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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

過去を取り返すことはできない

2020年02月18日 17時38分19秒 | Weblog

 新型コロナウイルス・COVID-19が蔓延していると報じられている。この地方からも感染者が出たからか、22日に開催する同年者の集いを「キャンセルしたい」と言う人まで現れた。「不要不急の集会は避けよ」と煽るから、「止めた方がいいのでは」と言い出す人もいる。

 私は「そんなに恐れてどうするの」と楽観しているが、皆さんが「中止にしよう」と言うならそれに従うしかない。情報が公開されるのはいいことだと思うが、何だか振り回されている気がしてならない。もっと重大な情報の開示はなぜいつも闇の中なのか、矛盾している。

 私の幼い時からの友だちや職場での同僚、教え子などに冊子「はがき絵」を送っていたら、手元に5冊しか残っていないことに気が付いた。なんとまあ計画の立てられない人間なのかと情けなくなる。印刷屋に増刷が可能なのか聞いてみよう。

 今朝は、西の養老山脈や伊吹山から北の山々が黒い雲の覆われていた。時々、雪になったり雨になったり、そうかと思うと陽が射したりとめまぐるしい。甥っ子に「はがき絵」を送ろうとして、私が覚えている我が家の歴史や彼らの父親のことを伝えておこうと思った。

 今更そんな昔のことを聞いても彼らの青春が戻る訳でもないが、いつの間にかいなくなった父親の姿がイメージできるのではないかと勝手に思った。兄貴は我が家の犠牲者だったかも知れないし、もう少し良い友だちに恵まれていれば、全財産を失うようなこともなかったかも知れない。

 テレビドラマ『テセウスの船』ではないが、過去を取り返すことはできない。私たちに出来ることは今、この時の選択でしかない。自分の人生は自分しか生きられない。悩んでも恨んでも、結局は自分が選択した結果である。そう思うと気が軽い。

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子どものいたずらにしては度が過ぎる

2020年02月17日 18時48分17秒 | Weblog

 放課後子ども教室にノックして入るが、誰もいなかった。教室にゴミが落ちているのは気になるので、掃除を始めた。すると1枚の紙が先生の机の前に落ちていた。捨てようとして、見てビックリした。子どものいたずらとは思えないくらい文字がびっしりと書かれている。

 「死ね死ね死ねクズクズクズ死ねFUCKFUCKFUCK」と一面にある。小学生に出来るようないたずらではない。そんな気がした。けれど、仮に小学生なら、高学年の頭のいい男の子だろう。ましてやFUCKという英単語の使い方まで知っているとは驚きだ。

 子どもたちと話していても、年寄りはついていけないくらい大人っぽいことを言う。男の子たちはまだ幼いが、女の子は大人の話をよく聞いているのか、かなりきわどいことまで口にする。いたずら紙が本当にただの思い付きのいたずらであって欲しいと思う。

 重い気分で家に帰ると、「はがき絵」の礼状がいくつか届いていた。それこそホンの思い付きで、年賀状を冊子にしてみたが、こんなにも温かな言葉をいただいき恐縮している。デザイン科の教員になって個展も開いたものの、先輩の先生から「教師の道か、アーチストの道か、曖昧ではダメだ」と教えられて迷った。

 ところが内ゲバに巻き込まれ、教師もアーチストも諦めなくてはならなかった。長いどん底生活。好きだった新聞作りが私を活かしてくれた。地域新聞を発行していた10年間は夢中で、楽しく苦労と思うことは一度もなかった。企画し発行するその1号1号が充実していた。創刊から5年後からはスタッフも増え、新聞以外の企画も生まれた。

 子どもたちと一緒にいて、「子どもとのふれあいはいいなあ」と思う。その反面、私は歳を取り過ぎたと感じる。やっぱり、孫世代とは生きている世界があまりにも違う。やっぱり、どこかで区切りにしようと思う。

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どこまでが私たちの仕事なのか

2020年02月16日 17時38分02秒 | Weblog

 朝から雨降り。昨日は天気に恵まれたので、井戸の作業が進んだ。そう言っても、これまで私たちがやって来た作業とは違っていて、どこまでが私たちの仕事なのかと考えさせられた。これまでは井戸を掘り、ブロックを積み上げて手押しポンプの台を作り、手押しポンプを設置し吸管とを接続して完成だった。

 マンションの防災委員会からは、井戸は2本掘り、1本は手押しポンプを取り付け、残る1本はエンジンポンプで汲み上げられるようにとの要請だった。昨日は、井戸の周りをブロックで囲み、その中はコンクリートの床にするので、ブロックの土台作りをすると言う。私たちはそんな技術も経験もないので、手伝いくらいしかできなかった。

 そんな訳で、重労働の割には仕事は捗らなかった。自分たちが住んでいるマンションの防災設備である。キレイに仕上がるならやりがいもある。今日は雨降りで作業はできないから、次にみんなが揃う日まで延期となった。昨日、作業をしていたら、放課後子ども教室の子が「センセイ」と呼びかけてくれた。「ここに手押しポンプを取り付けるから、また見に来てね」と話す。

 子どもたちは手押しポンプに触れたことがないから、興味津々だ。水を汲み出していた時も、興味深そうに見ていた子に、「その水に触ってみて」と言うと、恐る恐る手を伸ばして、「あったかい」と声を上げた。どうして地下から水が出てくるのか、またいつかの機会に話してやろうと思う。

 科学の力はどんどん合理化を進めた。おかげで人間は快適な暮らし、つまり重労働から解放された。そのおかげなのかは定かではないが、COVID-19のような新型ウイルスに襲われれあたふたしている。進歩はいつも新しい闇を創り出すようだ。

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美しい女性たちから

2020年02月15日 18時08分24秒 | Weblog

 今朝、私の中学の担任の娘さんから電話をいただいた。私が昨日のブログに、「叱咤激励」されて「可哀そうなくらい」と親戚の人から聞いたと書いたので、「それは誤解です」という電話だった。「父は一度も勉強しなさいと言ったこともなく、とても自由に育てられました」と言う。

 学校では生徒に厳しかったけれど、分け隔てすることはなく、生徒に溶け込もうとしていた。後に、生徒指導を担当するようになって、夜回りしたり、休みの日も繁華街を見守ったりしていたと聞いた。熱血漢でちょっと短気だったが、涙もろかった。娘さんと話しているとそんな先生の姿が目に浮かぶ。

 「チョコに手紙は入れられなかったので」と言っていた手紙が今日届いた。このブログのフアンだとあったので、ちょっと照れ臭い。思ってもいなかった、童話作家の藤真知子さんと上野千鶴子さんから、冊子「はがき絵」のお礼が届いた。

 藤真知子さんは「絵でたどるアルバムのような歴史 すてきですね!(略)なんか、しみじみしました」と小さな字で書いてあった。上野千鶴子さんは太く大きな字で「ふーん。こんなふうに家族の歴史を紡ぐ方法もあるんですねえ‥。とてもよいものを見せていただいた気分がしました。ありがとう」とあった。

 お世話になった人だからと思って送ったけど、こんなに素敵なハガキをいただけて誠に照れ臭い。担任の娘さんが「確か大けがをなさったんですよね」と会話の途中で言う。内ゲバに巻き込まれたことまでお父さんから聞いていたようだ。藤真知子さんも上野千鶴子さんも、そんな私の過去を知ったら、「はがき絵」の見方が変わるのかも知れない。

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バレンタインの贈り物

2020年02月14日 18時41分43秒 | Weblog

 今日はバレンタイン。夫婦二人だけになると、何がバレンタインなのとなってしまう。仙台の5歳の孫娘からお菓子が届いたので、先ほどラインで「ありがとう」と送った。カミさんに「今日はバレンタインだから、ワインだよね」と告げて、冷蔵庫を開けるとチョコが2枚入っていた。

 中学の時の担任の娘さんに、先生が編集し制作してくれた「クラス誌」の複製本を送ったことが縁で、電話をいただいたことがあった。私が作った「はがき絵」を送ったところ、バレンタインに合わせて京王百貨店のチョコが送られてきた。

 私たちが高校を卒業した年に生まれた彼女も、すっかり大人の女性になってしまった。先生の奥さんに似ているなら色白な美人だろう。お兄ちゃんは学校の成績がよかったので、妹の彼女は先生から「叱咤激励」され、「かわいそうなくらいだった」と親戚の人が話してくれた。

 お兄ちゃんは大学の教授になっているから、先生の期待通りだったのだろう。私たちが遊びに行っていた頃は、はにかみ屋でとても可愛い男の子だった。娘さんは小さかったのでよく覚えていないが、娘さんの名前を聞いて先生の思いがすぐ理解できた。

 それは私たちのクラスで抜群に成績がよく、気配りが出来て、みんなに好かれていた女の子と同じ名前だった。その子は津田塾へ進学した。娘さんへ先生の期待はますます大きくなったことだろう。親は子どものことになると教師の立場を忘れてしまうようだ。

 もうひとつ、チョコではなくメールが卒業生の女の子から届いた。高校生の時からキレイな子だったが、クラス会で見たらメチャ美人になっていた。女の人は歳を重ねると美人度も増すのだろうか。明日はマンションで掘った井戸に手押しポンプを取り付ける。寒くなりませんように。

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国会議員の秘書の愚痴

2020年02月13日 18時23分23秒 | Weblog

 国会議員の秘書をしている知人がブラリとやって来た。格別に用事がある訳ではない。彼の愚痴を1時間半ほど聞く。それで、彼が「まあ、いいか」と思って帰って行くことになれば、私も人の役に立ったことになる。

 私が国会議員の秘書をしていたのは25年も前だが、状況は少しも変わっていない。自民党の秘書は地元回りが最大の仕事だ。有力者と顔つなぎして、議員の地盤を固めるために働く。私設秘書ならタダ働き同然に使われるし、公設秘書も政治団体への献金を求められる。

 それでも彼らは、いつか認められて市議や県議になれるから報われるが、自民党以外の秘書はなかなかそうはいかない。支持団体をこまめに回る点は自民党と変わりない。選挙は政策の争いなのに、実際はいかに顔つなぎをするかである。

 支持基盤のない無党派市民派の候補は、街頭での演説と戸別訪問を主に行うが、戸別訪問は選挙になると禁止なってしまう。自分が何を考え、何を訴えるのか、紙やインターネットで知らせる。しかし、最有力なのはひとり一人と会って話し握手をすることだ。

 「政治家なのに、どうして政策の論議をしないのか」、「こんな政治、こんな選挙でいいのだろうか」、私も彼もそれが不満だが、どうすればよいのか分からない。今、アメリカ大統領選に向けて、民主党の候補者選びに注目が集まっている。

 若者の支持を集めているのは78歳のサンダース氏だ。自ら「社会民主主義者」と名乗っている。民主候補のトップ争いをしているが、トランプ氏に勝てる候補とは思えない。もし、サンダース氏がアメリカ大統領に当選するなら、日本の政治の流れも変わるだろう。彼の愚痴を聞くこともなくなるのかも知れない。

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新型コロナウイルスをCOVID-19と呼ぶという

2020年02月12日 18時07分57秒 | Weblog

 新型コロナウイルスの報道ばかりで嫌になる。死者が何人になった、患者数が何人増えた、そんなことをいくら聞かされても、一般人の私には嫌悪しか生まれてこない。手洗い、うがい、マスク、それくらいしか防御の手段がない。私のように一歩も家から出ない人間には、それも他人事でしかない。

 新しい情報でなる程と思ったのは、新型コロナウイルスをこれからはCOVID-19と呼ぶということだけ。世界共通の認識とすることで、世界中で対処するためらしいが、「いつまでも新型というのも可笑しいですから」と、どこかの大学教授の発言が何よりよく分かった。そんなこと当たり前ではないかと叱られそうだが、私の意識はそんな程度だ。

 仙台の5歳の孫娘にマスクを送ったのに、マスクを嫌がっていたら、小4の孫娘がラインで、「マスクをして行ってね」と呼びかけたところ、今朝はマスク姿で幼稚園に出かける写真を送って来て、「みんな、ありがとう」と言う。すると夜勤明けで病院から戻った、オーストラリアで結婚式を挙げた上の孫娘が、「エライねー」とラインに参加してきた。子どもたちの労わり合いは見事なものだ。

 私は22日に行う同年の集いの座席表をパソコンで作成出来なくて、文書だけで送ったら、幹事から「表がない」と返信メールをいただき、ケイタイで「表が出来なかった」と伝えた。世の中、どんどん進んでいるのに私は追い付かない。いや、追い付こうという気持ちがない。

 久しぶりにバルコニーに出て、水やりをした。なぜだか分からないが、「好きだった 好きだった ほんの一言あの時に言えばよかった」という歌詞が浮かんできた。誰の何という歌だったんだろう。馬鹿みたいだと思わず笑ってしまった。制作した『はがき絵』を求める声が無いので、こちらから送ることにした。

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中原中也と石川啄木

2020年02月11日 17時17分21秒 | Weblog

 日曜日の新聞に「中原中也賞決まる」という小さな記事を見つけて、詩人・中原中也を思い出した。あれは高校の国語の授業だった。中原中也の『汚れっちまった悲しみに』を読んだ時、何故かゾクッとした。詩の意味はよく分からなかったが、すっかり共感してしまった。

 「悲しい」だけでも辛いのに、「汚れっちまった」とさらに重なり、「生きていることは辛く」「罪深い」と勝手に思い込んだ。「小雪が降りかかり」「風も吹き」、どうしようもない。せっかくの「狐の革裘」も「小雪がかかってちぢこまる」。

 第3節は、「なにのぞむなくなにねがふなく」、「倦怠のうちに死を夢む」とある。高校生の時はただ絶望としか思わなかったが、75歳になった今は何だかもっと共鳴している。20代では、こんな風に人生を見ることはなかった。やることはいっぱいあったし、絶望などしている余裕はなかった。

 それが今は、明日は何をやろうということもない。夢中になる人もいない。「いたいたしくも怖気づき」「なすところもなく日は暮れる」と中原中也は結ぶが、怖気づくような何事も現れない。いったい自分の人生は何なのかと模索するのは若いからだ。

 中原中也は30歳で死んだ。26歳で死んだ石川啄木とよく似ている。ふたりとも弱い人間なのだろう。だからこそ、弱さを率直に歌に出来たと思う。酒を飲み、遊興し、ハチャメチャな生活をしてしまうのも、現実から逃れたかったのだろう。

 高校生の時は、ふたりの「悲しみ」に心惹かれていた。憧れることはなく、共感して満足していただけで、人生が辛いとまでは知らなかった。今となっては「倦怠のうちに死を望む」ばかりだ。

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「新潟酒蔵巡り」その2

2020年02月10日 17時59分17秒 | Weblog

 1日目は全く風も無く、よく晴れた暖かな一日だった。宿は南魚沼市の六日町温泉とあったので、さぞ老舗の温泉宿だろうと想像していたが、期待はちょっと裏切られた。食事の時、「日本酒」について「講義」があり、1時間飲み放題だった。残念なことに、私はどのお酒を飲んでもそんなに違いが分からない。

 ゆっくりと料理を食べながら、お酒を楽しめればそれで充分満足なのだ。我が家で飲んでいる日本酒とは違い、コクと旨味がある。先輩から、「日本酒はチビチビと意地汚いほどに飲むのがいいんだ」と講釈を聞いてきたが、一気に飲めば酔いが回って食事もできないから、ワイワイやりながら時間をかけて飲むのがいい。

 けれど、いつの間にか周りに人がいなくなってしまった。飲み放題の1時間を超えたのだ。翌朝、カーテンを開けると一面の銀世界だった。平野の向こうに見えていた山々が全く見えない。魚沼は豪雪地帯なのに、昨日まで雪は降らなかったそうだ。雪が珍しい私たちは「凄い、キレイ」と喜んでしまったが、この地方の人は雪かきに忙しない。

 1晩でこんなに積もるのかと思うほど、雪は黙って降り続く。本当に音がない。雪の降りしきる中、2日目は「越後ゆきくら」で有名な玉川酒造を見学。隣りにスキー場があり、雪の蔵で製造した酒を熟成させていた。次に南に下って、「八海山」で有名な八海醸造が経営する「魚沼の里」の一角にある大規模な「雪蔵」を見学、その後、私はひとりで園内を散策した。

 雪は小降りになった。それでも帰路は、湯沢で昼食して打石に戻り、峠を越えて津南へ出て、飯山から上越自動車道に乗るコースだ。雪の峠越えは難コースだ。バスがスリップして50メートルほど下の雪の川へと転落する夢を見たが、正にそんな道だった。無事に塩尻へ到着したが、雪は無く風が魚沼以上に冷たかった。運転手さん、あれからゆっくり日本酒を味わえましたか?

 誘ってくれた友だちが歌を送ってくれたので、ちょっと詞を借りて私も作ってみた。

 「魚沼の雪に喜び友詠う 五臓六腑の酒蔵巡り」

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「新潟酒蔵巡り」その1

2020年02月09日 17時26分28秒 | Weblog

 「新潟酒蔵巡り」は名古屋駅を朝8時、特急「しなの」で始まった。塩尻で下車して観光バスに乗り込む。ハッキリ数えなかったが、およそ20人くらいで年配者がほとんどだ。私たちは前の方の席だったので、後ろの席を観察できなかったが、夫婦連れが多く中には男同士や親子もいたし、ひとりでの参加者もいた。

 この日の朝は寒かった。しっかり着込んでいたので、列車の中は熱いくらいだった。塩尻はきっと寒いだろうと思ったのに、それほどでもなかった。塩尻までの車内からは、雪景色は見られなかった。青い空はどこまでも広がっていたが、寒気が押し寄せてきたのは確かのようで、飛行機雲の線がくっきりと何本も見えた。

 塩尻からは長野自動車道で長岡へ直行するのかと思ったら、安曇野でガラス工芸館に立ち寄り、「記念ぐい飲み」を1つもらう。最初の酒蔵は最近、どこの酒売り場でも目に付く「久保田」を酒造している朝日酒造。思った以上にデッカイ工場にビックリ。私の関心は「水」で、酒は原料の「米」とともに何よりも「水」が大事と思っているので、係の人に「水は井戸ですか?」と訊ねた。

 工場の近くの朝日神社の湧き水と言うので、「飲ませていただけますか」とお願いするが、「歩いていけなくないはないですが、時間がありませんね」と言われてしまう。2番目に行った魚沼酒造は誠に素朴な酒蔵で、陽気は女将さんがひとりで対応してくれた。たまたま、通りかかった会社の男の人に「水はどこからですか?」と聞くと、「山から引いている」と教えてくれた。

 新潟の酒蔵はどこも山に囲まれている。魚沼盆地には日本一長い信濃川が流れ、その支流がたくさんある。山と山に囲まれた盆地の米はうまい。水と米が新潟の酒を生み出したことは間違いなさそうだ。雪が多いせいなのか、色白の人も多い気がする。

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