まないそう。
仏教(特に密教)における尊格である明王の一つ。
大元帥明王が出現されたという伝説があります。

大元帥明王(パンフレットより)


鎌倉時代の木彫りの2メートル近い立像で、一面六臂の憤怒相であり、六本の腕に武器を構え、身体に蛇を巻き付けています。
四天王・八部衆などの諸鬼神を従え、国家を鎮護する夜叉神。密教で尊信され、像は四面八臂(はっぴ)・六面八臂などあり、怒りの相を表しています。
阿吒嚩迦(あたばか)とも。

光環(こうかん)?

太陽や月の周囲に見える光の輪。
大気中の微細な氷の結晶や水滴などによる光の回折のために起こる
現象で、内側が青く外側が赤色に見える。
光冠とも書きます。
大元堂入り口から撮りました。

開山堂

当寺院の開祖とされる善珠を祀る御堂です。


霊堂



歌碑

川田順
諸々のみ佛の中の伎芸天何のえにしぞわれをみたまふ


役行者

7世紀末に大和国の葛城山を中心に活動した呪術者で、
修験道の開祖として尊崇される役行者の石仏。
右手の石仏には前鬼・後鬼が描かれています。


鐘楼





かみなり石

鐘楼横にある石。
昔、秋篠の里には雷がよく落ちたようで、村人は落ちてきた雷さまをこの石に閉じ込めへそを取ってしまったので二度と秋篠寺には
雷が落ちなくなったとか。
へそを隠すのは人間たちのほうですが、 雷さまが
へそを取られたんですね・・・。






供養塔



境内で見られた花達。

ハギ


ネジキ


ツツジ





クチナシ


タイサンボク


菩提樹






御朱印



拝観を終えて南門の方へ。

南門




南門を出た所にあるのが

秋篠寺鎮守社・八所御霊神社

鳥居




建てられている御由緒によると

「本殿は三間社流造、檜皮葺、一棟

由緒はさだかでない。
御祭神は崇道天皇ほか七柱を祀る。
本殿は三間社流造で、装飾は少なく木割の太い簡素な建物である。
建立年代は明らかでないが、細部の様式から見ると、室町時代を降らないものと認められる。
この建物は伝統的な形式と手法を持ち、春日大社末社三十八所神社本殿と酷似しており、その旧社殿の可能性が強い。
春日系の建物のうちでも古い方に属する重要な遺構である。」

とのことです。

手水舎


塀上の瓦


拝殿


狛犬
  


玉砂利がきれいに敷き詰められていました。

説明文はウィキペディア、パンフレットを参考にしました。
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